表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】明日も、生きることにします  作者: 楽歩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/40

18.光の届かぬ夜に

「すげえ雨だな」



 テオの低い声に、思わず馬車の外に目をやった。空は墨を流したように曇り、音を立てて降りしきる雨が、すべてを灰色に包み込んでいた。



「馬車、あの橋渡れるでしょうか?」



 目を凝らすと、向こうの橋を流れる川が、じわじわとその幅を広げているのが分かる。水かさが、確実に増している。



「俺が先に行って見に行ってくる」



 そう言うなり、テオはマントを翻し、雨の中へと飛び出した。止める間もなかった。

 でも、……時間が経っても、帰ってこない。



「テオ様、帰ってきませんね」


「そうですね、あっ! 私見てきますね」



 そう言って馬車から降りる。ルカの驚いた声が背後から聞こえた。



「え? あ! リイナ様ーー!」



 けれどその声は、雨音にかき消される。髪も裾もすぐに重くなる。けれど、構っていられない。川の流れが、いまにも怒り出しそうに唸っている気がして。


 テオが心配だわ。


 橋までたどり着くと、向こう岸から戻ってくるテオの姿が見えた。思わず橋を渡り、駆け寄る。




「リイナ! 危ないだろ、待っていないと!」


「すみません、何かあったのではと、心配で……」



 ほんの少し睫毛にかかった雨粒が、彼の眼差しを柔らかく揺らした、そのときだった。轟音が川の奥底から響く。



「まずい、鉄砲水だ!」



 言うが早いか、私は手を引かれ、橋を駆け抜けた。水飛沫を跳ね上げながら、息を切らして走る。ようやく向こう岸へ辿り着いたとき、反対側の岸辺にいたルカが声を上げた。



「ご無事ですか、二人とも!」


「……ああ、大丈夫だ。だが戻るのは無理だな。ルカ! もうすぐ夜になる。二手に分かれよう。宿を探して、明日ここで落ち合おう」


「分かりました、テオ様。でも……分かっていますよね。手を出したら、軽蔑しますからね!」



 手……? 大変だわ! さっき、手を引かれてしまった。



「余計なことを言わずに早く行け! 荷が駄目になる!」



 テオの声に、雨音が打ちつける。道は泥に変わり、空気は冷たく湿っていた。


 ようやく街の明かりが見えてきたとき、私は小さく息を吐いた。張りつめていた胸が、ほんの少しだけ緩む。冷たい雨が衣の隙間を縫って染み込んでくる。濡れた足元は重く、身体は芯まで冷えていた。ふと横を見ると、テオの肩も濡れていた。


 やっとの思いで宿屋の軒先にたどり着いたとき、私たちは互いに目を見合わせて、ほっとしたように小さく笑った。



 *****



「この大雨だろ? 宿がいっぱいなんだよ。部屋が一部屋しかないが、どうする?」


 宿の女将さんは忙しそうに言う。



「……まあ、一度一緒に野宿してるから、平気だろ。いいか?」


「はい、大丈夫です」



 よかった、一部屋あいていて。



「女将、実は着替えがない。なんとかなるだろうか?」


「今日来た客はみんなそうさ。今、服屋が大量に服を持ってくるから、着いたら声かけるよ」


「助かる。……じゃあリイナ、先に部屋に行こう」



 部屋の扉を開けると、木製のベッドが一つ。そして壁際に小さなソファ。テオがため息まじりに言った。



「やっぱりベッドは一つか。まあいい。ソファがある。俺はこっちで」


「え? 私がソファです」


「いや、俺は野宿慣れしてる。何なら床でも――」


「お金を出しているのはテオです。それに……そのソファ、テオには小さいです」


「お前は俺が、女を粗末なソファに寝かせて熟睡できる男だと思ってるのか?」


「……頑固ですね」


「そっちもな」



 ふたりして目をそらす。どうしましょう。そのとき、階下から女将さんの声が響いた。



「服屋が来たよー! 降りてきな!」


「……とりあえず、服を買って風呂に入ってから相談だ」



 *****



 湯船の熱が、冷えた体をようやく温めてくれた。部屋に戻ると、机の上に小さな紙切れが。


『食べ物を買ってくる』そう書かれたテオの字。


 私は窓の前に膝をつく。手を組み、目を閉じる。



「どうか、この雨が恵みとなりますように。皆が無事でありますように――」



 この時期に、これほど激しい雨は珍しい。光の差さない空が、心まで曇らせる。



 カタン



 扉の開く音。振り返ると、濡れた外套のフードを下ろしたテオが、袋を片手に戻ってきていた。



「――あ、テオ。お帰りなさい」


「……すまない。邪魔したか?」


 足音を立てぬように静かに入ってきた彼は、こちらの祈る姿に、どこか申し訳なさそうに言った。



「いいえ。ちょうど祈りを終えたところです」


 テオは黙って頷き、濡れた外套を脱ぎながら、そっと問いかけてきた。



「……何を、祈っていたんだ?」


 私は少しだけ考えたあと、そっと言葉を紡いだ。



「神に感謝を。そして皆の平和を。……もしかしたら、この光の差さない天気は、神が私を咎めているのかもしれません。聖女として全うしなさい、と。心を曇らせてはいけない、と」


 少しだけ震えた言葉に、テオは黙ってこちらを見つめると、静かに言った。



「……そうか。でも、神は――きっとそんなことで、お前を咎めたりしない。むしろ、ちゃんと祈れるお前を、褒めてると思うぞ」


「ふふ。ありがとうございます、テオ」


 私はふわりと笑った。



「それで……祈りの最中に、ひとつ思いついたのですが……」


 彼に向き直り、切り出す。



「一緒にベッドを使うのは、どうでしょう?」



 その瞬間――テオが手に持っていた袋が、指の間から音もなく滑り落ちた。中から、パンとチーズが転がる。彼の目が見開かれ、唇がかすかに震えている。



「お、俺に、今……何と……?」


 顔を真っ赤にしながら、固まった彼の様子に、私は首をかしげる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ