純度99%世界が美しい
彷徨うと僕と、ステッキを振りかざす妖精
雪が降る森の中で出会ったのは〝凍える国〟の妖精。
小柄な彼女はステッキを片手に尻尾でバランスをとりながら霜華状の羽根を羽ばたかせふわふわと浮いていた。まるで来世からの天恵のように愛らしい。自分を女王の書記官だと言った。
僕はこれを夢の中の出来事と自覚していた。
それが僕の住む地域が数年ぶりに大雪に見舞われたことと関係があるのか、それとも眠る前にバニラのアイスクリームをたらふく食べたのが原因なのか。でも手のひらに受け止めた冷たい雪は溶けて水滴になるし、踏みしめた雪はザクっという心地よい音を立てて固まる。なんだか妙に現実的だった。
「あなた、私のことが見えるのよね?」
「じゃなきゃ話にならないだろ?」
「では、どうしてここへ来たんですか?」
鈴の音のように軽やかな声。だけど、一語一語は鋭い氷柱のように響いた。
「それは僕が訊きたいくらいだ。でもここは夢の中だよね? 偶然と巡り合わせと運と縁が重なったんでしょ。そのうち目が覚めるからそれまでキミの愚痴なり、悩みでも聞いてあげようか?」
「うーん……、ちょっと違うんですよね」
「明日は暖かくなるから氷の羽根が心配なのかな?」
「それは大変、気をつけなきゃ」
メモ書きでも読み上げるように言い放った。口角をキュッと上げ、か細い腕を組み、そして青緑色の瞳で真っ直ぐ僕を見据えた。遠い惑星が放つような何とも言えない色合いだ。
「どうしてあなたのような人がここにいるということ、それを訊きたいの。私たちにとってはラッキーとかたまたまなんていうことじゃないんです」
「? それなら何だろう?」
妖精は手にしたステッキを振りかざした。周りに黄金色の小さな星が無数に煌めいた。僕をリーディングしているということだけどもう三回目だった。
「はぁ……」
どんよりした深いため息。それは明日暖かいということよりももっと深刻な様子だった。
「あなた、女にだらしないですね?」
「え?」
「ギャンブル狂で浪費癖で時間にルーズで、ネガティブ思考……。嘘つきで、他人に厳しくて自分に甘い――」
「も、もういいよ……」
当たらずとも遠からず。触れてほしくないことばかりだったのでひどく傷ついた。
「お金に困ってて、もう食べるものも食べれない。今はそんな状況ですね?」
「アイスクリームは食べたんだけど。特大のビールジョッキみたいなファミリーパックを抱えてね。でも参ったな。次から次へと凄いじゃない。そのステッキで見れるの? でも、どれもこれもキミに関係ないことだから」
「それだったらいいんですけど……」
羽ばたきが次第に緩やかになり、つま先を立てて静かに着地した。バレリーナのようしなやかな身のこなし。でも彼女は眉を固くひそめ、手にしたステッキを弄んでいた。
何が言いたいのだろう。
そもそも僕は夢の中で、深い雪に足をとられ息を切らしながら、ただひたすら前に進んでいた。でも景色は天まで届きそうなほどの巨大な針葉樹が後にも先にもずっと並んでいるだけ。
彼女に出会ったのは雲が切れ、木々の間からわずかに陽の光が差した時だった。
「あなたがここにいて、私の姿が見えるっていうことは……、ほんとに残念……」
またしてもため息をついた。
「でもね、あなたは伝説の軍神、グラディウスよ。私たち〝凍える国〟の救世主なの」
「は?」
風が吹いて雪が斜めに降った。風雪が容赦なく吹きつける。妖精の青い髪が背中の辺りでなびいた。僕は部屋着のような格好だから寒くて寒くて仕方がなかった。
「軍神? グラディウス??」
「そう。宇宙をも破壊し得ると恐れられてるわ。私はその、人の皮を被ったグラディウス様を迎えに来たの。それで現れたのがあなた……。どうしてこんな貧乏神みたいなのかしら」
「ちょ、ちょっと……」
「もっと筋骨隆々で知性が滲み出るようなお方かと――」
「救世主だの、貧乏神だのって……。でも、僕がキミたちの国を救うっていうことはずいぶんマズい状況なの? 敵国に攻め込まれているとか、疫病が蔓延しているとか?」
「ええ、そんなことね。年に一度、シャーマンが国の未来を占うんですけど、これから三年以内に国が滅びるって予言したんです」
「そんなことあるのかな」
「シャーマンの予言は絶対です。これまで天変地異はもちろん、金融危機やら他国の戦争、内輪モメに大臣のスキャンダルでしょ、後は……」
「スキャンダルって――」
「とにかく。その度に私たちは対策をして非常事態を乗り越えたんです。彼女の予知がなければ私たちはもっと貧しく、日々の食べ物すら困っていたはずですよ」
「どこかの国みたいに?」
「今の〝凍える国〟は豊かで平和なんです。国民は一所懸命働き、女王様は温厚で人々を慈しんでいるわ。だから急に国が滅びるといわれても女王様も人々も混乱するばかり。意見は慎重論と楽観論で二分して、それぞれに強硬派と穏健派がいて収拾がつかなくなって……」
「ふーん」
「でもシャーマンはもう一つ占ったの。それが『今日この時間、この場所に若い男性が現れる。男性は〝凍える国〟の妖精を視認できる。そのお方こそグラディウス様であり、我々の救世主様である』と予言しました」
「うん」
「それがあなた」
「それはすごい!」
といいつつ、寒いし、めんどくさいしで僕としては早く夢から覚めてほしかった。
「〝凍てつく宮廷〟では女王様があなたをお待ちです。でもその貧相で情けない恰好では女王様はどんなにお嘆きになるか……。そればかりか私の責任にもなってしまうわ」
妖精はそう言うと、またステッキを振った。煙とも光ともつかぬリングが放たれた。薄桃色の輪が幾つも連なり、ふわりふわりと僕の頭上へ舞い降りた。
「これで少しはマシでしょう」
「うわっ!」
突然、手足、体が締め付けられたように苦しい。何かと思えば黒いマントを纏い、銀糸の刺繍が細かく施された黒いジャケットにスラックスという装いに変わっていた。その上、ツヤツヤの黒い革靴も履いている。妖精が鏡を貸してくれた。ぼさぼさだった髪は艶やかなワックスで固められ、首元には純白のレースのリボンがふんわりと広がっていた。
「なんか絵画の中の貴族みたい。気分が上がるね」
「では、宮廷までご案内します。三日ほどかかりますので覚悟してくださいね」
「宮廷って、僕が? 今すぐ?」
「他に誰か?」
「いやいや、三日も歩けない。キミは羽が生えているからいいけど僕は生身の人間なんだ」
「そんなメッソウもない。大切なお客様を歩かせるなんて」
「ん?」
「馬車で行くんですよ。中は暖かいですし、食事だって一通り用意してます。まるで飛行機のファーストクラスのようですから」
「ファーストクラス……」
「ね、ねえ、〝凍える国〟で僕が泊まれるところはある?」
「もちろん。氷山と氷湖を一望できる豪華絢爛なスイートルームを用意してますよ。専属の料理人に万全の医療体制に、執事はなんでもこなせますから」
「スイートルーム、料理人、執事……」
思えば、僕はミュージシャンになって、役者になって、スポーツ選手になって大勢の人からチヤホヤされたかったんだ。堅実平凡な人生よりももっとスリルがあってドキドキして、多幸感に満たされるような毎日がよかった。それなのに今は、ハエのたかるようなボロアパートに暮らし、恋人に愛想を尽かされ、その上、まともな職にもありつけない。
でも妖精は僕を救世主様なんて呼んでいる。それなら僕は魔物なんかと戦って、簡単にやっつけて、誰だか知らないけど女王様やその国の人々に崇められる。よりどりみどりの美女を侍らせ、多くの召使を抱え、その気になれば女王に取って代わって国を治め……。
これって、僕が思い描いていた理想? 女神様が微笑んでくれた?
険しい森の奥で四つの真っ赤な光が灯った。続いて何かが揺れ動いた。真っ白い雪景色そのものがうごめいているようだけど、次第に輪郭がはっきりしてきた。現れたのは二頭の真っ白い馬。つぶらな赤い目を炎のようにたぎらせ、額に鋭いツノを生やしていた。
「ユニコーンです。名前はこの子がミルクで、この子がクリーム。とっても賢いんですよ」
「見分けがつかないけど。でもこれに乗っるってこと? 上手く乗れるかな……」
「それでしたら大丈夫、えーっと――」
「こんにちは」
妖精はまだ何か喋っていたけど、僕はユニコーンに話しかけてみた。妖精とは喋ることができたが、彼らと話すことはできなかった。でも神の使いみたいに神々しい。もはや言葉なんて要らないのかもしれない。
彼らは二頭揃ってブルルと体を震わせた。すると地面の雪がふわりと舞い上がり、客車の部分が現れた。ずんぐりとした大福のような形をしていた。
「カボチャではないんだね?」
「カボチャ?」
「いや、なんでもない」
「さあ、乗ってください」
大福の馬車の中は驚くほど広々としていた。窓際には一人掛けのゆったりとしたシートがあり、机に書棚、冷蔵庫まで備えられている。なんだかビジネスホテルのような内装だ。
「これが照明とエアコンのスイッチでしょ、リクライニングはこれで、お腹が空いたら冷蔵庫とここの棚にも色々あって……、あ、そう、モニターはここを押して――」
妖精が肘掛けのスイッチを押すと宙に壁一面を覆うほどのテレビモニターが浮かび上がった。
「私はユニコーンの背に乗ってます。ご用があればこっちのスイッチで知らせてくださいね。インカムで会話できますから」
馬車が静かに動き出した。中は暖房が効いて心地よく、音も振動もほとんどない。ふかふかなシートに身を沈め、早速ワインを開け、チーズを頂く。映画を観て、音楽を聴いて、ゲームをして時々大きな窓から景色を眺める。ユニコーンは深閑とする森を歩き、たまに空を飛んだ。見下ろす景色は一面が銀世界だ。
「グラタンが食べたい。チーズたっぷり」
「はいはい」
「エスカルゴもいいな。ガーリックバターがたっぷり効いたやつ。あ、こんがりサクサクのバケットも一緒に」
「はいはい」
「ついでにチーズケーキとイチゴのフラペチーノも」
「はいはい」
妖精は僕のリクエストに何でも応えてくれた。まさに至福。これじゃあ、僕は大福の馬車に乗るシンデレラじゃないか。いや、そうなんだろう。何しろ僕は〝凍える国〟を救うVIPなのだから。こんな旅なら一週間でも一ヶ月でも続けられそうだ。そして宮廷では僕をどんな風にもてなしてくれるのだろう。思わず顔がほころんでしまう。今ここは凍えるほど寒い森の中だけど、例えるなら、柔らかな春の陽差しを浴びながら、眩いばかりに黄色く咲き誇った菜の花畑の真っただ中にいるような心地だった。
<続く>
大福の馬車に現れたのは




