タックス(1)
ジャンとサラムたちは船や筏で移動しながらタックス王国を旅している。旅芸人だから、荷物が多くても、まったく警戒されていなかった。ジャンもまた新しい楽譜を習って、サラムたちと一緒に練習していた。
音楽の才能もある、とサラムはジャンの成長を見て、考え込んだ。聞いたこともない音楽をすぐさま記憶して、まったく同じようにできた。同じミズマールを使っているサラム班の一人が興奮になったぐらいに、大変良くできている。
「船が明日タックスの都に着くそうだ」
サラムはパンをちぎりながら言った。ジャンはうなずいて、静かにパンを食べている。サラムがジャンに狙った獲物を明かしてから、ジャンはあまり多く言葉を言わなくなった。それに、言葉が上手とはいえ、万が一言い間違いでもしたら、大変なことだ、とジャンは思った。
「まぁ、気楽に、シャム」
サラムが言うと、ジャンはうなずいた。シャムは彼の偽名だ。
「お父さんはどうしてそんなに冷静なのですか?」
「深く考えていないからだ」
サラムはそう言いながらパンを口に入れた。ジャンはパンを食べ終わらせて、静かに水を飲んだ。
「おいで、シャム」
「はい」
ジャンが近づくと、サラムは微笑みながらジャンの顔をきれいにしてから自分の腕に乗せて、船の甲板に出て行った。二人の会話はもうすでにタックス語で行われている。
「ここからは、何が見える?」
サラムは小さな声でジャンの耳元で聞いた。
「何も見えません。とても暗いです」
「そう?」
サラムはジャンを見ている。
「向こうに見えるのは砂漠だ。正式な名前はゴルダ砂漠だ」
サマンはジャンの耳元で小さな声で言った。その名前を聞いたジャンは無言でうなずいた。なぜなら、その砂漠に生殖しているサソリの毒で、彼は数日間も生死彷徨ったことになったからだ。
「そのサソリの住処が、海岸から遠いですか?」
「遠い」
サラムはうなずいた。
「早くても、全力の馬で、止まらず走ったら三日ぐらいだ」
「うむ。そう簡単に破壊できませんね」
「そうだな」
ジャンが言うと、サラムはうなずいた。
「それに、サソリ自体はとても大きい。そう簡単に倒すことができない」
「ふむ」
ジャンは考え込んだ。
「サソリの餌は何ですか?」
「人だ」
サラムは隠さず答えた。
「人を食べさせるのですか?」
「そうだ。大体奴隷を食べると聞いた。子どもが好みのようだが、サイズが小さいから、一人じゃ二人が足りない。なので、大体大人二人と子ども一人の組み合わせで餌やりしたらしい」
「うむ」
ジャンは考え込んだ。
「奴隷となると、ナガレフ村もこの前タックスに落ちた、と言われましたよね」
「そうだね」
「彼らもそのサソリの餌になったのですか?」
「多分な」
サラムはうなずいた。
「人がいなければ、彼らは何を食べますか?」
「共食いすると聞いた」
「ふむ」
ジャンは考え込んだ。
「弱点は何か、と分かりますか?」
「炎と聞いたけど、あいつらは元々熱い砂漠にいるから、それを超える炎、または永遠に焼き続けるような油とか、と思ったけど、どうなんだろう。殻も厚いから、炎の熱が中まで焼き尽くせるかどうか、疑問だと思う」
「ふむ」
ジャンは考え込んだ。
「サソリが存在している限り、彼らはまた強きでウルダを襲いますよね」
「そうだね」
「何かできないですか」
ジャンが言うと、サラムは考え込んだ。
「今のところ、どうすれば良いのか分からない。護衛もかなり厚いから、単独で攻撃するのも難しい」
「ふむ」
「とりあえず、きみを殺そうとしたあいつらを先に掃除した方が無難だと思う」
「そうですね」
ジャンはうなずいた。
「お父さんを殺そうとした人もいますか?」
ジャンが聞くと、サラムは思わず笑った。
「いるさ」
サラムはうなずいた。
「だが、あいつらはほとんど滅びたけどね」
「ふむふむ」
「彼らは、ほとんど俺に首を斬られた」
「うむ」
「・・そこから『首切り』というあだ名になったけどな」
サラムの答えを聞いたジャンは瞬いた。
「じゃ、これから私を殺そうとした人を殺せば良いですね」
「その通りだ」
サラムはうなずいた。
「そもそも4歳児を殺すために暗殺者に依頼した人には、情けを与える必要なんてない。そういう人はゴミ以下で、きれいさっぱりと殺した方が世の中になると思うよ」
「うむ、そうですね」
ジャンはうなずいた。
「あいつの顔は覚えたよね?」
「もちろんです」
ジャンはうなずいた。そもそも絵自体がもう燃やされたから、手元にはない。
「鉄砲だと、距離はどのぐらい?」
「うーん」
ジャンは考え込んだ。
「姉さんの部屋から町の外にあるオアシスの一番外にあるまで届くよりも、その2倍も先に届くと思います」
「ということは、俺が港で戦ったよりも、その先にも届くということか?」
「障害物がなければ、届きます。あの時、船が被害物になったから、お父さんがいる位置から先には届きませんでした」
「なるほど」
サラムは瞬いた。
「それなら、明日少し下見でもしようか?」
「はい」
ジャンはうなずいた。サラムは微笑んで、ジャンのほっぺに口づけしてからしばらく船の甲板で散歩した。
翌朝、船が港に着いた。サラム班の数人が楽器を運んで、彼らと移動した。もうすでに港にいる数人もいる、とジャンは気づいた。サラムは何も知らないふりをしながら、片手でジャンを抱きかかえた。ジャンもまたサラムの腕の上で周囲を見ながら周囲を見渡した。
所々兵士らがいるけれど、さほど厳重ではない、とジャンは思った。ジャンが手首を動かしながら周囲を見ると、サラムは笑っただけだった。まるで、踊りのようだ、とサラムは思った。ジャンの頭の中にきっと音楽でいっぱいだろう。
「お子さんですか?」
突然一人の男性がサラムに声をかけると、サラムは笑いながらうなずいた。ジャンは手を止めて、その男性を見ている。
中年ぐらいの男だ、とジャンは思った。おなかが大きく、立派なひげがある。
「息子ですが、何か?」
「息子さんでしたか・・。最初は女子かと思ったが、男の子だったとは」
その男性は不思議な目で尋ねた。
「良く言われました。彼は母親似でね」
「そうだったのか。母親は・・?」
「残念ながら、彼が生まれた時に・・」
「そうだったのか」
サラムが言うと、その男性はがっかりするような感じだった。
「あ、申し遅れた。わしはアブ・シディク、商人でね。ちょうどこの辺りを歩いて、とてもきれいなお子さんを見て、声をかけたわけだ」
「なるほど」
サラムはうなずいた。
「私はカリード・ハフィズ、旅芸人です。こちらは私の息子、シャム・ハフィズです。あそこにいる三人は私の仲間で、同じ旅芸人です。見ての通り、あの船からこの町につい先降りたばかりです」
サラムが丁寧に自己紹介すると、ジャンも頭を下げて、自己紹介した。その男性は笑って、ジャンを見ている。
「この町に降りたばかりとなると、今夜の泊まる場所はまだないのか?」
「はい。これから探そうと思っています」
サラムは丁寧に答えた。
「なら、私の屋敷に来てください。ちょうど今夜の食事会のための音楽を探してね。いつもの連中がいなくて、困ったところだった」
アブ・シディクを名乗った人がそういうと、サラムは彼の部下を見て軽く相談をする仕草を見せた。彼らがうなずくと、サラムは丁寧にアブ・シディクの誘いを受け取った。彼らはアブ・シディクの屋敷に向かった。
案内された場所はとても大きな屋敷だった。あちらこちらに贅沢極まりない飾りも置かれて、サラムたちの目を楽しませている。しばらく歩いていたら、使用人が現れると、アブ・シディクは彼らの部屋に案内するように、と命じた。
「その、・・少しシャムを借りても良いか?」
アブ・シディクが突然言うと、サラムは首を傾げた。
「どうしてシャムを?」
「妻に見せたいからだ」
アブ・シディクは微笑みながらサラムの疑問を答えた。
「妻は病弱でね、きっとシャムのようなきれいなお子をみたら、喜ぶだろう」
アブ・シディクが言うと、サラムは複雑な目でジャンを見ている。
「父さん、大丈夫」
ジャンが小さな声でいうと、サラムはまた瞬いた。そして彼はジャンの頭をなでてからほっぺを口づけて、ジャンを降ろした。
「夫人に失礼にならないようにね、シャム」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「どうぞ」
「感謝するよ」
アブ・シディクは微笑んで、ジャンの手を引いて、屋敷へ入った。
「お母さんがいなくて、寂しくないのか?」
二人がしばらく歩いてから、アブ・シディクは声をかけた。
「うーん・・」
ジャンは考え込んだ。
「母さんの顔は分かりません。父さんは私が母さんに似ていると言いましたけど・・」
ジャンが答えると、アブ・シディクは微笑んだ。そして彼は屋敷の奥にある扉を開けた。
「おいで、シャム」
「はい」
ジャンはうなずいて、アブ・シディクの後ろに付いて行った。一人の中年女性が現れて、丁寧にアブ・シディクの手を取って、その手の甲を口づけした。
「シャム、紹介しよう。私の妻、エリネールだ」
アブ・シディクが彼女を紹介すると、ジャンは丁寧に頭を下げた。
「初めまして、シャム・ハフィズです。4歳です」
ジャンが言うと、その女性は驚いて、そのままジャンを見て、抱きかかえた。
「なんてきれいな子どもです!」
「ははは、そうだろう?」
エリネールが言うと、アブ・シディクは笑った。
「白い肌で、きれいな目・・。彼はどこで?」
エリネールはそう言いながら、ジャンの顔を触れた。
「旅芸人の子どもだ。母親はもうすでに他界した」
「あら」
アブ・シディクの言葉を聞いたエリネールは驚いた。
「お母さんがいないなら、ここにいてください。私はあなたのお母さんになりますよ」
エリネールが言うと、ジャンは首を傾げた。
「私は父さんの子どもです」
ジャンが言うと、彼女は笑っただけだった。
「後で旦那様があなたのお父さんと話し合います」
エリネールが言うと、ジャンは瞬いた。エリネールはジャンのほっぺに口づけして、笑いながらジャンのほっぺをつまんだ。
「気に入ったなら、後で話し合うよ」
「ええ、お願いします。お金をたくさん積んであげれば、彼は承知してくれるでしょう」
エリネールは嬉しそうにジャンを見て、再びジャンのほっぺをつまんだ。
「でも、そろそろ父さんの所へ戻らないといけません」
「あら?」
ジャンが言うと、エリネールは驚いた。
「父さんが心配するから」
「ここにいてください」
「父さんに言わないとダメ」
ジャンは首を振った。
「少しだけここにいて・・」
「でも、でも、えーん!」
エリネールが言い終えるまえに、ジャンは大きな声で泣いてしまった。そんなジャンを見て、エリネールは慌ててジャンの頭をなでて、機嫌を宥めようとしたけれど、無理だった。アブ・シディクは慌てて外で待機した侍従に言って、ジャンの「父親」のサラムを呼び付けた。侍従と一緒に現れたサラムは泣き叫んだジャンを引き取って、ジャンを抱きかかえた。
「いきなり泣いた」
アブ・シディクが言うと、サラムはジャンを見て、指で涙を拭いた。
「どうした?」
サラムが聞くと、ジャンは答えず、ただサラムの首を抱きしめた。
「どうやら眠いから、機嫌を損ねたようですね」
サラムが言うと、アブ・シディクとエリネールは安堵した様子だった。
「知っての通り、私どもはこの町に始めてきたので、疲れもあって、ゆっくりと休みたいと思っております」
「なるほど」
サラムの言い訳を聞いたアブ・シディクはうなずいた。
「なら、ゆっくりと休んで、夕方に音楽を披露してくれ」
「かしこまりました。では、失礼します」
サラムは頭を下げてから、ジャンと一緒に外へ出て行った。
「大丈夫か?」
「うん」
サラムはジャンの耳元で小さな声で聞いた。ジャンは小さな声で答えた。二人がしばらく無言で歩いて、宿泊の場所に到着すると、侍従は頭を下げてからどこかへ行った。サラムは周囲を確認しながら、ジャンの背中をさすりながらゆっくりと歩いている。
「何かされたか?」
「ううん」
サラムが小さな声で尋ねると、ジャンは首を振った。
「夫人は私を帰さなかったからです。彼女は、私を買おう、と言い出しました。相手にするのも面倒なので、こうやって泣いて、離れました」
「なるほど」
ジャンの言葉を聞いたサラムは険しい顔で小さくうなずいた。アブ・シディクがどういう理由でジャンを買いたいか、とサラムはそのようなことを軽く見ていなかった。
「夕方まで時間があるから、少し散歩でもしようか?」
「うん」
ジャンはサラムの首に手を回しながら短く答えた。サラムは侍従が示した方向へ向かった後、そのまま屋敷の外へ出て行った。二人は市場へ向かって、飴玉を買ってから、町の展望台に登って、周囲を見渡した。
「あそこにある立派な建物は宮殿だ」
サラムは小さな声でジャンの耳元で言った。ジャンはうなずいた。周囲には複数の観光客らしい人々がいて、景色を楽しんでいる。
「あの宮殿の右側、きれいな庭が見えるだろう?」
「うん」
「あそこに、うさぎがいるらしい」
うさぎとは獲物の意味だ。
「うさぎはどうやって会えるの?」
「さぁ、ね」
サラムは微笑みながら首を傾げた。
「じゃ。これから、どうしよう・・」
「基本は辛抱強く待つことだ。きっと、機会が訪れるだろう」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「これからは、短剣を肌に離さないでくれよ」
「はい」
「万が一、俺たちと別れることになって、一人になっても、おまえのうさぎだけでも、絶対に仕留めてくれ」
「・・はい」
ジャンは瞬いてから、うなずいた。
「仕事を終えたら、隠れてくれ。きみがどこに隠れていても、俺は必ず見つけてやる。分かった?」
サラムが言うと、ジャンはうなずいた。サバッダも同じことを言った。
「父さん」
「ん?」
「今度は、私にかくれんぼうのコツを教えてください」
「ははは、良いよ」
サラムは笑いながらそう答えて、ジャンの額を口づけした。
「一つだけ今教えるよ。相手の気配を探ることだ」
「うーん・・、分かりません」
「ははは」
ジャンが首を傾げると、サラムは笑っただけだった。 二人は降りて、おもちゃを買ってからぶらりと歩いてから、再びアブ・シディクの屋敷へ戻った。途中でサラムの命令で、ジャンは寝たふりした。アブ・シディクの侍従らがそのまま彼らが滞在する建物に案内した。
「夕方にまたご案内致します」
侍従の一人が丁寧に言ってから、退室した。サラムはうなずいて、ジャンを寝台に降ろした。