ヘブレスカン(1)
サラムたちは三日間をかけて、西へ移動した。途中で、グループを三つに分けて、それぞれの方向へ向かった。
これもまた暗殺者の知恵か、とジャンはただ瞬きながら彼らを見送ってから、サラムとイブラヒムと一緒に移動した。
「彼らはどこに行くのですか?」
ジャンがサラムに聞くと、サラムは微笑んだだけだった。
「どこに行くと思う?」
「んー、良く分からない。西へ行くと前に叔父さんが行ったけど、違うのですか?」
「西へ行くのは俺たち三人だけだ。他の人は別方向へ行くよ」
サラムはそう答えながらジャンの手から飴玉を奪って、自分の口に入れた。
「飴玉はもう食べ過ぎだ。さっきまでもうすでに5個食べたぞ?」
「うーん・・」
ジャンは残念そうにうなずいた。
「今日は飴玉おしまい。明日にしろよ」
「はい」
「おまえはこれ以上食べたら、俺があいつに怒られるからな」
サラムは笑いながら言った。
「良いか、ジャン。甘い物を食べても良いが、食べ過ぎは良くない。虫歯になるからな?」
「虫歯?」
「そうだ。甘い物を食べすぎると、口の中に虫がうじゃうじゃ出て来て、その虫は歯を砕いて、穴を開ける。穴が開いた歯がとても痛くて、頭痛になるぐらい痛いぞ?」
「虫?!」
「そうだよ」
「分かりました。もう食べません」
「毎日、ちゃんと歯をきれいにすれば良いんだ。そうすれば口の中は清潔するさ。けど、やはり甘い物を食べすぎると、掃除しても間に合わないからな」
「はい」
ジャンは素直にうなずいた。
「で、さっきのことなんだけど・・」
「はい」
「南へ行った班と南東へ行った班は、それぞれ役割がある」
「ふむふむ」
「だが、何しに行くかは、おまえには秘密だ」
「えっ!」
ジャンは信じられない様子でサラムを見上げた。サラムは笑っただけだった。
「アルバは、これから出合う彷徨う学者と仲良くすれば良い。分かった?」
「はい」
サラムがそういうと、ジャンはうなずいた。これは命令だ、ということだ。これからは、彼が演じるのはアルバという子どもだ。恐らくサヒムはその彷徨う学者のことだろう、とジャンは遠くに見えて来たオアシスを見渡しながら瞬いた。
サラムたちがオアシスに到着すると、イブラヒムは素早く馬をオアシスに連れて行った。サラムは周りをキョロキョロしたジャンを見て、笑いながらジャンを抱きかかえてそのまま町に歩いた。
「学者はどこ?」
ジャンが聞くと、サラムは何も答えず、しばらく歩いた。そして彼は宿屋の前に止まって、そのまま入った。
「一番良い部屋を一つくれ」
「前払いで、一日500銀貨だ。何日いる?」
「しばらくいる。とりあえず3日分を払う。まだかかりそうなら、その時また払う」
「分かった」
「後、今日の昼ご飯もくれ。いくら?」
「あの子も食べるのか?」
「当然だ」
「なら、100銀貨だ」
「分かった」
サラムがお金を机に置くと、宿屋の主人はお金を取って、うなずいた。
「食事は後ほど部屋に届ける」
「よろしく頼む」
サラムは宿屋の主人から鍵を受け取った。
「部屋はそこの階段を上がって、三階の手前の部屋だ」
「分かった」
サラムはうなずいて、そのまま階段を上って、三階の部屋に入った。意外ととても快適な部屋だ、とジャンは久しぶりの寝台に笑いながら転がると、サラムは微笑んだだけだった。
「眠いなら少し寝ても良いよ」
「ううん」
ジャンは首を振った。
「これからお昼でしょう?」
「どうだろう」
サラムは窓を開けて、外を見渡した。さすが大きなオアシスだ、とサラムは思った。町はとても活気に溢れている。
「ここもタックスですか?」
「いや、ここはヘブレスカン王国だ」
サラムはそう答えながら窓のカーテンを閉めた。
「タックスの東には干ばつが起きただろう?」
「はい」
「だが、西にはこんなにも水が溢れているオアシスがあると、不思議に思わない?」
「考えてみたら、そうですね」
ジャンはうなずいた。
「小さいオアシスを取るよりも、大きなオアシスを取ったほうが良いと思います」
「だろう?」
サラムは微笑みながらあるいて、カバンの中から一枚のパンを出した。彼は少し食べてから、残りはジャンに渡した。
「先にそれを食べて」
「はい」
ジャンは素直にうなずいて、サラムからもらったパンを食べ始めた。パサパサのパンだけれど、ないよりマシだ、とジャンは思った。
この様子だと、恐らく宿の食事を食べるのは無理だろう、とジャンは思った。
「ヘブレスカンの王女は、タックス王と結婚して、今の王妃だ」
「じゃ、ヘブレスカンとタックスは仲が良い?」
「それもまたどうかな」
「ん?」
ジャンは首を傾げた。
「政治は複雑だ。今のヘブレスカンは強い。攻めるよりも、結婚で同盟を結んだ方が互いのために良いと判断されただろう」
サラムはそう言いながら持って来た水筒の蓋を開けて、そのまま飲んだ。
「でも、タックスは干ばつに見舞われてしまったでしょう?どうしてヘブレスカンに水をくださいと言わないのですか?」
ジャンが聞くと、サラムは少し考え込んだ。
「単純だ。タックスは水以外、土地も奴隷も資源も欲しい。だから弱いとみられたウルダを先に攻撃したわけだ」
サラムはそう言いながらジャンに歌うようにと合図した。ジャンはうなずいて、大きな声で歌い始めた。それだけではなく、ジャンは寝台の上で踊り始めた。
扉がノックされると、サラムは笑いながら扉を開けた。すると、扉の向こうから食事を運んだ宿屋の下男はジャンを見て驚いて、思わず笑い出した。
「食事をお持ちしました」
「ああ、中に入れてくれ」
サラムが言うと、下男は部屋の中に入って、食事を運んで机の上に並べた。
「タックスの歌ですかね?」
「そうだね。甥は旅の途中で見た芸人を気に入ってね、ずっとこの調子だ」
「ははは、そうですか?」
下男は笑った。
「お客様はどこから?ここに何しに?」
「オルバザン王国から来たんだ。実はこの子の実の父親を探しに来たんだ。母親が他界してね、どうしても父親に会わせたくて、死ぬ前に頼んだ。聞いた話だと、彼はこの辺りのどこかにいるらしい」
「その方のお名前はなんて?」
「名前はアズバール・タリブだ。植物学者でね、知っているか?」
サラムは銀貨数枚をポケットから取り出しながら聞いた。
「アズバール様なら知っています」
下男はサラムからお金をもらいながら答えた。
「彼は変わった人で、この辺りの花や草を研究しています。夕方になれば、帰って来ますよ」
「ここに泊まっているのか?」
「はい、一番安い部屋なんですが、まぁ、部屋の中に葉っぱや植物の茎など、研究に必要な紙ぐらいしかないけどね」
下男が答えると、サラムは微笑んだ。
やはりこの下男は部屋の中を確認したか、とサラムは思った。
「アズバール様がお見えになりましたら、ご連絡しますよ」
「頼んだよ」
サラムは微笑んで、うなずいた。下男は丁寧に頭を下げてから外へ出て行った。サラムが扉を閉じると、ジャンは踊りをやめて、食事を見ている。
「これとこれは毒があります」
ジャンは食事を見て、毒があるものを遠ざけた。
「他は?」
「うーん、水もダメですね」
ジャンが答えると、サラムは微笑んだ。
「ほとんど味覚を鈍くする軽い毒さ。そうすればどんな料理でも美味しく感じる。たが、この鶏肉がやばい。眠り薬のにおいがぷんぷんしている。それを除けば、あまり害のない物だと思うけど」
サラムが言うと、ジャンは再び食事に嗅いだ。
「そうですか。じゃ、危なくない?」
「それは人それぞれだが、俺は毒と分かった物を口にしたくないな。きみは食べたければ、食べれば良い」
「うーん、私もダメかもしれません」
「だろう?」
サラムはそう言いながらその皿の中身を袋の中に入れた。鶏肉の料理は骨だけを皿に残して、肉やたれをすべて袋の中に入れた。
「でも、なんだかもったいないですね」
ジャンは息を呑み込んで、次々と料理が処分されてしまったことを残念そうに見ている。
「腹減ったのか?」
「はい」
「もうちょっと待って」
サラムはテキパキと料理を処分してから、袋をそのまま窓の外へ投げた。そして彼は使った皿を部屋の外へ出して、再び扉を閉じた。ジャンは窓を覗いて見ると、イブラヒムが袋を拾った姿が見えた。サラムが何かの合図を出すと、イブラヒムはうなずいて、その場を離れた。
「行っちゃった・・」
ジャンが残念そうに言うと、サラムは笑っただけだった。
「状況は良くないから、少し我慢しなさい」
「うーん、はい」
ジャンは諦めた様子でうなずいた。すると、サラムは彼を抱きかかえて、微笑みながら彼のほっぺを軽くつまんだ。
「この時こそ、我慢しなければいけない。腹減った~と顔に出してもいけないよ」
「はい」
ジャンはうなずいた。暗殺者は数時間も、数日間も、相手の油断を伺う時もあるから、とジャンはサヒムを思い出した。数日間も食べていなかったのに、彼は問題なく動けたから、きっとこのような訓練を受けただろう、とジャンは思った。
「耐えます」
ジャンが言うと、サラムは微笑んだ。
「良い子だ」
サラムはジャンの頭をなでた。
「きみのことを教えてくれ。どんな生活したか、俺が知らない世界の話をしてくれ。例えば、きみの兄弟の話とか」
「良いけど、あの下男に聞かれてしまいます・・」
「なら小さな声で俺の耳で言って」
「分かりました」
ジャンはうなずいて、小さな声で彼がアルキアで過ごした日々をサラムに話した。サラムは時に笑って、うなずいた。
「・・それでね、ベスタお兄様は学校の帰りにニナお姉様とルトお姉様を乗せて馬車を走らせたんだ」
「へぇ。馬車の使用人はどうした?」
サラムは興味津々とジャンに聞いた。
「うーん、使用人はちょうど降りて、お姉様たちのお荷物を運んでいたらしく、護衛の人は彼女たちを護衛したところだった。けど、ルトお姉様が入った途端、お兄様はいきなり馬車を走らせてしまって、馬が制御できなくて、猛スピードで沼に突っ込んでしまいました」
「へ?」
「怪我はなかったらしいけど、ニナお姉様とルトお姉様はとても怖かったか、大きな声で泣いてしまわれました。護衛の人と馬車の使用人はあわわあわわとパニックでした」
「それはそうだろう」
サラムは思わず笑った。
「彼らは別の馬車で帰ったけど、お母様はとても怒りました。自分だけではなく、妹二人も危険な目に遭わせてしまって、怪我でもしたらどうなるかって、とても大きな声で怒られました」
「ははは、分かる。ベスタはそれで反省したかな?」
「うーん、どうでしょう」
ジャンは考え込んだ。
「私は遠くからしか見ていませんでした。でも、その夜、ベスタお兄様はお部屋から出ていませんでした。私は心配したけど、何もできませんでした」
ジャンは窓の外へ見つめながら言った。
「多分お母さんの言うことを考えたんじゃないかな」
「うーん、多分。でも、相変わらず、ベスタお兄様はいろいろといたずら好きで、ほぼ毎回お母様に怒られましたけど」
「ははは」
サラムは軽く笑った。
「それにしても、お兄さんとお姉さんは学校に行くことができるんだね」
「うーん、基本的に私たちは貴族だから、イルカンディア人と同じく、学校に行くことが許されています」
「なるほど」
「でもお姉様たちは、基本的に、学校は読み書きができる程度までしか学校で勉強できませんでした」
「それはなぜ?」
「イルカンディア人は、アルキア貴族女性が早く結婚するようにと法律を作った、とお祖父様は言いました。その法律に基づいて、ほとんどの貴族女性は読み書きさえできれば良い、ということになっています。それに貴族女性は貴族男性としか結婚できないので、状況は良くない、とお祖父様は言いました。だからお姉様たちは学校で勉強したくても、できませんでした。政府に学校をやめさせられてしまいましたから」
「それは悲しい」
「うん。それに、女性は月が来ると、大人と見なされてしまいます」
「月か・・」
「でも、私は、その意味は良く分かりません」
「そのうち分かるよ」
サラムは微笑んだ。
「だからきみのお姉さんたちはもうすぐ結婚させられるか・・ウルダより早いね」
「うーん、多分」
ジャンはため息ついた。
「でも、お母様は、もう学校にいけなくなったお姉様たちに家庭教師を家に呼びました。結婚が決まるまで、お姉様たちは必要な知識を勉強すれば良いって。ニナお姉様は文学がとても上手で、よくいろいろな国の本を読んでくださいました。ルトお姉様は料理がとても上手で、よく美味しい料理を作ってくださいました。ルミお姉様は多分今年に入学すると思うけど、裁縫や物作りがとても上手です。私に、いろいろなおもちゃを手作りしてくださいました」
「そうか」
サラムはジャンを抱きしめた。なんとなく、ジャンは自分の兄弟を懐かしく思っている様子だった、と彼は気づいた。
「俺もきみの兄さんだよ」
「はい」
ジャンはうなずいた。そしてなぜか彼の目から涙が流れた。