26.家族の祈り
「この国で“金の髪”は、王族の血を引く証……私の祖父は、先王の弟。王弟だった」
公爵が穏やかに語ったその言葉に、私は思わず息をのんだ。
「私にも、何代も遡れば王族の血が流れています。……リイナと同じようにね」
夫人が微笑む。どこか寂しさを含んだ微笑みに、胸がざわついた。
「でも……私、“リイナ”です」
それがやっとのことで出てきた私の言葉だった。私は、そう呟くことしかできなかった。
「ええ、リイナ――その名前は、あなたの“本名”リディアナの愛称なのよ」
「愛称?」
「幼かったテオドールが“リディアナ”と上手に言えなかったの。だから、彼はあなたを“リイナ”と呼ぶようになったの。可愛らしい響きでしょう? そのうちに、みんながそう呼ぶようになったのよ」
夫人は小さく笑う。懐かしさと切なさが入り混じった、温かい笑みだった。
テオが、私を……?
私は彼の方を振り向く。彼はじっと私を見つめている。呟くように、かすれた声で言った。
「……リイナが、リディアナ……?」
彼の瞳には、まだ混乱が渦巻いている。けれど、それは私も同じだった。
「すべて、私たちの責任なの」
夫人がゆっくりと語り出す。
「金の髪――それだけで、誰に教えられずとも分かってしまう。高貴な血筋だと。特別な存在だと。周囲がそう扱う……いえ、そう見ずにはいられないの」
公爵夫人は静かに言った。
「だからこそ、あなたが高慢な聖女になってしまわぬように。周囲の目に晒され、孤独のうちに心を歪められぬようにと……私たちは、髪色を隠す魔道具を与え、神殿へと送り出す決断をしたのです」
――私に、ために。
その言葉の意味が、ゆっくりと胸に降りてくる。
「けれど……」
公爵の声音が変わった。押し殺していた怒りが、ひとつひとつ言葉になる。
「だからといって……髪が茶色いだけで見下されていたなどと……おのれ……許さない……!」
公爵の声が怒気に震える。
「そうよ、名乗り出ずに、ずっと耐えていたのに……! エリーに教育係としてあなたに近づいてもらうよう頼み、成長を聞くのを楽しみにしていたのよ。王都にいても簡単に会える立場ではなかったから。あなたが、治療をしていると聞いてからは、小さな傷を負ったら、すぐにあなたのところに飛んで会いに行ったわ。名を呼ぶことも抱きしめることもできずに、ずっと我慢をーーなのに、あなたが、あんな目に……!」
「抗議する! 神殿の腐った体制にも、神の名を騙る者たちにも。神の御名のもとに、あの者たちは罰せられるべきだ!」
「ええ、絶対に許しません。……ごめんなさい、リイナ。私たちを許して。あなたの不遇は、私たちの選択のせいだった……」
この方たちが私の両親ーー。信じられない。でも、間違いなく、私のために怒り、私のために涙を流している。
「謝らないでください。……高慢。きっと、そうなっていたかもしれません」
私はそっと目を伏せて言った。
「皆に持ち上げられて……“聖女様”と呼ばれて、甘えて。……身分を盾にするようになっていたかもしれないです。自分では気づかぬうちに」
胸の奥が、少し痛んだ。実際に見てきたのだ。
かつては優しく、穏やかだった聖女たちが――少しずつ、変わっていった姿を。大聖女様が、いなくなってから、誰かが彼女たちに何かを耳打ちするたびに、尊大な振る舞いをするようになった。
自分もそうなっていたかもしれないと思うと……否定できなかった。
私はゆっくりと顔を上げる。目の前にいる夫人と公爵を、まっすぐ見つめて。
「まだ、正直に言えば……娘だという実感はありません。でも……その、私のためにしてくださったこと、見えないところで、ずっと見守っていてくださったこと。感謝しています」
夫人が、そっと口元を押さえたかと思うと、次の瞬間には、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
続けて、公爵も、堅く結ばれていた口元を崩し、大きな手で顔を覆うようにして、嗚咽を漏らす。長い間張りつめていた糸が、ぷつりと切れたように。
「……うぇぇん……」
ふと視線を落とすと、小さな男の子――あの天使のような子が、両親の泣き顔を見て、目を真っ赤にして泣き出していた。
この子が……弟
「あらあら、クリストファーまで泣き出したわ。ふふ……ねえ、クリス。目の前に、あなたのお姉様がいるのよ」
「ぐす……ぼくの……お姉様?」
なんて可愛いの。真っ赤な目で、こちらを見上げてくる。
「はい。……私が、あなたのお姉様、だそうです」
「うわー! お姉様? ぼくのお姉様なの?」
ぱあっと笑うその顔に、思わず頬が緩む。なんて、なんて可愛らしいのだろう。
だが、そこに我に返ったテオの声が割って入った。
「……公爵夫人。私は、母から……リディアナは死んだ、と聞かされていました。私が知っている“リイナ”は、もういないのだと」
「本当に? セリーナが? 変ね……リイナは、ちゃんと生きてここにいるわ」
テオが、私をまじまじと見つめる。その目は、揺れていた。何かを理解しようとして、心の奥で何かが崩れていくような顔だった。
「……だから、放っておけなかったんだな……」
彼は独り言のように呟いた。
「……すみません、私、幼すぎたのか……神殿に入る前の記憶が、ほとんどなくて。あの……テオとは、昔……?」
「ええ。セリーナが連れて、テオドールはよく我が家に遊びに来ていたの。あなたが生まれてから神殿に預けられるまで。5つ上のテオドールが、よくあなたと遊んでくれていたわ」
でも――私は、テオのことを何も覚えていない。
「リイナ。突然のことで混乱していると思う……でも、どうか、私たちのことを“家族”として、少しずつでも受け入れてもらえたら、嬉しい」
「ええ……毎日、会いたかったのよ。ずっと、あなたを想って涙を流してきたわ。……できれば、“母”と呼んでほしいの」
私の記憶は、間違っていなかった。泣きながら私の名を呼ぶ声。愛されていた記憶は、夢なんかじゃなかった。
私は――静かに、深く、頷いた。




