安仁 12歳
安仁が十歳の誕生日を迎えた頃、里に悲しい知らせが届いた。
「長が...お亡くなりになりました」
母である鬼族の長が、長い病の末に息を引き取ったのだ。安仁は母の枕元で小さな手を握りしめていた。
「母上...」
「安仁...」か細い声で母が呼びかける。「お前が...この里を...頼むのじゃ...」
母の最期の言葉を受けて、安仁は十歳という幼さで里の長の座を継ぐことになった。父は安仁たちが生まれる前に病で亡くなっており、安仁には血縁の頼れる大人がいなかった。
二年が経ち、十二歳になった安仁は、里の現実と向き合っていた。
「長、またお一人亡くなりました」
執務室で報告を受ける安仁の表情は、年齢に似合わぬ深刻さを湛えていた。
五十年前には千名を超えていた純血の鬼が、今では三十名足らずにまで減っていた。次々と謎の病に倒れ、命を落としていく一族。安仁自身も、最近は熱を出すことが多くなり、体調の悪化を感じていた。
「学者の調査結果はどうじゃ?」
安仁が尋ねると、移民の学者が重々しい口調で答えた。
「長、原因が判明いたしました。純血の鬼は自然から特殊な成分を摂取する必要があるのですが、ここ数十年の人間による自然破壊の影響で、その成分が不足しているのです」
「つまり、栄養不足ということか?」
「はい。その結果、臓器不全や免疫系の疾患を引き起こしているのです」
安仁は静かに頷いた。予想していた答えだった。人間の文明の発展と共に、鬼族は生きる基盤を失いつつあったのだ。
「対策を考えねばならぬな」
安仁は立ち上がり、窓の外を見た。里では鬼以外の妖怪たちが活気に満ちて暮らしている。安仁の革新的な政治により、多様な妖怪が共生する自治体となっていた。
「まず、信頼できる外部の妖怪移民をさらに受け入れる。環境に適応できる丈夫な混血児を増やすのじゃ」
猪八戒が心配そうに口を挟む。
「安仁様、それは危険ではないでしょうか。純血の血筋が...」
「時勢に合わぬものは淘汰される。それが自然の摂理じゃ」
安仁は毅然として答えた。その横顔は、母である先代の長を彷彿とさせた。
「儂たちがすべきは、残された命を大切にすることじゃ」
安仁の指示により、里では次々と改革が行われた。移民を中心とした経済活動の活性化。商業ルートの確立。自然エネルギーの代用品の研究。そして、回復の見込みのない鬼たちへの手厚い福祉事業。
「長、今日の会議の資料です」
「ありがとう。それから、新しい移民の面接の件じゃが...」
「薬草の在庫が不足しております」
「分かった。隣村との交渉を進めよう」
安仁の一日は朝から晩まで政務に追われていた。十二歳とは思えぬ的確な判断力で、次々と問題を解決していく。
しかし、その代償は大きかった。
執務室で一人になると、安仁は激しく咳き込んだ。白いハンカチに、赤い血が付着している。
「安仁様!」
心配した猪八戒が駆け寄ってくる。
「大丈夫..ただの風邪じゃ」
安仁は血のついたハンカチを隠そうとするが、猪八戒の目は誤魔化せない。
「医師を呼びます」
「いらぬ」
安仁は厳しく制止した。
「医師には治せぬ。それより里の皆が心配する。儂の体調のことは内密にしておけ」
沙悟浄も深刻な顔をしている。幼い頃の活発な安仁の面影は、その姿を潜めていた。
「そうじゃ、人間社会への潜入の件はどうなっておる?」
安仁は話題を変えた。
「準備はできている」
沙悟浄が答える。
「移民の勧誘、誘拐された鬼の保護、自然エネルギーの探索。全て重要な任務だ」
「頼むぞ、二人とも」
安仁の瞳には、里の未来への強い責任感が宿っていた。自分の命が長くないことは薄々感づいていた。しかし、最後まで里のために尽くすつもりだった。
夜、一人になった安仁は窓辺に立ち、月を見上げた。
「母上...儂は精一杯やっておりますが、これでよろしいのでしょうか。」
「混血を進め、里を商売で賑わし…ご先祖様は許してくださるじゃろうか」
誰かに寄りかかりたい。苦労を分かち合いたい。よくやったと褒めてもらいたい。幼い安仁の心は疲弊しきっていた。
「せめて、儂に血を分けた兄弟姉妹がいたなら…」
月は静かに安仁を照らしていた。遠い空の向こうで、同じ月を見上げている双子の姉がいることを、安仁はまだ知らなかった。
安仁の肩は小刻みに震えていた。十二歳の少女が背負うには、あまりにも重い責任だった。しかし、安仁には立ち止まることは許されなかった。
最後の純血の鬼として。
里の長として。
安仁は今夜も、里の未来のために祈り続けるのだった。
安仁に託したイメージは、ヤングケアラーです。家族への愛情と責任が強い子が多い印象です。年齢に不相応な負担を抱える頑張り屋さんで、同年代と比べて大人びています。