ウルダ(56)
数日の間、ジャンとサラムはオグラット村に滞在した。その数日間、サラムは呆れるほど、サビルがジャンを甘やかす姿を見ていた。
噂通り、とサラムは思った。サビルはジャンにとても甘い。朝から晩まで、彼はずっとジャンにべったりして、欲しい物を与える。
まるで長年も会っていなかった孫か、とサラムは干し葡萄をつまみながら二人を見ている。ジャンはケラケラと笑いながらサビルの腕に乗って、おもちゃを遊ぶ。その姿を見たサラムはふっと気づいた。
それは本来の子どもの姿だ。考えてみると、ジャンはまだ4歳だ。4歳だから、遊んでも当然だ。何一つもおかしなことはない。ましてや、その年齢で、敵を撃ち殺した事の方が異常だ。
自分だってそうだった。サラムは4歳のころ、母親と一緒に笑って遊んで記憶もあった。自分が母親を独り占めしようと思ったけれど、次々と弟や妹が生まれて、その希望が叶わなくなった。それで、彼は変わってしまった。弟たちを拒否して、近づこうもしなかった。今思えば、馬鹿馬鹿しいことだったかもしれない、とサラムは思った。
けれど、ジャンにはその記憶がない。彼は一人で、アルキアから遠く離れているウルダにいる。そう考えてしまうと、ジャンのことを哀れに思ってしまった。
自分がどれほど恵まれているか、とサラムは干しナツメヤシの実を食べているジャンを見ながら思った。
「ははは、まったく父さんはジャンに甘い・・」
サビルの息子、次期当主のカザムは笑いながら座って、中庭で笑っている二人を見ている。サラムは微笑んで、うなずいた。
「いつもその様子?」
「そうだね」
カザムはうなずいた。
「始めてジャンと出合ってから、ずっとその調子だ。子どもも、孫もたくさんいるのに、誰一人もそのように甘えられることはなかった」
カザムが言うと、サラムは笑った。
「私の父親もそんな様子だ」
サラムは言った。
「息子にも、孫にも、誰一人も笑顔を見せなかった父は、ジャンにとても優しく接触している」
「あの子がかわいいからか?」
「それもある」
サラムはうなずいた。確かにジャンはかわいい、と彼は思った。
「だが、それ以上に、彼は優秀だ」
「その言葉の意味は分かる」
サラムが言うと、カザムはうなずいた。カザムは今でも忘れなかった。小さな子どもが屋根から屋根へ移動して、終いにナツメヤシの木から飛び降りたことを目撃したからだ。
「カザム殿が思った以上に、ジャンはとても優秀だ」
サラムは手を振ったジャンに向かって、手を振った。
「クジャク星で山賊を殺したよりも?」
「そうだ」
サラムはうなずいた。
「子どもたちから聞いたと思うが、ジャンは彼らに鉄砲を教えただろう?」
「ああ、それを聞いた。驚いたよ」
カザムはうなずいた。
「その後、彼は一人でタックスの暗殺者を殺した。一対一の激戦だった」
「ほう?」
「ちなみに、あのタックスの暗殺者はガレフ出身の暗殺者で、ガレフのハルカルと呼ばれる人だった」
「あのガレフのハルカル?!あのハルカルが、あの子に負けたというのか?!」
カリームは驚きを隠せなかった。
「そうだよ」
「ほう・・」
ガレフのハルカルの名前を知らない人はいないぐらい、有名だ。彼に狙われたら、ほとんど死ぬ。凄腕の護衛に囲まれても、その人の腕に敵わないほどの凄腕の暗殺者だ。けれど、彼を依頼するには莫大のお金が必要だ。
その危険な暗殺者を殺した人はその子どもとなると、確かに優秀だ、とカザムは興味津々とジャンを見ている。だから父親があんなに彼を欲しがっているのか、とカザムは思った。
「ジャンはどうやってガレフのハルカルを殺した?」
「サビル殿がくれたシャムシールで斬った、と父さんから聞いた」
「ほう」
カリームはサビルの腕から降りたジャンを見ている。
「父さんによると、ジャンは父さんの母方からの親戚だ。なので、そのシャムシールを与えた、と父さんは言った。あれは祖母の宝物だったそうだ」
「そうなんだ」
サラムは立ち上がって、自分の方へ走って来たジャンを見ている。
「マグラフ村は今大変なら、しばらくの間、ジャンはここに置いても歓迎するよ」
「ありがたいが、やるべきことがあってね。だからしばらくしたら、行かなければならない」
サラムは微笑みながら両手を広げて、走って来たジャンを捕まえて、そのまま抱きしめた。ジャンはケラケラと笑いながら干しナツメヤシを手に持ってサラムに見せた。サラムは微笑んでうなずいた。後から来たサビルは笑いながら彼らに昼ご飯を招いた。
一週間の滞在を終えて、ジャンたちはサビルたちに見送られながらオグラット村を発った。最初はサビルはあまり良い顔をしないで、一所懸命にジャンを引き留めようとした。けれど、サラムが理由として、ウルダの町々をジャンに紹介したいと投げると、サビルは嫌々しながらジャンを送り出した。
「兄さん、これからどこへ行くのですか?」
ジャンが甘い干し葡萄をつまみながら聞くと、サラムは馬を近づけて、横からその干し葡萄を取って、口に入れた。
「どこに行こうかな~」
サラムは干し葡萄をもぐもぐしながら考え込んだ。
「北へ行こうか」
「さっきから北へ向かっているけど?」
「そうなんだね」
サラムはまた干し葡萄を取って、口に入れた。
「ずっと北へ行こうか?行ったことはないだろう?」
「ありません」
「じゃ、決まりね?北へ」
サラムが言うと、ジャンはうなずいた。
二週間の旅を終えて、一行がゼルサの町へ到着した。その町では、すでに一行を待っているサラム班が数人いる。彼らはすでに宿をとって、笑顔でジャンを迎えに行った。
けれど、ジャンは気づいた。サラム班は任務じゃなければ、ここまではしないだろう、とジャンは思った。彼らに、偶然なんて存在しない。
「ジャン様、お部屋にご案内致します」
一人のサラム班の人が言うと、ジャンはうなずいた。サラムはうなずいて、イブラヒムに付いて行くようにと命じた。サラムはこれから彼らと少し「話し合い」と言った。
「うむ、イブラヒムさん」
ジャンはイブラヒムに抱きかかえられながら、聞いた。
「はい、なんでございましょう?」
「うむ、聞いても良い?」
「何なりと」
イブラヒムはうなずいた。
「父さんからのご命令でしょう?」
ジャンが聞くと、イブラヒムは微笑んで、もう一人の仲間が扉を開けた。
「サラム様に伺えばよろしいか、と」
「うむ、分かりました」
ジャンはうなずいた。部屋に入ると、すでに新しい服を用意されて、イブラヒムがジャンに着替えさせた。
ウルダの服ではない、とジャンは思った。けれど、彼は何も言わなかった。そしてイブラヒムたちも何も言わなかった。ジャンが着替え終えると、サラムは部屋の中に入って、微笑んだ。そしてイブラヒムたちはサラムの服を着替えさせた。ジャンは無言で彼を見て、瞬いた。
「どうだ、新しい服は気に入ったか?」
サラムは微笑みながら聞いた。イブラヒムはサラムの頭に帽子を付けてから布で巻いた。
「うむ、初めてなので、良く分かりません」
ジャンは素直に言った。ジャンの答えを聞いたサラムは笑っただけだった。その日、サラムはジャンを連れて町を散策した。彼はジャンにとって珍しい物を買って、一緒に食べた。
「兄さん」
「何?」
「どうしてさっきからずっとタックス語で話したのですか?」
ジャンが小さな声で聞くと、サラムはジャンの頭をなでて、微笑んだ。
「我々はタックス王国に来たからだ」
「ん?」
サラムが小さな声でジャンの耳元で言うと、ジャンは瞬いた。
「じゃ、これからずっとタックス語?」
ジャンがタックス語で聞くと、サラムは無言でうなずいた。短時間勉強しただけで、ジャンはもうすでに基礎レベルのタックス語をマスターした。文字がまだ基礎の文字しかならっていないと聞いたけれど、言葉はもう違和感すらない。本当の意味の天才だ、とサラムは思った。
「ウルダに戻るまで、ずっとタックス語で」
「分かりました」
ジャンはうなずいた。
「でも、私はあまり上手ではありません」
「分からなければ、意味が近い言葉で言えば良い。それでも分からないなら、俺に聞け」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「イブラヒムさんはタックス語ができますか?」
ジャンが聞くと、サラムは笑った。
「もちろんだ」
サラムはうなずいて、串焼き二本を買って、その一本をジャンにあげた。彼はもう一本を食べながら、市場を歩き回った。
「あ、もう一つ」
「何?」
ジャンが聞くと、サラムは耳を傾けた。
「兄さんは何に呼ばれたいのですか?」
「ん?」
サラムは首を傾げた。
「うーん、前にザアード兄さんと一緒に行った時に、ザアード兄さんをお父さんと呼びました。ジャヒール先生と一緒に行ったときにも、ジャヒール先生はお父さんと呼びました」
「ああ」
サラムはうなずいた。確かに親子なら自然に演じることができる。
「じゃ、俺のことをお父さんと呼んでみるか?」
「分かりました。お父さん」
「・・・」
サラムは固まった。そして彼は硬い表情で微笑んだ。
「お父さんと呼ばれていることを少し慣れていなかった。これから練習しよう」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「あと、きみの楽器を持って来た。ミズマールだよね?」
「はい」
ジャンはうなずいた。小さな笛のような楽器で、吹き方もちゃんと習った。
「俺は打楽器ができるから、これで旅芸人を演じることができる」
「サバッダ兄さんもダラブッカができますね」
「ははは、あいつは俺をみて、うらやましがっていたんだ」
サラムが笑って、市場の楽器屋の前で止まった。店主が彼らを迎えに現れると、サラムはジャンを降ろしてから、いくつかの楽器を試した。そして交渉の末、彼は一つの打楽器ダルバッカを買った。
「イブラヒム、ジャンのミズマールを」
サラムが命じると、後ろから付いてきたイブラヒムは懐から箱を出して、ジャンに差し出した。ジャンが箱を受け取って開けると、中に入ったのは彼のミズマールだった。
「毒はございません」
イブラヒムが小さな声で言うと、ジャンは無言でうなずいた。
「じゃ、ちょっと試そうか?」
サラムが少し歩いて、楽器屋の前にあるベンチに座って、ダルバッカを叩き始めた。イブラヒムが手拍子でリズムを取ると、ジャンはうなずいて、ミズマールを吹き始めた。陽気な音楽が聞こえると、人々が集まって、嬉しそうに歌い始めた。踊っている子どもたちもいて、一時的に旅芸人のコンサートのような雰囲気になった。一つの歌が終えると、サラムは隣の楽器屋のダルバッカを宣伝してから、また別の音楽を披露した。結局彼らの音楽コンサートが終わるまで、人々はずっとその場から離れなかった。急に客に入った楽器屋の店主は嬉しそうにサラムにお金を与えて、礼を言った。
また来てください、と店主がいうと、サラムは笑っただけだった。