5.光を運ぶ旅路のはじまり
「テオ様ーーーー!!」
甲高い声が森を裂くように響いた。
その瞬間、テオはぴくりと眉を動かし、ゆっくりと顔をしかめて、天を仰ぐように首を反らせた。
「……あっ」
それは言葉というより、諦め交じりのため息だった。
木々の間を縫うように現れたのは、若い青年だった。
息を切らし、肩を激しく上下させながらこちらへ駆け寄ってくる。きちんと整えられていた髪は走ったせいで乱れ、上着も少しだけずれている。けれど、その瞳には怒りと心配が入り混じっていた。
「……やっと見つけた! いい歳して迷子って、どういうことですか!」
声を張り上げて詰め寄る青年に、テオは火のはぜる音に紛れるようにぼそりと呟いた。
「うるさいな。迷子じゃない。……ルカがうるさかったから、一人になりたくて撒いたんだよ」
「撒いた!? この私を!? 友であり、従者であり、あなたの乳兄弟の子である私を!? 撒いたって言いました!? 今!?」
「言ったさ」
悪びれる様子もなく答えるテオに、青年――ルカは肩をがくりと落とし、ぐったりとうなだれた。
私は、ただぽかんとそのやり取りを見ていた。仲がいいのね――どこか微笑ましい。
……それにしても、『様』って。
テオって、思っていたよりずっとちゃんとした家柄の人なのかもしれない。
「リイナ」
ふいに名を呼ばれ、私は小さく姿勢を正した。
「こいつは俺の従者。騒がしいけど、まあ……役には立つ」
「リイナ様、初めまして。私のことはルカとお呼びください。……で、テオ様、リイナ様とはどういったご関係で?」
「拾った聖女だ」
あまりに軽々しく放たれた言葉に、ルカはこめかみを引きつらせた。
「聖女? 拾った!?」
呆れたように言いつつも、彼は私をまっすぐに見つめ、表情をやわらげる。
私も、自然と笑みを返していた。
「まあな。で、今は一緒に旅をすることにした。ちょっと面白い旅になるかもしれないな」
「一緒に旅? ……目的地は?」
「ルヴェラン領だ」
「ルヴェラン領!? ヴァルモンド領を通りますよ、いいのですか?」
ルカは、雷にでも打たれたように目を見開き、額に手を当てて天を仰いだ。
「なんで・・・・・・いつの間にそんな話になってるんですか!」
「……ルカ、少しは落ち着け」
低く投げかけられたテオの声に、彼ははっとして背筋を伸ばし、素早く私の前に立ち直った。そして、真剣な眼差しでこちらを見つめる。
「……はぁ、リイナ様。この無礼者のテオ様が何かご迷惑をおかけしませんでしたか? そもそも未婚の男女が二人きりで旅をしているなど、常識的に考えて問題が――」
その表情は真面目そのものだが、口調が必死すぎて、思わず頬がゆるむ。
「とはいえ、ご安心ください。今日からは私が目を光らせます。あなた様が聖女である以上、その旅路が安全であるよう――この私が、責任を持ってお守りします!」
力強く言い切ったその姿に、テオが呆れたようにため息を吐いた。
「……話が長ぇよ」
そうぼやきながら、ひらりと私の方へ向き直る。
「リイナ、さあ、出発の準備をするぞ」
私が頷くと、ルカも荷物を手に取り、焚き火の始末を始めた。
目指すは、ルヴェラン領――古く、静かに信仰が息づく土地。
きっと、険しい道になる。けれど、この奇妙な三人での旅が、思ったよりも悪くないかもしれない。
そんな予感が、私の中に静かに灯っていた。
*****
すぐそばには、荷馬車が停められていた。
木製の荷台には、すでに荷物がぎっしりと積み込まれている。麻袋、木箱、包み布――どれも、これから向かう村で必要とされる品々なのだわ。
「狭いけど、我慢してくださいね」
ルカがそう声をかけながら、手を差し出してくれた。
その手に引かれて荷台へと上がると、荷物の合間には、座れるだけのわずかな空間が工夫されて確保されていた。
彼らが扱う行商の品は実に多岐にわたる。薬草に日用品、時には珍しい魔道具まで。見ているだけで楽しい。
話によれば、訪れる先々の事情に合わせて必要なものを仕入れ、不足している人々に届けているのだという。そうした姿勢こそが、信頼される理由なのね、きっと。
「じゃあまずは、この方向にあるエトランゼに立ち寄るか」
テオが地図を手に、ざっと進路を確認しながら言った。
「エトランゼって……森に囲まれた村ですよね? 本で読んだことがあります」
私の言葉に、ルカが頷こうとするより早く、テオが答える。
「ああ。今年は例年になく、魔獣が大量に出没しているらしい。だから今回は、魔獣除けの薬や魔道具、怪我人用の薬を持っていくんだ」
「そんなに危険な場所なのですか?」
問いかけると、テオは一瞬の迷いも見せずに答えた。
「……まあ、危険だな」
その声音は落ち着いていて、どこか楽しげな響きすらあった。
「だが、必要としてる人がいるなら、行くしかないだろ。……それとも、怖いのか?」
挑発めいたその言葉に、私は一度だけまばたきをし、そして静かに首を横に振った。
「私は、生に執着はありません。死とは、神の御許に還ることですから」
そう告げると、テオはしばし私をじっと見つめ、やがて目を細めて、低く笑った。
「……ああ、リイナは、そういうやつだったな」
どこか呆れたような、それでもどこか安心したような声音だった。




