第1話《槍持ち》
隣を走っていた男の頭が弾けた。赤黒い液体が飛び散る。膝から崩れ落ちるその姿を横目に、ユウスケは走り続けた。
彼とは今回が初対面だった。確か、リュウジと名乗っていたような気がする。ただ、今はそんなことを考えている余裕はない。
目視してからでは避けようのない速度で飛来するのは、大小様々な石だ。当たったら最後、人の体など簡単に粉砕されてしまうだろう。
生きるも死ぬも、単純な運次第だ。
高台に敷設された線路には、六両編成の電動列車が停車している。それを多数の《ケモノ》が取り囲んでいた。
ケモノは人を食らう。死肉でも生きたままでも関係ない。どこからともなく現れ、人だけを食い散らかし、どこかへ去っていく。
人類にとって鉄道は、今や都市間に物資や人員を輸送する唯一と言ってもいい手段だった。特殊金属製の強固な車体は、ケモノなどものともしない。力強く線路を走る漆黒の姿は、ケモノに怯える生活を送る人々にとって、希望の象徴であった。
しかし、鉄道列車の強さは、適切に運行されている場合に限られる。バッテリートラブルで停車を余儀なくされた現在の列車は、貴重な物資と多数の人々を乗せた金属の箱に過ぎない。ケモノにとっては大きな弁当箱だ。
そんな場合の保険として、ユウスケ達の持ち主が雇われていた。列車や都市の護衛を請け負う《防人》を自称する商人だ。人を消耗品として扱うことから、あまり好まれる商売ではない。ただ、社会の安定のためには必要なものでもあった。
ユウスケを含めた約三十人が、銀色に鈍く光る《槍》を携えケモノに向かって走る。線路の周辺は広く草原になっていて、非常に見晴らしがいい。ケモノにとって、投石にはうってつけの場所だ。
現状、十人程度が行動不能になっているようだった。肉薄する頃には半数になるだろう。これならば、充分許容範囲だ。ユウスケは右手に力を込め、槍を握り締めた。
走りながら周囲を確認する。視界に入るケモノは三体。最も近くにいる左側の一体にターゲットを定めた。
進行方向を変えた際、槍を握ったまま転がっている腕が目に映った。このままでは、投石の巻き添えで折れてしまいかねない。
数が限られている槍の無駄遣いは、持ち主の機嫌を損ねる原因になる。そのせいで食事の量が減るのは避けたい。
経費は必要最低限に、と終始喚き散らしている肥満顔が頭に浮かんだ。
「ちぃっ!」
速度は緩めず、空いた左手で槍をもぎ取る。一瞬頭を下げた際、ユウスケの後頭部を石がかすめた。
満足に整えらず伸びた黒髪が何本か、宙を舞う。槍を回収していなければ直撃していただろう。
「悪かったな」
既にこの世にいないであろう、腕の主に声をかける。狙うケモノは目前だ。
二メートル程の人型の上に、狼とも虎とも言えない動物のような頭が乗っている。上半身は密度の高い体毛に包まれており、下半身は硬い鱗で覆われている。鋭い爪のある指は四本。人間の親指に該当する指もあり、器用に物が掴める構造だ。
その上、まともに組み合えば、人の肉体など簡単に引き千切ることのできる膂力を持っている。要するに、化け物だ。
自然の産物とは到底思えないが、存在してしまっているのだから対処せざるを得ない。そして、まともに対処できるのは現在のところ、槍を使う方法ひとつだけだ。
ケモノは接近するユウスケに気付き、石を拾うのをやめた。状況に応じ戦い方を変える程度の知能があるのも、厄介な理由だ。
横薙ぎに振るわれる右爪を屈んで回避する。当たってしまえば命はない。
一撃目を避けたからといって油断してはいけない。すくい上げるような角度から左爪が迫る。
ユウスケは屈んだまま左前に転がった。鋭い爪が空を切り裂く。
鱗で堅固な下半身には、槍を突き立てられない。かといって、上半身も体毛に阻まれ、突き刺すのは容易ではない。
狙うのは体毛と鱗の境目。人間でいう、腰のあたりだ。
「ふっ!」
ケモノの左側面に回り込んだユウスケは、息を小さく吹き出し槍を突き出した。
肉を裂き貫く感覚が、掌から腕に伝わる。大きな反しの付いた刃先は、刺さってしまえば簡単に抜けることはない。
ただし、これだけではケモノを止めることはできない。放っておけば、周辺の肉ごと槍を抜いて、再び襲いかかって来るだろう。
「刺したぞ!!」
振り回される剛腕を、バックステップで回避しながらユウスケは叫んだ。絶叫と表現できるくらいの大声だ。気付かれなければ後回しにされてしまう。
槍を引き抜かれては、元も子もない。ケモノの注意を引き付けるため、あまり離れることはできない。順番が来るまで、ただ待つだけだ。
二十秒ほど経過しただろうか。暴れ回っていたケモノは突如動きを止め、その場に倒れ込んだ。列車にいる《巫女》の《祈り》がようやく届いたのだろう。
ユウスケの持ち主は、高額な巫女をあまり使いたがらない。今回の案件にも二人しか用意しなかった。巫女が少なければ、ユウスケ達のような《槍持ち》の損耗は必然的に増える。
巫女と槍持ちの価値を比べれば、当然の判断だろうとは思う。理不尽な話だが、自分達はあくまでも消耗品だ。
「ふぅ……」
ユウスケはため息をつくと、先程回収した槍を片手に次のケモノに向かった。