14.祈りと争いの狭間で side 樹霊の慈愛
side 樹霊の慈愛
「あなたも習ったでしょ、ポーション作り。手伝ってよ」
私は声を掛けながら、手にしていた乳鉢を止めた。薬草をすり潰していた指先には、既にうっすらと痺れるような疲れがある。けれど、それ以上に胸の内に滲んでいたのは、焦りと苛立ちだった。
炎煌の聖女は私の言葉に、あくびでも噛み殺すような態度で応じた。
「苦手なのよ。細かい作業は。魔獣を倒している方が、よほど楽だわ」
つまらなそうに薬草を摘んで、ぽいと机の隅に置く。その仕草に、あきれる。少しでも協力してくれたら、今よりずっと早く終わるのに。
「……役に立たないわね」
呟いたつもりだったのに、言葉は棘のように空気を裂いた。
「役? それはあなたでしょ?」
彼女の声色が変わる。表情には皮肉が滲んでいた。
「ポーションの量が足りないだけじゃなくて、品質も落ちたって、もう噂になってるわよ。知らないの?」
「っ……それは、シスターたちが下準備を怠ったから。薬草も神殿のものじゃないし。私のせいじゃないわ」
言い訳のように聞こえたのかもしれない。炎煌の聖女は肩をすくめた。
けれど本当だった。毎日のように指導しても、彼女たちはすぐ気を抜く。私がいくら手を動かしても、根本が崩れていれば意味がない。枯れた温室の薬草だって、元通りになるには時間がかかる。
こんなことで私の評判が落ちるなんて! 胸の奥には確かに冷たい怒りが広がっていた。
「それよりあなたこそ、結界がすぐ綻ぶって噂されてるの、知らないの?」
一瞬、彼女の手が止まった。やはり図星だったのだろう。
「それこそ神官たちが、祈りをサボらなければ! 私のせいじゃないわ。それにーー結界をはる祈りだって、みんな習ったはずよ。……何? あなたが代わりにやってくれるって言うの? まさか、あなたが魔獣を倒すって?」
「そんな野蛮なこと、できるわけないでしょう」
私は冷笑を返した。そういうのは、彼女のような力任せの聖女に任せればいい。私はポーションで人を癒すことが役目だし、向いている。
だけど彼女の目が、ふいに私を射抜く。
「野蛮? 上品ぶってるけど、知ってるのよ。あなたが、半分は平民だって」
私は言葉を失った。胸がぎゅっと締めつけられ、世界の音が遠ざかっていく。
「……どうして、それを……」
動揺が顔に出てしまうのがわかった。それだけは見せたくなかったのに。
「ヴァレンヌ伯爵家の庶子。母親は元使用人の平民だったんでしょう? 聖女に選ばれるまで、ずっと市井で暮らしていたって聞いたわ」
私は無意識に唇を噛んでいた。
「……調べたの?」
「いいえ。父が教えてくれただけよ」
彼女の声は冷たかった。まるで私の過去を、汚れた布のように引きずり出して見せびらかすように。
「今は正式にヴァレンヌ伯爵家の籍に入ってるわ。母も、貴族街の別宅に住んでる」
私は必死で言い返す。恥じゃない。認められたのだ、私たちの存在は。でも彼女は微笑んだ。その笑みにこそ、最も醜いものが宿っていた。
「ふふ……自分より“下”がいてよかったわね。そうやって、自分の劣等感を隠せたんだもの。平民の血が流れてる者同士、仲良くすればよかったのに」
「いい加減にして……私は、貴族の血もちゃんと入ってる! バルナック男爵家は伯爵家より爵位が下よ! 二人とも”下”だわ。なによ、偉そうに。ーー私だって、あなたが……あの子の予算を横領してたの、知ってるのよ!」
思わず叫んでしまった。喉が焼けるようだった。
私の口から、咄嗟に出た言葉。彼女はわずかに顔を引きつらせる。
「き、貴族の、純粋な貴族の私は何かとお金がかかるのよ。あなたこそ……食事や世話係、あの子に嫌がらせをしてきたくせに」
責任を押しつけ合うこの茶番も、あの子が巡礼に出てから、もう何度目だろう。
「――もう、やめましょう」
絞り出した声は疲れきったものだった。怒りを乗せるだけの気力も残っていなかった。けれど、その一言でこの場の空気はようやく落ち着いた。
「そうね……最近、忙しすぎて苛ついているのね。化粧のノリも悪いし、疲れがとれないわ」
彼女は鏡を覗き込みながら、愚痴をこぼす。私は、かすかにうなずくだけだった。
巡礼になんか出さなければよかったわ。――便利で、静かで、黙って従う存在。
「……神官長に、あの子を戻すように言いましょう」
「そうね。あの子が戻れば、元通り。祈りも、薬草の世話も……神官やシスターより役に立つわ」
「聖印の儀が終わったら、私たちは結婚して神殿を出て行く。だから、あの子に全部引き継がせればいい。どうせ、あの子は一生神殿から出られないんだし」
聖印の儀を終えてから結婚相手を探すなんて無謀だもの。ずっとここで神に仕えていればいいのよ。
「……とにかく、来週の式典までに、ポーション作りを終わらせなきゃ」
「私は、結界を直してくるわ……」
炎煌の聖女は踵を返し、部屋を出ていった。
私はその背中をただ見送る。拳を強く握っていたことに、あとから気づく。潰した薬草の青い香りと、胸の奥に残る鈍い痛みだけが、私の中に残った。




