16.神に仕える者として side大聖女
side大聖女
「だ、大聖女様、こちらにお見えになるのは来月のご予定では――」
声をかけた神官の言葉は、途中でかすれた。私の表情に、何かを感じ取ったのだろう。
「神より神託が下ったのよ。皆を集めてちょうだい」
背筋を伸ばして言うと、場の空気が一気に張り詰めた。神託――その言葉がもたらす重さは、彼ら自身が一番知っているはずだ。
「聖女のお二人は式典のため、王宮へ。……光耀の癒聖は、その、今は神殿におられません」
やはり。私の胸に去来するのは、確信だった。
「……光耀の癒聖が、なぜ神殿にいないのかしら?」
「そ、それが、神託が下りまして……巡礼へ出られたと」
「ば、ばか! それは……!」
動揺した神官の声をかき消すように、私は笑みを浮かべた。
「へえ、神託? 一体、私以外の誰が神の声を聞けるというのかしら?」
神託――それは、大聖女であるこの私にしか下されない。神と心を通わせ、運命の兆しを読むことができる者は、他にいない。
「そ、それは……神官長が、そのように……」
「”光は汝らの手を離れた”――それが、神より私に下された言葉。これが何を意味するのか、分かる者は?」
誰も、口を開かない。ただ目をそらし、押し黙るだけ。愚かしくも、罪深い沈黙。
「神官長をすぐに呼びなさい」
遅すぎた。あの子が手紙に何も書いてこなかったことに、違和感を覚えるべきだった。この空気、この空白。光の癒聖が、ぞんざいに扱われていたとしか思えない。
「大聖女様、お呼びと聞き、参りました」
神官長が駆けつけてきた。だが、その顔には誠実な憂いの影もない。
「光耀の癒聖が巡礼とは、どういうことです?」
「癒聖が、自ら望んで旅立ちました」
「神託があったと、先ほど聞きましたが?」
私は静かに尋ねた。その声に、神官長の肩がわずかに震えたのを、私は見逃さなかった。
そして、神官長のその眼差しが、周囲の神官を睨みつける。
「……いつから、あなたに神の声が届くようになったのかしら?」
私は――過去の因果と、未来の兆しを読み解く者“深淵の預言”そう、呼ばれている。祈りの中にこそ、神の声は響く。そして、それを受け取れるのは、この私ただ一人。
「神託を偽り、光耀の聖女を神殿から追いやった……それが事実なら、大罪よ。王都を覆うこの厚雲と風雨は、まさにその報い」
私の言葉に、周囲の神官たちは青ざめ、ざわめきはじめた。
「神の言葉を偽り、神の娘たる聖女を陥れるような真似……神は、怒っておられるわ」
「……神が……お怒りに……?」「わ、我々は見捨てられるのか……?」
ざわめきが広がる。恐怖と動揺が波紋のように広がり、聖堂の柱すら軋むように思える。
「神官長、あなたは私についてきなさい。事情を詳しく説明してもらうわ。ほかの者は聖堂へ。祈りを捧げ、神の許しを乞いなさい。まずは、この天の怒りを鎮めなければならない」
神官長の部屋で、ことの成り行きを聞く。
誰も供をつけずに一人で巡礼? 食べるのが大好きな子が食事を残す? 皆の世話を進んで焼くようなあの子が、世話役を追い出す? 散財なんて想像もできない。
目の前の神官長からは、保身の言葉しか聞こえてこない。
「ですから、これは試練なのです。光燿のせいじょが立派な聖女となるためにーー」
「聖女は、神官長であるあなたよりも、上の存在。神官に、神の試練を語る資格などありません。与えるのは、神だけです」
「しかし光耀の聖女は、平民出身です」
私は一歩、彼に詰め寄った。
「黙りなさい。神が選んだのです。身分がどうであろうと、神の娘であることに変わりはない。それを、あなたたちは……!」
神官長の顔に、納得しきれぬ色が浮かんだ。
「……ことの重大さが、まだ分かっていないようね」
静かに告げたその言葉が、部屋の空気を氷のように冷やした。
「もし――あの子に、何かあれば……あなたは即刻、処刑されるわ」
私の声は静かだった。けれど、神の前に立つ者としての断固たる怒りが、その一言一句に込められていた。
「私がですか?」
訝しげな表情で自分の保身のために口にする疑問。
「もう一度言うわ」
私は神官長の目を見据える。そこにはもはや慈悲はない。主に仕える者として――神の意志を歪め、聖なる使命を私欲で汚した者には、赦しなど与えられない。
「“あの子”は神が選んだのよ。神官長のくせに、それすら理解できないなんて……恥を知りなさい。たとえ無事だったとしても、あなたがその地位に居座り続ける理由は、どこにもないわ」
神の声を聞くのは私だけだ。あの子に与えられた“光”の力は、まさに神の祝福そのもの。そんな存在を追い出した罪は、人の裁きのほうが、優しいくらいだ。
「しかし、光耀の癒聖が死んだとしても、新しい聖女が選ばれるだけでしょう?」
その言葉に、私は短く息を飲んだ。静かに、でも確かに――心の奥に傷が走ったのを感じた。
「……あなた、私のこともそう思っていたのね」
声が自然と低くなっていた。
「代わりなんて、いくらでもいると」
長い沈黙が落ちた。重い、陰鬱な空気が部屋を支配する。神すら目を背けたかのように。
神官長はかぶりを振り、顔を真っ青にして膝を折った。
「・・・・・・申し訳ありません、失言でした」
ようやく口にした謝罪は、歪んだ敬意が含まれていた。
コンコンコン
控えめな音が響く。
「大聖女様、聖女お二方がお戻りになりました」
「……今すぐここに来るように伝えてちょうだい」
静かに、しかし一切の感情を抑えて命じる。声に余計な揺らぎを混ぜてはいけない。私が揺らげば、すべてが崩れてしまうから。
――偽られた神託を見逃した、その責は、あの子たちにもある。
けれど、それが責を問うことが、私にとってどれほど苦しいことか――。
私は、三人の聖女たちを、等しく妹のように可愛がっていた。幼くして神殿に来た子たちと共に祈り、共に修練した。清らかで、真っすぐで、神に選ばれた尊い娘たち。だったはずだ。だからこそ、裏切りにも似た沈黙が、胸に突き刺さる。
“見逃していた”のか、それとも――“見て見ぬふり”をしたのか。
あの子たちには、神に仕える者として、誇り高くあってほしいと、願っていたのに。




