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【完結】明日も、生きることにします  作者: 楽歩


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15.光の不在 side とあるシスター

 side とあるシスター



「もう、嫌! なんで、こんなことまで私が……」


 荒れた手のひらを見つめながら、シスターの一人がぽつりとこぼした。呟きはため息に混じり、空気のように周囲へと溶けていく。


 誰もが、あのときは笑っていたのだ。光耀の聖女が、たった一人で巡礼に出ると聞いたとき——。


「平民が、神殿からいなくなるんだって」

「巡礼? 旅? ふふ、世間知らずの聖女様が、野宿でもするのかしら」


 そんな言葉が交わされていた。陰口というより、嘲笑に近かった。だが今、誰も笑っていない。いや、笑えるはずがなかった。現実が、あまりにも過酷すぎて。


「ほら、手を止めないで。終わらないから」


 苛立ちを隠す気もない声が、空気を裂く。今日もまた、堂内の掃除。焚香の準備は朝と夕で二度。聖具の手入れは細かく、丁寧に。少しでも手を抜けば「不敬」とされる。重ねた作業に、手はひび割れ、指先はささくれだらけになっていく。


 少し前までは、こうした“雑務”は、光耀の聖女が担っていた。



「光を宿す者なら、神殿の浄めなど朝飯前でしょう?」

「癒やしの力があるなら、疲れ知らずなのよね?」



 ……そう、“押しつけていた”ことを、皆が一様に忘れていた。


 いつの間にか、それが当然になっていたからだ。彼女がやることが普通で、私たちはやらないのが普通になっていた。





「ここはまだ……いいほうよ。併設されてる診療所は……もっと、ひどいらしいわ」


 ぽつりと呟いた声に、周囲の空気がわずかに重くなる。誰もがその言葉の続きを、うすうす想像していたのだ。けれど、目をそらしてきた。


 聞けば、診療所では毎日のように急病人が運ばれてくるという。高熱にうなされる子供、毒にあたった労働者、倒れたまま運び込まれる老婆……。汚物にまみれ、呻き声が響くその場所は、神殿の“聖域”とはかけ離れている。それでも、そこもまた神の御許のもとに置かれた「癒しの場」だった。


 ——だからこそ。それに見合った「奉仕」が当然のように求められる。


 嘔吐物の処理。血まみれの包帯の洗濯。腐った膿の匂いが染みついた寝具の交換。そういった“汚れ仕事”の数々を、光耀の聖女に「ついでだから」「お願いね」と、誰もが当たり前のように押しつけていた。


「癒せる力があるなら、汚れ仕事も一緒にやってもらえば効率がいいじゃない?」



 誰かがかつて口にした言葉だった。確かに、と誰かが笑った。その通りだと、頷く声もあった。私たちは、それをおかしいとも思わなかった。



「夜間に病人が来れば呼び出されるし、何かあれば責任は担当した者。……異動を願い出るシスターが多いのも無理ないわ」



 そう言った声は、同情というよりは呆れに近かった。診療所は疲弊の最前線であり、心を擦り減らす場所でもある。動きが遅ければ責められる。「ならば」と逃げるように異動願を出す者が後を絶たない。


 ……でも、私は代わってあげようとは思わない。


 他人事のように、思考が冷たくなる。私がその立場に立ったら、きっと耐えられない。だから私は、祈りと歌と、堂の掃除の範囲で済むこの場所にいたい。誰かが担ってくれるなら、そのほうが楽だもの。




「神官たちも、ずっと寝不足らしいわね」



 聖堂では夜も「神への祈り」が交代で続けられている。だけど、『光の名を冠する“光耀の癒聖”なら、夜を照らすように祈れるはずだ』そう言って、光耀の聖女を夜の当番に固定していた。


 夜の祈りに不慣れな神官たちが、その生活に慣れるには時間がかかる。祈りに集中できずにいると、その姿を見た炎煌の聖女が苛立ち、『そんなことじゃ、まともな結界が張れないじゃない』と叱る場面を、私は何度も見てきた。


「光耀の聖女がいない今、癒しの手が足りなくて……。最近は樹霊の聖女のポーションも、平民にまで回しているらしいわよ」


「だから、あの方……最近ずっと不機嫌なのね」


 ポーション作りが倍になったうえに、神殿の温室の薬草も枯れてしまったとか。思うように仕上がらない調合に苛立ち、夜を徹して籠もっているらしい。


「こう言っては何だけど、本当に……神官長様も、軽率というか、余計なことをしてくれたものよね」


「あら、あなた、あの時『いい気味だわ』って言ってたじゃない」


「だって……あの子、平民なのよ? それでいて“聖女”に選ばれたなんて。あんな子でいいなら、私だって……そう思わない?」


 ……皆、そう思ってるわ。ここにいるシスターは。


「知ってる? その神官長様、祈祷記録や寄付の帳簿、それに面倒な事務仕事まで、彼女にやらせていたらしいのよ」


「えっ、そうなの? ……通りで。知り合いの神官が、最近帳簿の文字が読みにくいって文句言ってたの。それ、神官様の字だったのね」


「やらせていたのを忘れていたのか、それとも……特に問題ないと思っていたのかしらね」



 誰かが吐き出すようにため息をつく。



「……早く帰ってきてもらわないと、本当に困るわ」


「そうね。神官長に、それとなく伝えてみましょうか」


「ええ、他の子たちにも、声をかけておくわ」



 ——早く戻ってほしい。


 私はね、目立って美しい仕事だけしていたいの。汚れ仕事は、光耀の聖女の役目なんだから。


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