表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

天国が還る場所

作者: 名無し

【プロローグ】


人々は死を恐れた。そして同時に、死後も誰かに覚えられていたいと願った。

それを叶える存在が「天国の少女」だった。彼女は人間の意識をその身に移し、永遠に記憶する「生きた楽園」としてデザインされた。少女には人々の思考や感情を自分の人格に影響させない特異な構造が備わっており、その精神は他人の意識を抱えながらも正気を保ち続けた。


人々は彼女を延命するため、血液を捧げた。それは献血であり、代償だった。献血の量によって、死後少女の中に留まる権利が与えられる。それは「天国」への切符であり、人々は競うように彼女を崇拝し、命を捧げた。


しかし、少女はただの人間だった。限りある命を無理やり引き伸ばされ、頭の中には数えきれない死者たちの声が鳴り響いている。その声は、苦しみと喜び、絶望と希望が入り混じった混沌だった。かつてその役割に誇りを感じていた彼女の心は、徐々に蝕まれていった。


第1話: 【少女の「天国」】


少女は「天国」という名を与えられた小さな白い部屋で生きている。そこは完全に管理され、外界から隔離されていた。外からは訪問者がガラス越しに彼女を見上げ、時に祈り、時に絶望を吐露する。彼らの存在を少女は拒むことができない。


彼女の頭の中では、かつての家族に再会して歓喜する人々の声が響いていた。同時に、死の痛みを繰り返し味わう声や、終わらない恐怖に泣き叫ぶ声もあった。それらは彼女の意思とは関係なく湧き上がり、永遠に繰り返される思考の渦となる。


ある日、彼女は頭の中で特に強い声を感じた。それはある老女の意識だった。老女は自分の人生の中で犯した罪を少女に語り続けた。「お前も背負え。お前は天国なんだから」。その声は彼女の中で延々と続き、彼女は自分が自分であるという感覚を失いかけた。


第2話: 【延命の代償】


延命のために少女の身体は絶えず修復され、老いのようなものは一切存在しなかった。皮膚も内臓も、全てが新しい細胞で構成されている。だが、彼女は「自分の体」がどこまで本物であるのか、次第に分からなくなっていく。


彼女を維持するための献血システムは社会の基盤となっていたが、それは人々を疲弊させ、徐々に歪みを生んでいた。献血を続けた者だけが彼女の中に「天国」を得られる資格を持つ。そのため、貧しい人々は血を捧げることができず、天国から排除される状況が生まれていた。


少女は、自分が平等の象徴であるはずなのに、なぜ不平等を生み出す存在となったのかに苦悩するようになる。そして同時に、彼女を支える世界そのものに絶望を抱くようになる。


第3話 【私を求めないで】


ある日、少女はつぶやいた。

「誰も私を求めなければいいのに…」


しかし、その言葉は外の世界には届かなかった。人々は少女の中に自分を残すために命を削り続けた。彼女の頭の中の声は日に日に増え、負の感情も増大していった。そしてとうとう、彼女は意識の中で自分の存在が埋もれつつある感覚に襲われた。


彼女は鏡に映る自分の顔を見つめ、問いかける。

「私は誰…?」

それは他人の意識の波に埋もれ、答えのない問いとなった。

 


最終話: 【天国の還る場所は…】


ある日、彼女の中にいた一人の人格がつぶやいた。

「天国は、きっと安らぎを与える場所であるべきだ」


その声は他の人格たちに波及し、最終的に彼女の中の意識全体が一つの結論に達する。それは「少女自身を解放すること」だった。

彼女は自らの身体を動かし、延命装置を停止した。それを止めることのできる技術者たちはいたが、少女の中の声が彼らを操り、装置の停止を許した。


身体が徐々に朽ち果てていく中、少女は生まれて初めて静けさを感じた。頭の中の声が一つ一つ消えていき、最後に彼女自身の心が静かに響く。


「これで、私は私に戻れる…」


そして彼女は微笑みながら、意識を闇へと閉じた。それは少女にとって、真の意味での天国だったのかもしれない。



【エピローグ】


少女がいなくなった後、世界は大きな混乱に陥った。しかし、人々はその中で「死を受け入れる」という考えを少しずつ取り戻し始める。少女の存在が残した影響は深く、永遠に語り継がれるだろう。だが彼女が最後に見た光景だけは、誰も知ることができないのだった。








【サイドストーリー】

タイトル:「棺の中の声」


【プロローグ】


納棺師の老人、アサギリは「天国の少女」の中に自らの意識を移すことを望んだ最後の一人だった。かつて彼は、生者の死を見届け、彼らを丁寧に棺に収める仕事をしていた。彼の手には数百人の亡骸を包み込んだ記憶が宿っていたが、その手の中にあった数々の後悔も、贖えなかった罪もまた消えなかった。


「私の記憶は、彼女の中に残るだろうか?」

そう呟いた日から、アサギリは彼女に献血を重ね、ついにその資格を得た。死の瞬間、彼は自分の意識が少女の中に移される感覚を味わう。そして彼の記憶と声は、無数の意識が渦巻く少女の「天国」の中で目を覚ました。


だがそこに待ち受けていたのは、彼が想像していた「永遠の安息」とはまるで異なる光景だった。


1: 【棺の中の喧騒】


意識を取り戻したアサギリは、自分が完全な暗闇の中にいることに気づく。耳には無数の声が響き渡っていた。歓喜の声、怒りの叫び、嘆きの涙。それらは終わりなく重なり合い、絶えずアサギリの心をかき乱す。


「ここが天国だというのか……」


彼は周囲の声を頼りに彷徨い続けた。そしてようやく気づく。これは「彼女の頭の中」であり、少女自身が今も絶えず苦しんでいる場所なのだと。


だが、アサギリは不思議と恐怖を感じなかった。彼にとって、この喧騒は馴染み深いものだったからだ。生前、彼は遺族たちの嘆きや、死者が遺した思念のようなものを感じ取ることが得意だった。納棺師として長い時を過ごした彼にとって、ここは「仕事場」の延長のように思えた。


「よし、仕事を始めるか……」


アサギリは心の中で呟き、意識の混沌に向き合う決意をした。


2:【 死者との対話】


アサギリはまず、自分の周囲に最も強く響いていた声の主を探した。それは、若くして命を絶った一人の女性だった。彼女は自分が生前犯した罪を悔い、永遠に許しを乞い続けていた。


「あなたの罪は、もう終わったのだよ」とアサギリは語りかける。


女性の意識は初めこそ抵抗したが、アサギリが繰り返し語りかけることで、次第に穏やかさを取り戻していく。彼は、彼女に「棺の中で安らぐこと」を提案した。それは彼の中で長年培った葬送の儀式そのものだった。


「ここに横たわりなさい。私があなたを包み、送り出そう」


アサギリが「仮想の棺」を作り出し、彼女をその中に収めると、彼女の声は静かに消えていった。それは、彼が初めて「天国」で行った葬儀だった。


3: 【少女との邂逅】


アサギリが意識を包み込み、次々と声を静めていく中、彼は徐々にこの空間の中心に近づいているような感覚を覚えた。そしてついに、彼は少女そのものの意識に出会う。


彼女は、無数の声に押し潰されるようにして膝を抱えていた。その表情は虚ろで、何も語らなかった。


「お嬢さん、ずいぶんと疲れているようだね」


アサギリの声に少女は顔を上げた。彼の穏やかな声は、無意識のうちに少女に小さな安らぎを与えていた。


「私を救いたいの?」と少女は呟く。


アサギリは首を横に振った。


「いいや、救うつもりはない。ただ、あなたの負担を少し軽くしてあげたいだけさ」


アサギリは少女の側に座り、彼女の周囲を包むようにして、意識の波を少しずつ沈めていった。その過程で、少女は少しずつ「自分」という存在を取り戻していく。


「天国は、きっと安らぎを与える場所であるべきだ」



4: 【天国の葬送】


少女はアサギリの手を借りながら、彼の提案に従って延命装置を止める決断をする。そして彼は、最後の「葬送」を自らの手で執り行った。


少女が静かに命を終えたとき、アサギリ自身の意識もまた、徐々に薄れていくのを感じた。しかし、その瞬間、彼はどこか満たされた気持ちであった。


「これで、彼女も私も安らげるだろう」


少女とアサギリの意識が完全に消える直前、彼は微笑みながら「またどこかで」と小さく呟いた。


それは「天国」を完全に解放する儀式となり、残された世界に新たな静寂をもたらすきっかけとなった。



エピローグ


アサギリの存在は、誰の記憶にも残らなかった。だが彼の行いは確かに、「天国」を変えた。そしてその変化は、人々が「死」を正面から見つめ直す契機となった。


ただし、一つだけ確かなことがある。少女が最後に見た安らぎの光景の片隅には、アサギリの静かな微笑みがあったのだろうと。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ