19.祈りの夜に聴く鼓動
「お、お前は許しを請う祈りの最中に、そんなこと考えていたのか?」
テオが、呆れたように眉をひそめる。なぜだろう。そんなに変なことを言ったつもりはなかったのに。むしろ、私はとてもいいことなことを思いついたと思っていたのだけれど。
「大丈夫ですよ。祈りの最中にひらめいたことは、神の啓示。最良の答えと習いました」
私がそう言うと、テオは眉間にさらに皺を寄せた。少し困ったような顔で、けれどどこか笑っているようにも見える。
「多分、何かが違うと思うぞ?」
それでも、口元はわずかに笑っていた。からかうでもなく、呆れるでもなく、本当に「変わったやつだな」と思っている、そんな顔だった。
「また冷えたら風邪を引きます。二人で使いましょう」
そう言うと、テオは目を瞬かせて私を見つめた。
「……本気か?」
「はい!」
私ははっきりと頷いた。けれど――テオは、何かを呑み込むように言葉を探し、そして、口を開きかけて……言いかけた言葉をそのまま飲み込んだ。
「……はぁ」
長く、静かなため息。
「……未婚の男女が同じベッドに入ったら、それこそ……まずいって習わなかったか?」
「なぜです?」
私は小首をかしげた。
「急病の母に付き添っていた、小さな男の子が不安そうだった時。何度も、添い寝してあげましたよ。心細さを和らげるのに、とても効果がありました」
「……俺は成人だし、心細くもないがな……」
テオは少し俯き、ぼそぼそと小さな声で続けた。
「……手を握るのは駄目で、添い寝はいいのか? いや、意識されていないのか……?」
聞き取れないほどの呟き。でも、その声音には照れと諦めが入り混じっていて、何より、彼の耳がうっすら赤く染まっているのが、よく見えた。
「今、何か言いましたか?」
「……とりあえず、飯を食おうか」
私たちは、テオが持ち帰ってきたパンと干し肉、簡素なチーズを分け合い、静かな食事を交わした。
テオは急に黙り込んでしまった。
雨は、まだ止まない。屋根に落ちる雨粒の音が、一定のリズムで響く。二人の沈黙を埋めてくれる優しい拍子のようだった。
食後、灯りを落とすと、部屋はほの暗く、ただ雨音だけが残った。私は、布団の片側に入り、反対側に少しだけ空けておく。
「入らないのですか?」
「はぁ、ルカに怒られる……」
ため息混じりの声が聞こえた。ルカに怒られるようなことをしたのかしら? そうだった! 橋を渡るとき、手を出されたのだったわ。黙っていてあげないと・・・・・・
お風呂で温まり、お腹も満たされた。疲れていたはずで、すぐ眠れるだろうと思っていたのに、目が冴えてなかなか眠れない。静かな夜に、雨の音だけが、ぽつりぽつりと耳に届く。
「さすがに狭いな」
すぐ隣から、テオの声がした。思わず、どきりとする。
「あの、テオ? ち、近くないですか……?」
体温がすぐ近くにある。肩が触れた。手が、少しだけ当たった。そのたびに、胸がぎゅっとなって、息がうまくできない。
「添い寝ってこんなもんだろ? お前が言い出したんだからな」
何も間違っていないはずなのに、なぜか恥ずかしくなる。テオの笑い声が、耳元で響く。優しくて、くすぐったくて、思わず顔まで熱くなった。私は急いで布団に潜り込む。
「近すぎて……心臓の音が聞こえます。……生きていますね」
冗談めかして言ったつもりだったけれど、本当に聞こえる鼓動に、何とも言えない安心感があった。
「はは、俺は死ぬ気はないからな。止まったら叩いて起こせよ」
「わ、わかりました。お任せください。寝ずに確認します!」
「……冗談だ」
柔らかい声。怒っているわけでも、呆れているわけでもない。むしろ、笑っているような、そんな響き。布団の中はあたたかくて、空気は柔らかい。
「まだ起きていますか?」
「眠れないのか?」
「ええ……考え事をしたら」
問いかけた声に、テオはすぐに応えてくれた。そのことが、ただ嬉しかった。
「何だ?」
「神殿に来られないような場所に、あのような方々がたくさんいらっしゃるのなら……私に、何ができるのでしょうか?」
これまで見た光景が、瞼の裏に焼きついて離れない。祈りの届かない土地で助けを求める声に、私はどれだけ答えられるのだろうか。
「何でもできるかもしれないし、何もできないかもしれないな」
淡々としたテオの言葉。でも、その声は、やっぱり優しかった。
「そうですね」
どこか納得して、どこか悔しくて。だけど、今の私には、それが現実だった。
「考えても結論が出ないときは、考えるのをやめたときに、いい答えが見つかることもある。……それこそ、祈りの最中にじっくり考えればいい。でも明日にしようぜ。眠れないなら、俺の心臓の音でも数えながら、早く寝ろ」
「分かりました。おやすみなさい」
「……ああ」
心臓の音が、すぐそばで、静かに響く。その一定のリズムが、まるで子守唄のように感じられる。雨の音は遠く、眠りの淵へと私を誘う。
そして――まどろみの中、どこか懐かしい声がした。父と母だろうか。優しく「リイナ」と名を呼ぶ声。
温かくて、穏やかで、幸せな夢だった。




