ウルダ(54)
ザカリアが連れて行った場所は一階にあるダイニングルームだった。誰もいないダイニングルームだったけれど、その奥にある小部屋から隠し通路があった。そこから直行で厨房まで行くことができる。ジャンは鉄砲を抱きしめながら、周囲を見ている。途中で一人の衛兵らしき人に会うと、ザカリアは食事を求めた。その衛兵はザカリアの腕にいるジャンを見て、微笑みながら厨房の扉を開けた。その中から数人の男性らがいて、大きな皿にパンと干しナツメヤシの実を持って来た。
「今はこのような物しかございませんが・・」
「あ、十分です」
ザカリアはジャンを降ろしてから、それらの食料を受け取った。
「少し毒味をさせて頂きます」
ザカリアはパン一欠片を取って、においを嗅いでから、そのまま食べた。
「大丈夫でございます」
「ありがとうございます」
ジャンはうなずいた。そして、その場で食べた。
「美味しかったです。感謝します」
ジャンはそう言いながら頭を下げた。その言葉を聞いた厨房にいる男性らは驚いて、慌てて頭を下げた。
「残りのパンをもらっても良いですか?」
「問題ございません」
「じゃ、もらってきます。これらのパンはサイナさんたちに配ります。まだ戦いが続いているので、皆さんもお気を付けてくださいね」
ジャンが言うと、彼らはうなずいた。彼らはテキパキとパンと干しナツメヤシの実を袋に入れてから、ジャンに差し出した。ジャンがそれらのパンを受け取ると、ザカリアはそのまま再びジャンを抱きかかえた。ザカリアが衛兵に合図を出すと、扉は再び閉まった。二人はまた誰もいない廊下に歩いた。
「誰もいないと、なんだか怖いですね」
「そうでございますか?」
「はい・・」
ジャンが言うと、ザカリアは微笑んだ。
「どうして怖いでございますか?」
「んー、おばけが出てくるような気がします」
「ははは、おばけでございますか・・」
ザカリアは扉を開けると、彼らが再びサイナたちがいる建物に戻った。
「おばけよりも、この世にもっと怖い物がございますよ?」
「山賊ですか?」
「もっと怖いでございます」
「ん・・、何でしょう?」
ジャンは首を傾げた。
「それは暗殺者だよ、ジャン」
ジャンはその声が聞こえる方向へ視線を移すと、ザイドがいる。彼の周辺に数人の部下がいて、彼らの服から血が見えた。ジャンは瞬いてから、ザイドを見ている。
「父さん、お怪我・・」
「怪我はない。これは返り血だ」
「良かったです」
ジャンが言うと、ザイドは微笑んだ。
「ジャン様は、おなかが空きましたと仰ったので、厨房へ連れて参りました」
ザカリアが言うと、ザイドは微笑んだ。
「持ち場を離れて、ごめんなさい、父さん」
「問題ない。それよりも、ちゃんと食べた?」
「はい。大きなパンを一つ食べました。この袋の中に入ったパンは、これからサイナさんやザイナブさんたちに渡します」
「なるほど」
ザイドは合図を出しながらうなずいた。
「もう部屋に戻りなさい」
「はい」
ザイドが言うと、ザカリアは頭を下げてから、ザイドの部下が開いた扉に入った。二人がその扉の向こうへ行くと、扉がまた閉じられた。
「さっきから思うんですけど」
「はい」
「この屋敷って、扉が多いですね」
「そうですね」
ザカリアはうなずいた。
「私が一人で行ったら、多分迷子になりそうです」
「そのために私どもがおります」
「いつもありがとうございます」
「役目でございます」
ザカリアは微笑みながら答えた。その後、彼らは階段を上って、再び廊下に到着した。向こうにはエフラド家の護衛官らと衛兵らが周囲を見ながらジャンたちの存在に気づいた。
「あ、ごめんなさい。パンが少ししか持って来ていませんでした」
ジャンが謝罪すると、一人の衛兵が微笑んだ。ジャンが干しナツメヤシの実を渡そうとしたときに、彼らは首を振って丁寧に断って、扉を開けた。部屋の中に入ったザカリアがうなずくと、彼もうなずいて、再び扉を閉じた。ジャンはサブリたちにパンを渡してから、事前に分けたパンを持って、ベランダへ出て行った。
「ただいま戻りました」
ジャンが言うと、サイナたちはベランダの鉢植木から降りて、そのまましゃがんで休憩した。
「おかえりなさい。結構この体制はきついわね」
サイナが言うと、ジャンは笑った。
「サイナ姉さんが敵の矢に当たるよりか良いと思います。はい、パンです。これしかないけど・・」
ジャンはその場にいるサイナと子どもたちにパンを配ってから、盾を持っている衛兵らに干しナツメヤシの実を二個ずつ渡した。サイナたちはベランダでしゃがみながらパンを食べて、ジャンがいないときの話をした。ジャンはうなずいて、彼らの話を聞いた。また鉄砲をやりたいという子どもも現れて、ジャンは彼らを教えた。
「弾が大事だから、なるべく当たるように撃ってください。目標は、弾一つで、命一つ、と心がけてください」
ジャンの言葉を聞いた彼らはうなずいた。サイナはパンを食べながら、子どもたちの様子を見ている。そして、まだ4歳のジャンを見て、考え込んだ。
エマルとウマルよりも若いジャンは、堂々と自分よりも大きな子どもたちを教えている。戦争でここに避難したという話は聞いたけれど、結局ここでも戦いに遭ってしまう、とサイナは複雑な気持ちでジャンを見つめている。
「サイナ姉さん、疲れたら中で休んで下さい」
「大丈夫よ」
サイナに見つめられて気づいたジャンが言ったけれど、サイナは首を振った。そしてエマルの顔を適当にきれいにしてから、エマルの水筒を開けて、そのまま飲んだ。
「じゃ、中で休みたい人は中に入って下さい」
ジャンがそう言いながら再びボルトアクションを引いて、鉄砲を構えて、敵を見ている。
もうほとんどいない、と彼は思った。道ばたで横たわった敵に死体が多い。泣き叫んで、逃げる敵もいた。
けれど、ジャンは情けをかけなかった。逃げた敵は、どんな情報を持って帰るか、そう思うと、彼らを殺すしかない、とジャンは鉄砲の引き金を引いた。
弾一つに、命一つ。
その言葉通り、ジャンが放った鉄砲の弾は敵に命中した。
「叔父さん、はい、弾」
「ありがとう、サルマンさん」
ジャンは素直にサルマンから弾をもらって、再び鉄砲の中に入れた。他の子どもたちは地面に落ちた薬莢を拾って、袋の中に入れた。
「もうそろそろ敵がいなくなりましたね」
ジャンがそう言いながら静かになった南側を見つめている。サイナもベランダから恐る恐ると頭を出して、周囲を見渡した。
「勝ったかな?」
「多分・・、良く分かりません」
サイナが聞くと、ジャンはそう答えながら、撃つのをやめて、そのまま下に降りた。そして座って、干しナツメヤシの実を口に入れた。
「じゃ、私は中に入るね?」
「はい」
ジャンはうなずいた。もう一人の子どもも攻撃をやめて、ジャンの隣で座って、水を飲んだ。結構興奮しているようだ、とザカリアは思った。
「ザカリアさんは疲れたら、座っても良いですよ」
「私どもは大丈夫でございます」
「そう?」
「はい」
ザカリアは丁寧に首を振った。二人の衛兵もザカリアと同じく首を振った。そして彼らは目を光らせて、周囲を見渡した。
しばらくすると、村からサフィードの部下が見えると、外にいるタレーク家部隊の人々の勝利の歓喜が聞こえてきた。ジャンと子どもたちも嬉しそうに抱き合って、踊り出した。その後、ジャンたちが部屋の中に入ると、ザイナブたちに抱きしめられた。けれど、安全のために、彼らはしばらくサイナの部屋にいなければならない。ベランダに衛兵二人をそのままにして、ザカリアは部屋の外へ出て行った。
サフィードの妻のサルビナは嬉しそうにジャンを抱きしめた。サルビナの娘たちもジャンを抱きしめて、ほっぺに口づけした。サルビナがジャンを自分の子どもにしたいと言い出すと、ザイナブは首を振った。可能なら、自分の子どもにしたい、と言い返した。その言葉を聞いたサイナは笑いながらお茶を煎れて、彼女達の前に差し出した。
「そのことを言ったら、父さんは絶対に文句を言うよ」
「もう、孫にすれば良いのに」
「私もそう思うわ」
ザイナブが反論をすると、サイナは笑って、熱いお茶をフウフウしているジャンを見ている。
「ウマルとサブリよりも小さな叔父はちょっと変だよね」
「でしょう?」
サイナが言うと、ザイナブは笑いながらうなずいた。サルビナもうなずいて、お茶を飲んだ。
「ところで、ジャン」
「はい」
サイナはジャンに声をかけた。
「馬に乗りながら、鉄砲も撃てるの?」
「うーん、難しいけど、できると思います」
「ふむふむ」
「でも、お母様は馬に乗りながら野鳥を撃てるから、サイナさんなら、やればできると思います」
ジャンが言うと、サイナたちは固まった。
「お母さんは、そういう難しい技はできるの?」
「はい」
ジャンはお菓子をとって、うなずいた。
「ジャンはできるの?」
「まだやったことがないので、できるかどうか分かりません」
ジャンは正直に答えた。
「・・でも、誰だって、がんばってやれば、いつかできると思います」
「そうね」
ジャンが言うと、サイナはうなずいた。子どもたちは暖かいお茶を飲みながら彼らの会話を聞いている。
「そう思うと、これからもがんばらなくちゃ」
サイナが言うと、なぜかエマルたちもうなずいた。
彼らはしばらくサイナの部屋で休んでいる。ザイドの命令によって、屋敷内が安全になるまで、しばらくその部屋から出ないように、となった。すると、子どもたちはそのままエマルとウマルの寝台で過ごして、いつの間にか全員眠った。
けれど、しばらくすると、ジャンは目を覚まして、すぐさまベランダへ走った。気づいたサイナも急いでジャンを追った。けれど、ジャンは一足先にベランダへ到着して、そのまま短剣を抜いた。
「扉を閉めて!」
「はい!」
ジャンの命じると、サイナは急いで扉を閉めた。ベランダにいるはずの衛兵二人が見えない以上、これは危険信号だ。ザイナブたちはサイナを手伝いながら大きな声を発した。
「ジャン様は?」
「外! 衛兵はいない!」
サイナの返事でザカリアは危険を感じた。彼は急いで口笛を吹いて、すぐさま隣の部屋へ走って、その部屋からベランダへ向かって、飛び込んだ。
そのベランダで、二人の衛兵らが横たわった姿が見えた。ザカリアは再び危険を知らせる口笛をして、戦いの音がした屋根へ向かった。
そこでジャンが見知らぬ男と戦っている。
その激しい戦い方でザカリアは瞬いた。
4歳児だろうか、とザカリアはそう思って、戸惑いながら武器を抜いて、相手を攻撃した。
「ジャン様!」
ザカリアが攻撃すると、ジャンはうなずいて、素早く後ろに下がってから短剣を鞘に収めて、シャムシールを抜いた。そして再び激しく敵を攻撃した。ジャンの攻撃に気づいたザカリアは思わず後ろへ下がった。
その技は当主ザイドの技で、大変危険な技だ。百匹砂漠の蛇という剣の技で、シャムシール一本をまるで百匹の蛇のように見せる高レベルの技だ。
そして、何よりも、ジャンのシャムシールには毒が入っている、とザカリアは知っている。
瞳という毒で、かすっただけでも死に至るほどの毒だ。
ザカリアが乱入するまでの戦いでは、ジャンは短剣で攻撃した。けれど、ザカリアが現れたおかげで、ジャンは猛毒のシャムシールを抜くことができた。
タックス軍の暗殺者にとって、状況が良くない。
相手が子どもとは言え、能力は異常だ、と暗殺者は焦って逃げようとした。
けれど、無理だった。ジャンの攻撃の激しさが増しているうちに、シャムシールの刃が相手の手をかすった。
そこで勝負は終わった。
相手は震えて、瞬いてから、そのまま崩れて、死亡した。
「死んじゃった?」
ジャンが聞くと、ザカリアは相手の脈を確認して、うなずいた。
「うーん、タックス軍っていろいろありますね」
「と、言いますと?」
ザカリアは尋ねた。
「ナガレフ村で、タックス軍の手先の老婆が私に『エスカヴェレス・アヌト・ザフィア 』と言ったんです」
その言葉の意味は「死んでしまえ、このクソガキ」だ。けれど、ザカリアはそのことを言うかどうか、迷っている。
「あの・・」
「ほら、女神様万歳、という意味でしょう?」
「・・・」
ザカリアは瞬いて、返事しなかった。
「だから、タックス人はみんな女神様に忠実な信者かな、と思いました。そうじゃなかったのですね」
「人はそれぞれでございましょう」
ザカリアが言うと、ジャンはうなずいて、その場に到着したザイドたちを見ている。
「ジャン、怪我はない?」
「ありません」
「なら、自分の部屋に戻って、休んで下さい。部屋の安全は確認してもらったよ」
「あ、はい。でも、サイナさんに教えないと・・」
「サイナはこれから私が教える。きみはザカリアと一緒に自分の部屋に戻りなさい。きみの鉄砲は後で誰かに運んでもらう」
「分かりました」
ジャンはうなずいて、ザカリアと一緒に部屋へ戻ることにした。