11.静かな問いかけ
「リイナ様、元気がありませんね。今日は大活躍でしたのに」
宿へ戻る道すがら、ルカが首をかしげて、私をのぞきこむ。
「なんだ、酒が飲めなかったのが不満か? 聖印の儀までは、禁止されているんだろ? 仕方ないさ」
隣を歩くテオが、からかうように笑う。私はふっと笑って、首を横に振った。
「でもな……アーサーがあんなに楽しそうな顔をしているの、久しぶりに見たよ。俺からも礼を言う」
「……靴のお礼になりましたか?」
そう言って、私は自分でも驚くほど小さな声で笑った。
けれど、心の奥で何かが引っかかっていた。
共に育って、同じ志を持って過ごした友を、亡くなってから大事に思っていた。そう、アーサーさんが友を思う気持ちを目の当たりにして、それと自分を重ねてしまった。
どこかで、自分の中の価値観が揺らいでいる。それが何なのか、今なら――少し、言葉にできる気がした。
「ずっと思っていたのです。……どうして私は、他の聖女みたいに扱ってもらえないのかって。二人の聖女は、どうして変わってしまったのかって」
ぽつりと口をついた言葉に、二人の空気がすっと変わったのを感じた。ルカとテオが顔を見合わせ、けれど何も言わず、ただ静かに私の話を待ってくれる。
「リイナ様、他の聖女みたいに扱ってもらえない、とは……どんなことでしょう?」
優しい声音で問いかけたのは、ルカだった。彼の声は、決して急かさず、私が言葉を見つけられるように寄り添ってくれる。
少しだけ、息を吸ってから、私はぽつぽつと思い出すように口を開いた。
「……私が祈っているときだけ、すぐ近くで誰かが話していたり、物を落とすような大きな音を立てられたり……そういうことが、よくあったんです。集中が乱れてしまうのに、誰も注意なんてしてくれなくて……でも、神殿には人が多いから、そういうものなのかなって、ずっと思っていました」
記憶の奥から引き出した小さな違和感たち。あの頃は、きっと些細なことだと思っていた。思い込もうとしていた。
「儀式の前には、聖具がなぜか見つからなかったり、用意していた聖水が……汚れていたり、こぼれていたりすることもあって……。でも、私が不注意だからだって、叱られて」
「……わざと、だな」
テオが低くつぶやく。その声音には確かな怒りがにじんでいて、思わず胸がぎゅっとなった。
「私に配られる聖衣も、布の色がくすんでいたり、丈が合っていなかったり……。でも、渡されたものを着るのが当たり前だ、文句を言う資格なんて……私にはないって……」
そこまで言って、私は小さく笑った。どこか、情けないような、乾いた笑みだったと思う。
「お部屋も、少しずつ狭くなっていったんです。最初は光が入る部屋だったのに、だんだん窓のない部屋に変わって……。食事も、気づけば量が減って、温かいおかずがなくなる日もあって……。それが、他の聖女たちとは違うと知ったとき……悲しいというより、ほんの少しだけ、ほかの二人がうらやましいと思いました」
これが「聖女」にふさわしい慎ましい生活なのだと言われ、それでも、どこかで自分も高貴な出だったならば違っただろう、と。
「……辛かったですね」
ルカの声が、そっと響く。
「いいえ……私は、ちゃんと屋根のある部屋で眠れて、水や食事もあって、服だって支給されていた――……力を使えば、『ありがとう』って言ってもらえることもありました。ほかの聖女だって小さい頃は、優しかったこともあったのです。私には、居場所があって、命があって。だから――」
「そうだな。お前より辛い人なんて、いくらでもいる」
テオの言葉は、きっぱりとしていた。でも、そこには突き放すような冷たさはなかった。
「けど、人は皆、それぞれ違うものを抱えて生きてる。何を辛いと感じるか、何を幸せとするか、それだって人それぞれだ。“もっと辛い人がいるから”って、自分の痛みまで我慢しなくていい。お前が辛くなかったなんて、誰にも言えない」
私は、はっと顔を上げた。
「私は……神に与えられた命を生き、そしていつか、神の御許へ還る。その“いつか”が来ても、逆らってはいけない。……そう教わってきました。だから、巡礼に出たばかりの頃は――ああ、きっと“今”がその時なのだ、って、何度もそう思って受け入れようと思っていました」
しばらく沈黙が降りたあと、テオがふっと息をついて言った。
「いつかは、誰でも死ぬ。でも、今日じゃなくてもいい。辛いことがあっても――“死ぬのは、明日にしよう”って。お前は、毎日そう思ったほうがいい」
その言葉が、すっと胸に染みこんでいく。
「ふふ……明日。そうですね、明日にします」
私は静かに、でもしっかりと頷いた。
「リイナ。見たことのない景色、食べたことのない料理……お前には、まだ知らない世界がたくさんある。せっかく手にした自由だ。もったいないぞ?」
テオのその言葉に、私は目を細めた。思い描いてみる。見たことのない草原や、誰かの焼いたパンの香り、遠くの町の朝市のざわめき――胸の奥が、あたたかくなる。
「……見てみたいです。知らなかった世界を、少しずつでも」
そう言うと、テオは微笑んで、頷いた。




