表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】明日も、生きることにします  作者: 楽歩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/40

22.旅の終わりまでに答えを

 夕食の席。


 天井の高い晩餐室に灯るシャンデリアの下、重厚な長いテーブルが静かに煌めいていた。ひとつひとつの食器が丁寧に磨かれ、飾られた花瓶の花がほのかに香る。


 私は、緊張で背筋をきちんと伸ばしていた。それでも、それに気づいたのか、テオの父上――伯爵様が、優しい目を向けてくださった。



「聖女様、ようこそ。我が領へ」


 低く、落ち着いた声音だった。そこにはただの形式的な敬意ではなく、深く静かな温かさがこもっていた。

 伯爵様の目元には、柔らかな光が宿っていた。私は胸に手を当て、静かに頭を下げた。


「ありがとうございます。温かくお迎えいただき、光栄です」


 そう応えると、伯爵様は穏やかに頷かれた。その一挙一動に、品と誠実さがにじんでいる。



「昼間は、我が妻が……迷惑をかけたようで、申し訳なかった」


 言葉と同時に、伯爵様は深々と頭を下げかける。隣に控える夫人まで、申し訳なさそうに小さく体を傾けたので、私は慌てて首を振った。


「とんでもございません。何ひとつ、迷惑など……。むしろ、あたたかく迎えてくださって感謝しております」


 私の言葉に、夫人はぱっと表情を明るくし、目を潤ませた。その姿に――ふと横を見ると、テオが眉をひそめていた。


 ……やはり、テオが伯爵様に言ったのね。


 伯爵様が、少し声を和らげて言った。



「そう言っていただき、ありがたい。妻にも私から、よく言い聞かせておいた」


「本当に……ごめんなさいね。嫌われてしまったかと、怖かったわ」



 夫人が小さく笑って、しゅんとしながら頭を下げる姿は、どこか可愛らしくて。思わず、私も笑みを返していた。


 その後、伯爵様はゆっくりと語るように続けられた。



「聖女様は、巡礼をなさっていると聞いた。隣のルヴェラン領には、公爵家が治める神殿があるのだが――実は、妻とその公爵夫人は、学院時代からの友人でな。身分は違えど、今も親しくさせてもらっている」


 そこでふと、伯爵様は私の目をまっすぐに見た。


「もう、巡礼のことは手紙で知らせておいた。ルヴェラン領の神殿でも、迎えの準備は整っているはずだ。急がず、ゆっくり向かうといい」


「……はい。ありがとうございます」



 その言葉には、“聖女”という立場にではなく、親しい向けられる配慮と優しさが滲んでいた。家族の誰かを案じるような、柔らかなまなざしだった。



「道中の景色も、なかなか良いのよ。テオに案内してもらって」


 と、夫人がにこりと微笑んだ。


「はい。とても楽しみです!」



 言葉の端々から、私を気遣おうとしてくださる想いが伝わってくる。


 そのあとは、和やかな空気の中で食事が進んだ。夫人が、ふと懐かしそうに笑いながら言った。



「テオが小さい頃はね、冷たいものを食べるとすぐお腹を壊して……夏でも氷菓子はお預けだったのよ」


「母上っ……それは、今、言う必要ないだろ……!」


 テオが真っ赤になって抗議するけれど、夫人はそれをひらひらと手でいなした。



「だって、あの頃のあなた、本当に可愛かったんだから」


 私は、思わず吹き出してしまった。そのやりとりが、あまりにも自然で――心地よくて。


 ああ、夫人はこうやっていつもテオをからかっているのね。


 こんなふうに、笑って話せる食卓があること。たわいのない話で顔をほころばせて、からかい合って、冗談を言って……「家族」って、こういうものなのかもしれない。


 私には遠くて、知らなかった。けれど今夜、ほんの少しだけ――その温もりに触れた気がした。




 *****



 夜。



 月が静かに空の頂にかかっていた。銀色の光が、館の回廊を静かに照らしている。


 私は眠れぬまま、部屋をそっと抜け出した。誰にも気づかれぬように扉を開け、長く続く石造りの廊下を歩く。足音を忍ばせるように。


 やがて、ベランダに辿り着く。重たいカーテンを指先で押しやると、月明かりがふわりと私を包んだ。夜の庭園は静謐で、時が止まっているかのよう。遠くで木々がさやめき、どこかから甘やかで熟れた果実の香りが風に乗って流れてきた。鼻先をくすぐるような匂いに、思わず笑みが浮かぶ。


 そんな時だった。気配が、ふと隣に現れた。



「……母上が、悪かったな」


 声の主は、テオだった。見上げなくてもわかる。彼の声は、いつもまっすぐで、少し低くて、今夜はとりわけ静かだった。



「いいえ、優しい方です」


 私はゆっくりと言葉を紡ぐ。



「あの嘘が本当で、私のお母様だったら……どんなによかったかと、思いました」


 そして、そっと笑う。



「でも……テオが兄じゃないとわかって、なぜか、ほっとしました。……うまく言えないのですが、血がつながっていないことが嬉しくて」


 テオは、言葉を詰まらせた。少しの間の後、静かに息を吐く。



「リイナ……神殿に戻りたくないなら、聖印の儀のあとも俺と一緒に旅を続けてもいいんだ」


 彼の声が、月光のようにまっすぐ私の胸に届く。その声音が、どこまでも真剣で。私は、思わず彼に顔を向けていた。



「……ほっとけないんだ。お前が視界から消えると、不安になる」


 そんなふうに言われたのは、生まれて初めてだった。私は誰かにとって、"いなくなると困る存在"なのだろうか。そう思えたことが、嬉しかった。



「……俺のそばに、ずっといるか?」


 その言葉に、心臓が跳ねた。目の奥が熱を帯びる。そばに、ずっとーー。



「そ、それは……結婚という意味ですか!?  あ、……また、私……何か、間違えましたか……?」


 うろたえる私に、テオはふっと笑った。あきれたような、それでいてどこか愛しそうな笑みだった。



「いや、間違ってない。そういうことだ」



 間違ってない。


 自分には縁のないものだと思っていた。ずっと神殿にいて、祈りを捧げて、癒して、そうして人生を終えていくのだと。それが当たり前で、それが“自分の道”だと、受け入れていたのに――


 今、こうしてテオがいて。彼の横顔が、月明かりに照らされていて。伸ばせば届く距離に温もりがある。触れたい、と思ってしまう自分がいる。



「旅の終わりまで、考えていてくれ」


 その言葉は、優しくて、少しだけ不器用で、けれど私の胸に深く、深く染み込んだ。迷いも、不安も、全部丸ごと受け止めてくれるような声音だった。


 私は、静かに頷いて目を伏せた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ