13.静けさに灯る、その夜に sideテオ
sideテオ
焚き火が、ぱち、ぱち、と静かに音を立てていた。淡い橙の光が、夜の闇に溶け込むように木々の影を揺らしている。小さな村の外れ。古びた飲み屋の軒先に腰を下ろし、俺とルカは並んで湯気の立つ酒を手にしていた。人気もなく、風の音と焚き火のはぜる音だけが耳に届く。
「テオ様、駄目ですよ。リイナ様の手を急に握ったら」
唐突にルカが口を開いた。声は柔らかいが、呆れた空気がはっきりと伝わってくる。視線を向けると、案の定、眉をひそめながらこっちを見ていた。
「はは、迷子になりそうだったからな。つい、な」
苦笑混じりに器を傾けながら返す。
「もう、あの方は、あなたの顔目当てで商品を買うお嬢さんでも、小さな女の子でもないのですからね」
言いながらルカが肩をすくめる。俺は器をそっと置き、ひとつ息を吐いた。
「わかってるよ。……気をつける」
星空を仰ぐ。無数の光が、まるで酒に混ざって広がっていくように、視界の先で滲んでいた。
……あの小さな手のぬくもりが、まだ指先に残っている気がする。
「しかし、あんな無垢なリイナ様を一人で巡礼に出すなんて、神殿は何を考えているのでしょうか」
ルカの言葉に、俺も深く頷いた。
「本当に。女が一人で、しかも道ばたで眠っていたときには、幻でも見てるのかと思ったよ」
あの夜の記憶が、まぶたの裏に蘇る。うずくまっていた、あの小さな影。見過ごしていたら、と思うと今でも冷や汗が出る。
「無事でよかったですね。今代の光燿の癒聖が、平民の聖女と聞いたことはありましたが……それが原因で、他の聖女と差をつけられているのでしょうか」
「ああ、まったく愚かなことだ。身分で癒しの力が変わるわけでもないのにな」
そう言いながら、酒をひと口。焚き火から飛んだ火の粉が一つ、ふわりと宙に舞い上がった。
「……もし、リイナが本当は平民じゃなく、王族の落胤だったらどうする? 高位貴族の庶子とかさ。そうなったら神殿の奴ら皆、不敬罪だな。はは」
「な、何を言ってるんですか! 王族? そんな話、聞いたことありませんよ。むしろ、あなたの発言が不敬罪になります、気をつけてください!」
思いついたまま、軽口のつもりで言ったのだが――案の定、ルカが食いついてきた。
「冗談だよ、冗談。でも、王族なら髪が金色のはずだろ? リイナの髪は……栗色だもんな」
「そうです。王族の血が少しでも入っていれば、その髪は金のはずです」
「……リイナ、自分の家族の顔も覚えてないって言ってたな。家がどこかも、知らないって」
「ええ。もし貴族なら、慣例を無視してでも神官長に金を積んで、連絡を取るはずです。でも、その様子もありませんし……本当に平民、もしくは孤児なのだと思います」
そうか、と呟いて、また酒を口に運ぶ。焚き火の音が、やけに静かに耳をくすぐる。
「儀式のあと、リイナはどうなるんだ?」
「聖女の務めは続ける必要がありますが、実家に戻る方も多いと聞きます。神殿は不便ですからね。ただ、身分が低い親だと『子の足を引っ張る』と名乗り出ないことも多く……そうなれば、結婚するまで神殿暮らしでしょう」
「じゃあ、そうなったら――俺が神殿から連れ出すとするかな」
焚き火を見つめながら、自然に口をついて出た言葉だった。
「他人は連れ出せませんよ……えっ!? 結婚ってことですか!?」
ルカの声が裏返る。酒器が小さくカタリと揺れた。
「そうなるかな?」
「本気ですか? テオ様は貴族ですよ。さっきまで『リイナ様は平民』って話をしていたのに……!」
「身分なんてどうでもいいさ。聖女の身分は“聖女”だろ。それに、俺は次男だし、お前と違って婚約者もいない。……それより、リイナがまた神殿に閉じこもると思うと、なんだか、もやもやするんだよ」
焚き火の向こうに視線をやる。あのとき握った手の温もりが、そこにある気がした。
「そ、そうですか……テオ様が結婚……ああ、でもっ! リイナ様の気持ちを無視しちゃ駄目ですからね!」
「わかってるって。リイナが嫌がったらこの話は、なしだ」
「そうですね。これから先、リイナ様がテオ様より“いい男”と出会って、恋に落ちる可能性もありますし……!」
「ルカ。お前、面白いこと言うな。俺よりいい男なんて、そう簡単に見つかるわけないだろ?」
冗談めかして笑うと、ルカは肩をすくめて苦笑した。
「……そういうところですよ。テオ様の残念なところは」
「おいおい、ひどいな」
「でも……テオ様のご家族なら、反対はしませんね。特に奥様──」
「母上か? 『旅先で聖女と出会い、結婚? まぁ、なんて素敵なの!』って言いそうだよな」
「……はい、目に浮かびます。泣いて喜ばれそうです」
ふたりで顔を見合わせる。焚き火の橙色の光が、ルカの髪と、俺の頬をふわりと照らしていた。誰もいない夜の中に、笑う声が重なる。




