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タックス(3)

翌朝。


アブ・シディクの命令で、ジャンが神殿へ送り込まれた。彼の乳母であるアマニは来なかった。このことについて、使用人たちが何も言わなかった。けれど、ジャンはなんとなく分かった。


今頃、彼女はもう死んだだろう、とジャンは馬車の窓を見つめている。


「神殿は、遠い?」


ジャンが聞くと、彼のそばにいる侍女はうなずいた。


「ここからだと、少し離れています」


侍女がそう答えると、ジャンはうなずいた。そして彼はまた窓に移った風景を見つめている。


アブ・シディク夫妻は一緒に行かなかった。理由はたった一つ、この馬車でジャンをそのまま神殿に差し出す、という意味だ。まだ小さいジャンのために、侍女と数名の護衛がいるけれど、さほど腕が良いには見えない、とジャンは思った。


馬車はしばらく走り続いて、アブ・シディクの屋敷からかなり離れて行った。ジャンはただ周囲を見ながら、馬車にゆられている。数分後、街外れにある大きな神殿へ到着した。侍女は先に降りて、丁寧にジャンを抱きかかえてから神殿に入った。しばらくすると、中で数名の神官がすでに待機して、侍女からジャンを受け取った。


「今回は男の子なんですね」


一人の神官が言うと、侍女は深く頭を下げた。


「ジャウハリ・シディク様でございます」


侍女が言うと、神官たちは何も答えず、うなずいただけだった。


「確かに受け取った。アブ・シディク様に、カセラトノテフ神のご加護がありますように」

「ありがとうございます。では、失礼致します」


侍女がジャンを見て、深く頭を下げてから、神殿を後にした。


「侍女は一緒に行かないの?」


ジャンが聞くと、神官の一人は首を振った。


「これから我々はあなたを管理する」


その答えを聞いたジャンはただ首を傾げただけだった。そして大きな声で歌い出した。その様子を見た神官らは笑って、そのまま神殿の奥へ向かった。





ジャンが神殿にいて、二日が経った。歌や祈りだけではなく、神殿で崇められているカセラトノトフ神への礼儀作法を教えられた。訓練を終えると、彼は神官らと一緒に食事をして、部屋に戻された。


ジャンがいる部屋はとても大きな部屋で、贅沢に金や宝石で飾られている部屋だ。しかも、彼は一人でその部屋にいる。そして、誰一人も彼を見張っている人がいなかった。けれども、鍵が外からかけられたため、その部屋から逃げることができない。


ジャンはしばらく部屋中に歩き回って、カーテンを開けた。窓から見えた景色はウルダと違う、とジャンは思った。タックスの建物が大きくて高い。この神殿も空高くそびえていて、彼の部屋も高い位置にある。壁を覆うカーテンをめくると、大きな窓に鉄格子がある。これで外からの侵入者を防ぐことができると同時に、中に閉じ込められた人も簡単に出られない。


鉄格子をなんとかしても、この高さから飛び降りることが不可能だ、とジャンは思った。彼はただ外を眺めながらため息ついた。


どうしたら良いんだ、とジャンは困った顔で外を見つめている。小さい自分が何ができるか、と自分自身に問いかけても、答えがでない。神官を殺しても、この神殿から出られそうにもない。


ジャンはため息をつきながら、窓から離れて、突然踊りながら歌った。サラムたちと一緒に旅をして、彼はほぼ毎日芸を磨いた。歌や踊り、数多くの音楽を覚えて、任務に必要な知識を得た。けれど、閉じ込められた彼はどうしようもなかった。だから踊って、歌って、頭を空っぽにして、良いアイデアが浮かぶかもしれない、と小さなジャンはそう思いながら行動した。


けれども、当然なことで、何も浮かばなかった。ジャンは動きをやめて、ため息ついた。そして彼は再び窓際に移動して、外を見つめている。


踊った時に光りが目に入った、とジャンは思った。ジャンは周囲を見渡した。この神殿よりも高い建物がいくつかあったけれど、少し離れている。


ジャンは窓に近づいて、鉄格子にしがみついた。木々の中からチラッと光りがまた見えた。


ジャンは目を細めて見ると、その光りの向こうにある物がチラッと見えた。


ライフルのスコープだ。


間違いない、とジャンは確信した。ライフルスコープの存在を知っているのはサラムを初めとしたタレーク家の人々だけだ。けれど、タックス軍では、鉄砲のことを知っているかどうか、ジャンは何も分かっていない。


ジャンは鉄格子から手を出して、小さく振った。すると、光りもチラッと動いた。それを見たジャンはなぜか安心した。


日が高くなって、やがて夜になった。けれど、その日の夜は何も起きなかった。次の日も、そしてその次の日も何も起きなかった。


遠くに見えたあの光りも見えなかった。


再び部屋に戻ったジャンはため息ついた。そろそろ彼は飽きてきた。けれど、これもまた修業だ、とジャンは彼の祖父の言葉を思い出した。


時を待って、機会を伺う。


ジャンは目を閉じて、心を落ち着かせた。これは祖父の教えだ。長い船旅も耐えたのだから、これしきのことなど、比べることすらない、とジャンはそう思いながら目を開けて、自分の武器を抜いた。


小さい武器だ、と彼はなぜか一人で笑った。小さいから、神殿の関係者に取り上げられなかった。しかもおもちゃっぽいの造りだから、なおさらだ。


けれど、小さくても、この短剣は本物の武器だ。この造りの細かさにジャンは瞬いた。刃には小さな穴があって、そこに毒が入っている。無味無臭の毒だ。甘いにおいも、色もない。けれど、ジャンは分かっている。粘り気があった透明な液体は注意すべきものだ、と昔彼の祖父に言われたことがあった。まさしくこのことだ、とジャンは再びその武器を慎重に鞘に収めた。


瞳と違って、透明な毒だ。


以前、ザアードから聞いた。無味無臭で透明な毒は大変高価で、レア。


そしてその高価な毒をジャンに持たせたのはサラムだった。ジャンはその小さな短剣を懐にしっかり入れてから、寝台に横たわった。


サラムに会いたい。


ジャンは最近仲が良くなった義兄(ぎけい)のサラムのことがあまり良く分からない。けれど、タックスでは、ジャンの唯一の味方はサラム班だ。


「兄さん・・」


ジャンは目を閉じて、体を丸めて、枕を抱きしめた。


「なんだ?」

「会いたい・・ん?」


その声を聞いた途端、ジャンは目を開けて、素早く起き上がった。寝台の近くで、サラムは微笑みながら立っている。


「元気か?」

「はい」


サラムが優しい言葉をかけると、まだ驚いたジャンはうなずいた。


「きみはしばらくここにいて」

「兄さんは?」

「やることがある」


サラムは手を伸ばした。ジャンも手を伸ばして、サラムの手を触れた。すると、サラムは一袋の飴玉をジャンの手の中に置いた。


「寂しくなったら、それを食べると良いよ。だが、あまり食べ過ぎないようにね」

「はい」

「そして、神殿の関係者に見つからないように、隠して。包み紙もね」


サラムがいうと、ジャンはうなずいた。


「でも見つかったら、どうしますか?」

「きみはどうしたい?」

「うーん、首を振って、否定するとか」

「信じなければ?」

「泣く?」

「ははは」


サラムは軽く笑った。そして彼はジャンのほっぺを軽くつまんだ。


「飴玉のことで、泣くのか?」

「兄さんから大事な物だから」

「そんな物のために泣かなくても良い。また買えば良いんだから」


サラムは微笑みながら首を振った。


「じゃ、殺す?」

「可能なら、殺せば良い。不可能なら、機会を伺う。それでもダメなら、どうにか逃げて、走って、隠れなさい」


サラムが言うと、ジャンはうなずいた。


「俺は絶対きみを見つけるから、安心して隠れてくれ」

「はい」


ジャンはうなずいた。


「あいつらをどう殺すか、殺さないか、きみの判断に任せる。ただ一つ言えるのが、あいつらはきみを生け贄にするつもりで、きみを飼っている」

「ペットみたいですね」

「ペットの方がマシだ。かわいいと思った犬や猫を信仰のために犠牲にする奴はいないよ」


サラムはジャンの目をまっすぐに見ている。


「私はいつ頃生け贄にされますか?」

「今月の満月の夜に」

「分かりました」

「そういうわけで、俺が来るまで、生きろ、ジャン」

「はい」

「良い子だ」


サラムは微笑んだ。


「サラム様」

「分かった」


後ろからサラム班の誰かの声が聞こえると、サラムは返事して、ジャンの頭を軽くなでた。そして彼は何も言わずに扉から出て行った。ジャンはただ瞬いて、扉を見ている。そして飴玉を手にしながら寝台から降りて、恐る恐ると扉の方へ歩いた。そして彼は扉を触れた。


扉が閉まっている。鍵がかかっているようだ。


ジャンは瞬いて、再び扉を確認した。やはり閉まっている。サラムは扉を開けて、入って、また出て行ったのか、とジャンは首を傾げながら飴玉を袋から出して、包みを開けた。そして飴玉一粒を口に入れると、懐かしい味が口の中に広がった。



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