所以
最初に言っておこう。
このデスゲームは一人のゲームプログラマーの妄執から始まった。
井形尋仁は所謂「天才」であった。
ゲームプログラムだけでなく、シナリオもシステムも何をさせても一流。
ゲームの範囲にとどまらず、彼のデザインセンスは現実でも最高と評価された。
そんな彼を誰もが憧れ、嫉妬した。
そして、孤高の人としてもてはやされた。
だが、そんな彼をALS 筋萎縮性側索硬化症が襲った。
ALSは全身の筋肉が萎縮し、その力を低下させていく病気であり、最終的には呼吸筋に及び、人工呼吸器を使用しての延命が計られる、現在の医学をもってしても治療が困難な病気である。
脳の活動に影響はないとされているが、体の表現する力が失われてしまい、今までのような生活が少しずつできなくなり、表現の全てを失うことに井形は恐怖した。
そして、診断を受けて数ヶ月の間、全ての活動を休業する。
数ヶ月たった後、彼が最期にと始めた仕事はフルダイブ式VRMMOの製作だった。
製作当初から公開されたそのゲームの名前はラストライフ・オンライン 通称LL。
彼はひたすらにゲームの製作を続けた。睡眠や休息をとることは一度としてなかった。
彼がβテストの期間中にインタビューに対して答えた時に言っていた。
「いらないものは全てが終わってからでいい。これが私の最期なのだから。」
装備や世界のデザインからストーリーなど全てを一人で設計し試験運用さえも一人で行った。
彼の全てをこめた最期の作品は、今までゲームに触れたこともない人達さえも巻き込み、年齢や性別を問わず、多くの人がその世界に触れたいと願った。
その結果、βテストの応募者は1万人の募集に対し3000万人を超え、β参加権が非合法に高くで販売されたと言われている。
彼の財産と彼の才能、その全てを込めたそのゲームの完成度は圧倒的で、βテストにおいてバグが一度も確認されることなく、CMとしての効果しかなかった。
それから数ヶ月、ついに製品版の販売が行われることとなった。
多くの購入希望者がいたが、井形はインターネットでの抽選販売とし、初回販売を3万個に限った。
当選者は幸運だったのだろうか、不幸だったのだろうか。
それは、彼らそれぞれにきかなければわからない。