30.あの日の真実、そしてこれから
「母上、一体どういうことか、説明をしていただけますか?」
テオの声は低く、そして硬かった。眉間に深く刻まれた皺と、押し殺されたような声音。私は思わず息を呑んだ。
それに対し、彼のお母様は、ふわりと微笑んだ。
「やだわ。せっかく男前に生んだのに、そんなに怖い顔をして。眉間の皺が増えちゃうわよ?」
そんな軽口にも似た言葉は、きっと場を和ませるためのものだったのだろう。けれど、テオの顔から怒りは消えなかった。
「リイナが、リディアナだったこと――ご存じだったんですね。それに……亡くなったなんて、嘘だったじゃありませんか!」
私は少しだけ身じろぎした。
「え?」
お母様は、少し目を丸くして言った。
「そんなこと、私、言っていないわよ? 『神に選ばれたから会えない』とは言ったけれど、『亡くなった』なんて言葉、一度も使ってないもの。神に“召された”とも“死亡した”とも言ってないわ。言葉って、難しいわね、ふふ」
「……幼い子供が、そんな言い方で真意を理解できると思いますか? 俺はずっと……リディアナは死んだんだって……」
テオの声が震えた。悔しさと、どうしようもない喪失感が滲んでいた。私は黙って、その横顔を見つめていた。彼がどれほど私のことを――幼い頃、思い続けてくれていたのか、今ようやく分かる気がした。
「それに、婚約者だったことも知らなかったんです。誰も教えてくれなかった」
「小さい頃にちゃんと教えたと思うのだけれど……理解していたかは分からないわね。でも最近も言ったのよ、私?」
「まさか、“娘”発言のことですか?」
「そうそう。いずれ結婚するんだから、リイナちゃんは私の“義娘”。あなたは小さかったから、『婚約者だったことは』もう覚えていないでしょうけどね、って――」
「……言葉足らずにも、ほどがあります」
テオがそう呟いたとき、私の中で、かつての曖昧な違和感が線となって繋がった。
ああ、あれって……そういう意味だったのね
“私の娘”
「ねえ、リイナちゃんは、聖印の儀まで、こちらで過ごすの?」
「いえ。せっかくですから、残りの巡礼地を回りながら、そのまま王都の神殿へ向かおうかと」
「そう……クラリス、ちょっとがっかりしてるんじゃない?」
テオのお母様がくすっと笑い、テオの肩を軽く叩いた。その仕草は親しみと、優しさに満ちていた。
「でも、テオも一緒に行くのでしょう? あなたには、大きな責任があるわよ。しっかり守ってあげてちょうだい」
「……当然です。リイナは、私の婚約者です。必ず守ります」
きっぱりとしたその言葉に、私は嬉しくなった。テオのまなざしはまっすぐで、揺るがなかった。
「それに――公爵様が……護衛の手配に、物凄い気迫で動いてくださって。安全面は万全かと」
「ふふっ、なら安心ね。じゃあ、私は、クラリスとお茶してくるわ。久しぶりに積もる話があるもの」
軽やかにそう言って立ち上がると、お母様はふと振り返り、柔らかく笑った。
*****
その後の数日間、私はこの邸で静かで暖かな日々を過ごした。
庭の花々に水をやりながら、お母様とお茶を飲んだり、クリスと読みかけの本の続きを一緒に読んだり、お父様と並んで少し遠くの丘まで散歩をしたり。
そんな何気ないひとときが、たまらなく愛おしく感じられた。気づけば私は、この温かな時間で“家族”とを感じるようになっていた。
――旅立ちの朝
その別れは、思っていた以上に胸を締めつけた。
玄関先で見送ってくれた家族の前で、私は微笑もうとした。けれど、クリスが泣きながら飛びついてきたとき、張りつめていたものが一気にほどけた。
「行かないで……!まだ一緒にいたい……っ!」
小さな手がぎゅっと私の服を握りしめる。あたたかな涙が袖を濡らし、震える肩越しに、彼の鼓動が伝わってくる。
「すぐに、また会えるわ」
私はそう言いながら、そっと彼の頭を撫でた。それなのに、自分の涙が止まらなかった。名残惜しさに後ろ髪を引かれながらも、私は馬車に足をかける。
そのとき、お父様の低く、しかしはっきりとした声が背中から届いた。
「王都で会おう。……くれぐれも頼んだぞ、テオ」
振り返ると、お父様がまっすぐ私を見つめていた。その眼差しには、私への信頼と同じくらい、テオへの深い願いが込められている。
「……はい。必ず」
隣に立つテオが力強く頷いた。その横顔には、静かな決意と責任の色がはっきりと浮かんでいた。
「では、行ってまいります」
テオも横で無言で頷き、馬車の扉が閉まる。やがて揺れる車輪の音とともに、私たちの旅路がふたたび始まった。
家族の姿は、徐々に小さく、霞んでいく。記憶の中の馬車の景色と重なるが、両親は微笑んで手を振っている。
クリスが涙を拭いながら手を振り続けているのが見えた。私は窓から身を乗り出し、最後までその手を振り返しながら、心の中で誓う。
聖印の儀の日、家族の前で、私は“誇れる家族”となる、と。
それが――
きっと、新しい私の始まりになるのだと。




