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三蔵の自殺予防教育

「悟浄先生、どうかされましたか?」


 沙悟浄は村の井戸端で難しい顔をして水面を見つめていた。


「三蔵か。いや、先程、村外れで子供を見かけてな。一人で座り込んで、腕に傷をつけていた」


 三蔵は息を呑んだ。


「怪我、ですか?」


「いや、自分でつけた傷だ。刃物で、何度も何度も同じところを」


 沙悟浄の声には、まるで自分が傷ついているかのような痛みが滲んでいた。


「声をかけたら逃げられた。傷は古いものも新しいものもある。習慣的にやっているようだ」


「それは…」


「三蔵、お前は幼い頃、自分を傷つけたくなったことはあるか?」


 寺にいた頃のことが頭をよぎる。冷たい視線、容赦ない暴力、捨てられる恐怖。


「…ありました」


「そうか。俺もだ」


 三蔵は目を見開いた。沙悟浄にそんな過去があるとは、いつもの飄々とした彼からは想像できなかった。


「意外です。悟浄先生のような優秀な方が…」


 沙悟浄は井戸の縁に腰を下ろした。三蔵も隣に座る。


「知識があることと、生きる力があることは別だ。俺は幼い頃、周囲に馴染めなかった。しかし、なぜ自分が嫌われるのかを理解できなかった。正しいことを言っているのに、なぜ皆が怒るのか」


「悟浄先生…」


「気づいたら、自分の腕を噛むことが癖になっていた。痛みを感じると、現実感が戻ってきた。自分がまだ生きているという実感が持てた。寮に入ってからはその頻度が増した」


「それで、故郷を出られたのですか?」


「ああ。このままでは自分が壊れてしまう。そう確信した。倒れているところを鬼の里の人々に拾われて、安仁に出会った」


 沙悟浄は空を見上げた。


「あの子供を見ていると、当時の俺を思い出してな」


 二人は宿に戻り、孫悟空と猪八戒に子供について話した。


「まずいな、その子供。放っておくと死を選ぶということもある」


 孫悟空は眉をひそめた。


「悟空、八戒先生、なんとか子供の自傷をやめさせられないでしょうか」


「三蔵様、自傷行為は助けを求めるサインのようなもの。むやみに止めるのはかえって危険です」


 猪八戒もまた、自らの幼少期を振り返って心を痛めた。


「三蔵様は、『命の門番』という言葉をご存知ですか?」


「いえ…知りません」


「命の門番…ゲートキーパーという考え方があります。悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげる。そして見守る。そういう役割を果たす人のことです」


「話を聞く…」


「ええ。しかし、無理に問い詰めてはいけません。その子のペースを尊重する。否定も説教もしない。ただ、そこにいて、話を聞く。『あなたの苦しみを分かりたい』という姿勢で」


 猪八戒は三蔵に微笑んだ。


「三蔵様、あなたが最初に接触するのがいいでしょう。きっと子供の力になれます」


 翌日、三蔵は一人で村外れへ向かった。大きな木の下に、幼い男の子が座っていた。腕にはいくつもの痛々しい傷跡があった。


 三蔵は少し離れた場所に腰を下ろした。男の子は三蔵を一瞥したが、特に反応を示さない。


「綺麗な場所だね」


 三蔵は独り言のように言った。幼い頃、孫悟空と一緒に美しい景色を眺めたことを思い出していた。


「僕、三蔵っていうんだ。君は、この景色を見に来たの?」


「……誰も来ないから」


「一人になれる場所なんだね」


 三蔵は自分の膝を見つめた。


「僕も子供の頃、一人になりたい時がたくさんあった。周りの人が怖くて、誰とも話したくなくて」


「お兄ちゃんも?」


「うん。でもね、本当は、誰かに分かってほしかったんだと思う」


 男の子は俯いた。その肩が小刻みに震えている。


「僕、ダメな子なんだ。学校で、皆と違うこと言っちゃう。空気読めないって言われる」


「自分がダメな子に思える…それはつらいね」


 三蔵は否定しなかった。


「お父さんとお母さんも、僕のこと、面倒くさいと思ってる。『なんでお前はそうなんだ』って、いつも怒られる。僕、頑張ってるのに。でも、疲れちゃった」


 男の子は腕を見た。


「これ、やると、少しだけ楽になる。生きてるって感じがする」


「君は、頑張るために自分を傷つけているんだね」


 男の子が驚いて顔を上げた。自傷のことを叱られると思っていた。


 男の子の目から、涙がこぼれた。


「でも、僕、ダメな子だよ」


「つらい気持ちを一人で抱え込まなくていいんだよ。もう少し、君と話したいな。よかったら、今から僕の友達と一緒にごはんを食べない?」


 男の子の名前は、シュンといった。宿に連れて行くと、一行が温かく迎えてくれた。


 食事の席で、春は少しずつ話し始めた。学校での孤立。教師の無理解。家での居場所のなさ。


「あのね」


 春が小さな声で言った。


「僕、死にたいって思うこと、ある」


「そっか」


 三蔵が頷いた。


「そう思うくらい、辛かったんだね。でも、今日ここに来てくれた。それは、生きたいって気持ちもあるからだよね」


 春は泣きそうな顔で頷いた。


「うん。本当は、生きたい。でも、どうしたらいいか分からない」


「大丈夫だ」


 悟空が春の肩に手を置いた。


「分かんないことは、皆で考えりゃいい。春が一人で抱え込む必要はねえ」


 その日の夕方、僕たちは村長を訪ね、事情を説明した。村長は深刻な表情になった。


「分かりました。村の寺に若い僧侶がいましてな。彼は子供の話を聞くのが上手い。協力を頼もう。春の両親とも話をする。時間はかかるでしょうが、この村全体で春を支えていく」



 翌朝、出発の時が来た。春が見送りに来ていた。


「お兄ちゃんたち、行っちゃうの?」


「うん、でも大丈夫」


 三蔵が春の前にしゃがんだ。


「約束する。僕たちが天竺から戻ってくる時、また寄るよ。その時、春が元気に笑ってるところが見たい」


 春の目が輝いた。


「うん!約束する!」


 沙悟浄が春の肩を叩いた。


「辛くなったら、無理をするな。誰かに助けを求めていいんだ。弱音を吐いていいんだ」


「でも、それって、迷惑じゃ…」


「迷惑ではありません」


 猪八戒が優しく言った。


「助けを求めることは、弱さじゃありません。それは、生きるための強さです」


 僕たちは村を後にした。振り返ると、春が大きく手を振っていた。


「春、大丈夫かな」


 僕がつぶやくと、悟空が頷いた。


「大丈夫だ。あいつには、これから見守ってくれる人がいる。一人じゃない」


「ああ」


 沙悟浄が空を見上げた。


「俺も昔、誰かが気づいてくれたから、今がある。気づくこと、声をかけること、話を聞くこと。それだけで、救われる命がある」


 その夜、野営の焚き火を囲んで、悟空が言った。


「お前が勇気を出して、話しかけてくれたから、春は一歩踏み出せた。それは、すごいことだ」


「ありがとうございます」


「礼を言うのは、俺の方だ。お前がいてくれて、俺も変われた。安仁も救われた。お前には、人を変える力がある。」


 孫悟空は三蔵を優しく見つめた。


「弁論大会、頑張れよ。伝えたいことがあるんだろ?」


「はい。頑張ります」


 三蔵は力強く答えた。


 その夜、三蔵の夢の中で、春が笑っていた。全ての子ども達が笑って過ごせる世界にしたい。三蔵の思いを、月は静かに見守っていた。

子供の自殺が、年々増加しています。原因として、いじめばかりが報道されますが、実際は複合的ではっきりしないケースがほとんどです。だから、できるだけ多くの目で見守り、支援につなげる仕組みが必要です。学校、保護者、地域の人々、そして子ども達自身がゲートキーパーの自覚を持つことが大切です。

学校では、生徒指導部、相談部、保健部などが中心となって自殺予防教育を実施しています。また、定期的な「心のアンケート」で早期発見につなげています。

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