三蔵の情報モラル教育
三蔵が十歳の時。孫悟空と共に一つの村に立ち寄った。
村長が血相を変えて駆け寄ってきた。
「法師様、お助けください!」
「どうされたのですか?」
三蔵は、心配そうに尋ねた。
「人喰いの妖怪が現れたのです!」
村長の声は震えていた。
「もう三人も、村人が襲われました!」
村の集会所には、恐怖に怯える村人たちが集まっていた。
「法師様、妖怪は恐ろしい姿をしています」
一人の男が証言した。
「鋭い爪と牙を持ち、目は血のように赤く光っていました」
「夜な夜な村を徘徊し、人を襲うのです」
別の女性が付け加えた。
「どこに住んでいるのですか?」
三蔵が尋ねた。
「北の森です」
村長が答えた。
「あそこには、古い祠があります。そこに棲みついているようです」
三蔵は、真剣な表情で頷いた。
「分かりました。必ず退治します」
村を出た後、孫悟空が口を開いた。
「三蔵、少し待て」
「どうしたのですか、悟空?」
「何か引っかかる」
孫悟空は、険しい表情をしていた。
「村人の話、妙だと思わないか?」
「妙……ですか?」
三蔵は、首を傾げた。
「皆、同じような話をしていました。妖怪の姿、襲われた場所、時間――」
「ああ、それが引っかかる」
孫悟空は、腕を組んだ。
「話が揃いすぎている。まるで、誰かが台本を書いたみたいだ」
「でも、嘘をつく理由が……」
「それは分からん」
孫悟空は、慎重に言った。
「だが、俺は500年以上生きている。その間、人間の嘘も、妖怪の悪事も、たくさん見てきた」
「では、どうすれば……」
三蔵が尋ねると、孫悟空は答えた。
「まず、自分の目で確かめる。村人の話だけを頼りにするな」
「それから、両方の話を聞く」
「両方……?」
「ああ。村人の話は聞いた。次は、妖怪の話を聞くべきだ」
孫悟空の言葉に、三蔵は驚いた。
「でも、妖怪は人を襲う悪者では……」
「それは、村人がそう言っているだけだ」
孫悟空は、厳しい表情で言った。
「真実は、分からない」
二人は、襲われたという場所を訪れた。
「ここが、最初の被害者が襲われた場所だと言っていたな」
孫悟空は、地面を調べ始めた。
「悟空、何か分かりますか?」
「……おかしい」
孫悟空は、眉をひそめた。
「血の跡がない」
「え?」
「人が襲われたなら、血が流れているはずだ。でも、ここには何もない」
孫悟空は、周囲を見渡した。
「それに、戦った跡もない」
「どういうことですか……」
三蔵は、混乱していた。
「村人は嘘をついているのか、それとも……」
「分からん。だから、もっと調べる必要がある」
北の森に入ると、古い祠が見えてきた。
「誰か、いるのですか!」
三蔵が声をかけると、祠の中から声が返ってきた。
「……人間か」
警戒した声だ。
「僕は三蔵法師です。お話を聞かせてください」
しばらくの沈黙の後、祠から一人の妖怪が現れた。
確かに、鋭い爪と牙を持っている。しかし、目は赤くなく、怯えた様子だった。
「お前たちも、俺を殺しに来たのか……」
妖怪の声は、震えていた。
「殺す……?僕たちは、話を聞きに来ただけです」
三蔵は、優しく言った。
「村で、人を襲ったと聞きました。本当ですか?」
「襲っていない!」
妖怪は、激しく首を振った。
「俺は、ずっとここで静かに暮らしていた。誰も傷つけていない」
「では、なぜ村人は……」
「分からない」
妖怪は、悲しそうに言った。
「ある日突然、村人が襲ってきた。『人喰い妖怪』だと叫びながら」
「俺は逃げた。反撃すれば、本当に『人を襲った』ことになるからだ」
孫悟空が、鋭く尋ねた。
「襲われた村人が三人いると聞いたが、お前は本当に何もしていないのか?」
「誓って何もしていない」
妖怪は、真剣な目で答えた。
「そもそも、襲われたという村人を、俺は見たことがない」
「悟空、どう思いますか」
祠を出た後、三蔵が尋ねた。
「妖怪の話の方が、筋が通っている」
孫悟空は、冷静に分析した。
「現場に血痕がなかった。戦闘の跡もなかった」
「それに、妖怪の目を見たか?あれは、嘘をついている目ではない」
「では、村人が嘘を……」
「そうだ。問題は、なぜ嘘をついているかだ」
孫悟空は、考え込んだ。
「利益があるはずだ。妖怪を追い出すことで、誰かが得をする」
二人は、村に戻った。
だが、村長の家ではなく、村外れの農家を訪ねた。
「あの……お話を聞かせてください」
三蔵が、老婆に声をかけた。
「妖怪のことですか?」
老婆は、少し躊躇してから答えた。
「実は……私は、あの妖怪に会ったことがあります」
「襲われたのですか?」
「いいえ」
老婆は、首を振った。
「迷子になった孫を、森で探していた時、あの妖怪が助けてくれました」
「孫を背負って、村まで送り届けてくれたのです」
「では、なぜ村人は……」
「村長が言い出したのです」
老婆は、小声で言った。
「『森を切り開いて、畑を広げたい。でも、妖怪がいては危険だ』と」
「それで、『人喰い妖怪』の噂を流したのですか」
三蔵は、村長を訪ねた。
「村長、真実を話してください」
「何のことですか、法師様」
村長は、平然としていた。
「妖怪は、誰も襲っていない。あなたが嘘をついたのです」
三蔵の言葉に、村長の顔が強張った。
「証拠があるのですか」
「森を切り開くために、妖怪を追い出そうとした。違いますか」
孫悟空が、鋭く問い詰めた。
村長は、しばらく黙っていたが、やがて観念したように言った。
「……そうだ。でも、何が悪い」
「村の発展のためだ。妖怪一匹のために、村人が飢えてもいいのか」
「村長」
三蔵は、悲しそうに言った。
「あなたは、嘘の情報で妖怪を悪者にしました」
「それは、とても恐ろしいことです」
「何が恐ろしい。ただの妖怪ではないか」
「違います」
三蔵は、力強く言った。
「情報は、人を殺すことができるのです」
「あなたの嘘で、無実の妖怪が殺されるところでした」
「それに、村人たちも加害者になるところだった」
孫悟空が付け加えた。
「情報を発信する者には、責任がある」
「特に、村長のような立場の者は、その責任が重い」
三蔵は、村人たちを集めた。
「皆さん、真実をお話しします」
そして、調査で分かったことを、丁寧に説明した。
村人たちは、驚きと共に、恥じる表情を見せた。
「私たちは、確かめもせずに信じてしまった……」
一人の男が、悔しそうに言った。
「村長の言葉だから、疑わなかった」
「それは、仕方ないことです」
三蔵は、優しく言った。
「でも、これからは気をつけてください」
「誰かの話を聞いたら、必ず確かめる。他の意見も聞く。自分の目で見る」
「それが、真実を見極める方法です」
村人たちは、森の祠を訪れた。
「妖怪殿、申し訳ございませんでした」
村人たちが、深く頭を下げた。
妖怪は、戸惑った様子だったが、やがて言った。
「……分かった。許す」
「ただ、これからは静かに暮らさせてくれ」
「はい」
村長も、渋々ながら頭を下げた。
「森は切り開かない。他の場所を探す」
妖怪は、小さく頷いた。
村を離れた後、三蔵は孫悟空に言った。
「悟空、僕は恥ずかしいです」
「なぜだ?」
「村人の話を、すぐに信じてしまいました」
三蔵は、うつむいた。
「確かめもせず、妖怪を退治しようとした」
「それは、良い経験だ」
孫悟空は、三蔵の頭を撫でた。
「人は、簡単に騙される。特に、権威ある者の言葉や、多くの人が信じている情報には」
「でも、お前は今日、大切なことを学んだ」
「これから覚えておけ」
孫悟空は、教えた。
「一つ、情報の出どころを確認すること」
「誰が言ったのか、なぜそれを言うのか、その人に利益はあるか――それを考えろ」
「二つ、複数の情報源を確認すること」
「一人の話だけでなく、様々な立場の人の話を聞け」
「三つ、自分の目で確かめること」
「人の話だけを信じず、自分で見て、考えろ」
「四つ、感情に流されないこと」
「『怖い』『腹立たしい』と感じる情報ほど、慎重に扱え」
「五つ、弱い立場の者の声を聞くこと」
「力ある者の声は大きいが、真実とは限らない」
三蔵は、一つ一つ頷いた。
「それから、三蔵」
孫悟空は、真剣な顔で言った。
「お前は僧侶だ。人々から信頼されている」
「だから、お前の言葉は重い」
「お前が『あの妖怪は悪だ』と言えば、人々はそれを信じる」
「だからこそ、慎重でなければならない」
三蔵は、その重みを感じて頷いた。
「分かりました、悟空」
「僕は、これから情報を丁寧に扱います」
「確かめもせずに発信しません」
「そして、弱い立場の者の声も、必ず聞きます」
その夜、三蔵は日記に書いた。
『今日、大きな過ちを犯すところだった』
『村人の話を鵜呑みにし、無実の妖怪を退治しようとした』
『悟空が慎重だったおかげで、真実が分かった』
『情報は武器にもなるし、凶器にもなる』
『これから、情報を扱う時は、必ず以下のことを確認する』
『一、出どころを確認する』
『二、複数の情報源を確認する』
『三、自分の目で確かめる』
『四、感情に流されない』
『五、弱い立場の者の声を聞く』
『そして、自分の言葉が持つ影響力を、常に自覚する』
三蔵は、ペンを置いた。
外では、孫悟空が夜空を見上げている。
「悟空」
三蔵が声をかけると、孫悟空が振り向いた。
「ありがとうございます。あなたのおかげで、大切なことを学べました」
「フン」
孫悟空は、照れくさそうに鼻を鳴らした。
「俺は、ただ慎重だっただけだ」
「長年生きてりゃ、人間の嘘も妖怪の嘘も見抜ける」
「でも、お前はまだ若い。これから学べばいい」
二人は、静かに夜空を見上げた。
今日の経験は、三蔵の人生で大きな転機となった。
情報の怖さ、そして情報を扱う責任――。
それを学んだ今日から、三蔵は一歩成長した。
そして、その学びは――。
これからの旅で、何度も三蔵を救うことになるのだった。
技術革新により、情報モラル教育が必須になりました。膨大な情報から真実を見極める目を養う力が求められています。