出会い
数年前、推理小説ブームが巻き起こった。人々は優れた推理小説を求め、過去の名作から、日の目を浴びることのなく眠っていた作品まで読み漁った。テレビやYouTubeの時代は完全に終わりを告げ、紙媒体の推理小説が時代の頂点に立った。今まで推理小説マニアからしか支持されてこなかったような推理作家も神として崇められた。
しかし、時代のトレンドは直ぐに移り変わっていく。ある程度推理小説を読んで、推理小説を理解した気になった世間は推理小説を次の2つに分類した。1つは事件(盗難事件、殺人事件など)自体にはトリックが使用されず、動機やアリバイ、凶器などから複数の犯人候補の中から1人の犯人を特定するというものだ。事件自体は「ナイフで刺し殺した」のような単純なものなのだが、犯人候補が複数いるため、1人に絞らないといけないといった推理小説である。もう1つは、事件にトリックが使用されていて、犯行方法が分からないと言うものだ。その代表例として密室殺人をあげることが出来る。時代の次なるトレンドは後者に向いた。推理小説の中でも面白いのは一見不可能に見える事件の犯行方法を特定することだ、と世間は認識し始めたのだ。動機や、人間関係は最小限しか必要ない。世間が求めているのはシンプルな不可能犯罪に用いられるトリックとその答えだ。世間はこれを“謎“と呼び、その謎を販売するものを謎売りと呼んだ。
“謎“は大きく、オリジナルとコピーの2つに分けられた。オリジナルとは、それは謎売りが自身で考えた“謎“である。コピーとは過去の推理小説から“謎“の部分のみを抽出したものであり、これを販売することは違法とされている。しかし、オリジナルを扱う謎売りは少ない。なぜなら、オリジナルよりコピーの方が高く売れるからだ。コピーは既に評価された作品から“謎“の部分を取り出しているわけであって当然“謎“の質が高い。一方でオリジナルの“謎“は当たり外れが激しく、その大半は外れである。オリジナルで評価の高い“謎“を作成できるような人間は大抵、推理小説家にそれを売るのである。オリジナルとして売るよりそちらの方がよっぽど儲かるからだ。そのため世間では“謎“ブームでこそあるが、基本的に出て回ってるのは違法売人によるコピー“謎“と言う現状だ。未だにオリジナルの“謎“を売っている謎売りなど、胡散臭い詐欺師みたいな奴が殆どだ。まあ、なんにせよ、推理小説の肝となる部分のみを抜き取り、前後のこだわりを無視して名作を駄作として売りつける違法売人は推理小説家からしたら溜まったもんじゃない。そしてその“謎“を一度見られてしまえば、元の推理小説は100%楽しんでもらえなくなる。当然、推理小説は売れなくなる。本当にくだらない。
そんな憎き謎売りに俺は手を差し伸べていた。大雨の中、せっかく避難に成功した駅構内から俺は少女の元へと自然と走り出したのだ。結局、びしょ濡れになってしまった。俺が手を差し伸べたのは、少女が雨に打たれて同情したからか。それとも、警察にでも突き出してやるつもりだったのか。いや、違う。謎売りと接触することで自分の優位性を保とうとしたのだ。
学生の頃から真面目に推理小説を書き続けてはや10年。俺の推理小説は一切売れなかった。これは謎売りのくだらない謎のせいで推理小説が売れにくくなってるだけであって、俺の小説がつまらないからではない。と言うことを、謎売りと接触することで証明するつもりだったんだ。
コピーは一見推理小説の1番おいしいところだけをつまみ出した素晴らしいものとされているが、全然違う。ミスリード、ストーリー展開の緊迫感や疾走感、これらが一切ないゴミだ。世間はこれを知らないんだ。また、“謎“以外の全ての要素を省いた結果、散りばめられた伏線は一箇所に集結し、丸見え状態。「ここが伏線だったのか!」と言った感動は当然存在しない。
数年前なら俺の作品は売れていた。世間は狂ってしまったんだ。お前たちのせいでな。
俺はキッ、と少女を睨みつけながら手を伸ばした。少女は風で飛ばないようにハットを片手で押さえつけていた。俺と少女は土砂降りの雨の中で対峙する。
「謎、見せてみろよ。」
少女は赤いハットを右手で少し上げた。
「ご購入ですか?ありがとうございます!」
少女は目をキラキラさせながらこちらを見て笑った。
赤いワンピースが風で舞った。