8.腐りゆく森に、光は灯る
翌朝――
まだ空がほんのりと薄桃色に染まる頃、村は静けさに包まれていた。家々の窓はまだ閉ざされ、鳥のさえずりすら聞こえない。空気はひんやりとしていて、背筋が少し震える。
支度を終えて宿の外に出ると、ルカがすぐに気づいて声をかけてきた。
「リイナ様……聞きましたよ。無理はだめです」
やさしい声だった。それが逆に、苦しかった。
「……はい」
私の返事は、申し訳なさを含んだものになった。
「ルカ、小言は後にしろ。皆が起きる前に、行くぞ」
テオが短く言い、歩き出す。その背に続く形で、私たちは朝の村を静かに抜けていった。
この先、何が起きるかはわからない。けれど、信じたい。信じなければ、あの禍々しい場所に立ち向かう意味がないのだ。
心の奥で、まだ揺れているあの小さな光を──私は信じて、歩みを進めた。
まだ陽は昇りきらず、淡い光が村を包んでいる。私たちは昨日の“魔溜まり”に再び足を踏み入れた。
テオが不安げに私を見つめる。何をしようとしているのかは、伝えられなかった。できるという確信なんて、どこにもない。それでも──もう、背を向けるわけにはいかなかった。
私はそっと目を閉じ、深く、深く息を吸う。心の奥で揺れる、小さな光を両手で包み込むように、意識を向ける。
「──光よ」
声がわずかに震えた。でも、祈りの言葉は確かだった。
「大地を癒したまえ……」
私は地面に膝をつき、そっと土へ手を伸ばす。すると、私の身体からふわりと光が溢れた。澄んだ水が静かに流れるように──穏やかで、けれど確かな力を秘めて。淀んだ空気を洗い、黒ずんだ土をやわらかく溶かしていく。
「……すごい……」
ルカが、小さく息を呑んだのが聞こえた。
目を開けると、世界は淡い光に包まれていた。ねじれた木々が、かすかに生気を取り戻しはじめている。
──もっと……もっと、力を。もう少しだけ、癒やさせて……。
あの圧し掛かるような死の気配が、静かに、しかし確実に遠ざかっていく。
……終わった、と思った、その瞬間だった。世界が、ぐにゃりと歪んだ。視界が白に染まり、立っている感覚がふっと消える。誰かが呼ぶ声が、遠くで響いた気がした。
──リイナ!
その声を最後に、私は意識を手放した。
*****
……ここは? 知らない天井……。
瞬きを二度、三度繰り返したとき──
「リイナ、よかった……無事で」
テオの声が耳に届いた。安堵と戸惑いが、優しく交じり合っている。周囲には村人たちの姿も。皆がほっとした表情でこちらを見ていた。
「それにしても……本当に、聖女だったんだな」
私は小さく微笑んだ。
「信じてなかったのですか? まあ……この地味な髪色では、無理もありませんわね」
幼い頃から何度もかけられてきた言葉。けれど、今それを口にしても、心は痛まなかった。
テオは一瞬目を丸くしたあと、力強く首を振って言った。
「そんなことない。天から光が差して……リイナは、その中で、本当に光そのものみたいだったんだ」
「ええ……でも、無理はいけませんよ」
ルカの優しい声に、まぶたが少し熱くなった。
「そうだぞ。お前は、俺に“靴の礼”をするまで、生きてなきゃいけないんだからな」
テオが微笑みながら、そっと私の頭に手を置いた。
魔溜まりは無事に浄化された。けれど、そこから生まれた魔獣たちの討伐は、これからも続く。もし──そのすべてを退けられる力が私にあったなら……。けれど、その想いを口にする前に、村の長が深々と頭を下げ、こう言った。
「何と礼を申し上げれば……。お支払いできる金はわずかですが、村人たちで集めたものを、どうか……」
「お金は……」
私は困ってテオに目を向ける。
「聖女が金を受け取るわけないだろ? ……ま、感謝してるなら、その金でうちの商品でも買ってくれ。なにせ、これから聖女様の旅の資金は、俺が出すんだからな」
「テオ様……本当にあなたという方は……」
ルカがあきれ顔で、ため息をついた。
「ふふ……村長さん、ぜひ、そうなさってください」
「本当に、助かります……。聖女様には、重ねて感謝を……」
*****
旅立ちの朝。
支度を終えて扉を開けると、小さな足音が駆け寄ってくる。目の前には、笑顔いっぱいの子どもたち。手のひらいっぱいの、色とりどりのしおりを差し出してきた。
「……これ、全部私に?」
思わず声がかすれる。子どもたちはこくこくとうなずいて、元気に言った。
「みんなで作ったの! お礼に……ありがとう、聖女様!」
押し花や葉っぱ、丁寧な絵や文字──一枚一枚に、時間と想いが込められていた。
その中のひとりが、私の裾をぎゅっと握る。
「また、きてね」
その小さな声に、私はそっと頷いた。少し離れた場所で、テオが微笑みながら言う。
「また来る約束をしてしまったな。それまでは、生きてなきゃいけないぞ」
その言葉に、私はもう一度、静かにうなずいた。




