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ウルダ(51)

予定は二週間ほど遅れて、ジャヒールたちは村を引っ越した。羊を持っている家庭はほとんど引っ越した。警備隊も二手に分かれて、引っ越した人と残った人がいる。ちなみにタレーク家からサキル・タレークと第三部隊がジャヒールたちと一緒に引っ越した。4ヶ月ぐらいの期間で、彼らはマグラフ村の西側に移動した。


小さなオアシスの周辺に草がたくさん生えたからだ。


ジャンがもう何も見えない砂漠をずっと見つめているからか、ザカリアが心配になってしまった。彼が優しく声をかけると、ジャンはうなずいて、無言で帰った。


先ほどまで賑やかな村が急に静かになった。部屋に戻ったジャンは無言で植物の水やりをしてから、ベランダからの景色を見つめている。


「ジャン様」


一時間もずっと無言だったからか、ザカリアが心配になって声をかけた。


「はい」

「そろそろお休みにならないと・・」

「分かりました」


ジャンは短く答えて、そのまま部屋へ戻った。着替えを終えると、ジャンはまだ寝台に登って、ザイドに買ってもらった羊の形のおもちゃを抱いて、またしばらく静かになった。


ジャンが無言で寝台の上に座っているから、ザカリアも無言で近くで立っている。何をすれば良いのか、彼は分からなかった。子どもの護衛は始めてだったからか、ザカリアはかなり困っている。


「ジャン様は、寂しくお思いですか?」


ずっと無言だったジャンに結局ザカリアはまたジャンに声をかけた。


「はい」


ジャンが答えると、ザカリアは微笑んだ。


「イブラヒムさんから聞いたが、ジャン様は絵がお上手だ、と」

「んー、良く分かりません」


ジャンは首を傾げた。


「お母様の絵がきれいだとか」

「あ、そういえば」


ジャンはおもちゃを置いて、寝台から降りて、机の引き出しから数枚の絵を取り出した。


「このような絵なんだけど」

「このお方は、お母様ですか?」

「はい」


ジャンは素直にうなずいた。


「まだ未完成なんだけど」

「完成させるためには、何か必要でしょうか?」

「絵の具があれば、欲しいけど」

「後ほど聞いて見ます。タレーク家では専属画家もおりますので、在庫があると存じます」


ザカリアが言うと、ジャンの表情は少し明るくなった。


「絵の具が手に入れるまで、他の絵をお描きになってはいかがでしょうか?」


ザカリアが言うと、ジャンはしばらく考え込んだ。そして彼は何も答えず、また無言で窓を見つめている。結局ジャンの薬が届けられたまで、ジャンはずっと無言だった。


そんなジャンの様子が数日間も続いている。不安になったザカリアは結局ザイドに報告した。


「エフラド家の子どもたちとご一緒した時は、そのような様子ではございませんでした」


ザカリアが言うと、ザイドは考え込んだ。


「それは困ったね」


ザイドはため息ついた。


「あと、報告しなければいけないのは、もう一つございます」


ザカリアが言うと、ザイドは無言でうなずいた。


「ジャン様は、絵心がございまして、素晴らしい作品をお描きになりました」

「ほう」

「これは完成した絵の一つで、これから職人に枠を作るために、持ち運びました」


ザカリアがジャンの絵を差し出すと、ザイドは無言でその絵を受け取った。


とても美しい女性が描かれている。


「この人は、ジャンの母か?」

「はい」


ザカリアが言うと、ザイドは瞬きせずその絵を見つめている。子どもの絵とはいえ、とても美しく描かれている。まるで本物のようだ、とザイドは思った。細かい線が丁寧に描かれて、生きている感じがした。


「その絵は、画家に写してくれ。枠もきれいに作ってくれ」

「かしこまりました」

「終わったら、写しはここへ運んで」


ザイドは思わずその絵に描かれている女性の髪の毛を触れた。そしてその絵をザカリアに返した。


「他の絵は?」

「景色の絵やおもちゃの絵でございます」

「大変良い才能だ」


ザイドは微笑んだ。


「そうだ」


ザイドは引き出しを開けて、箱を取り出した。


「ジャンが望んだミズマールだ。ネイは長すぎて、ジャンの手だと届きにくいだろう、と判断した」

「はい。中身を確認してもよろしいでしょうか?」

「かまわん」


ザカリアはその箱を開けると、とても美しい楽器が入った。彼はそのまま箱をしめて、丁寧に受け取った。


「カマルディン先生は明日の午後に来る。気晴らしに、中庭で練習でもしなさい、とそう伝えてくれ」

「かしこまりました」

「他の報告は?」

「今のところ、以上でございます」

「なら、下がって良い」

「では、失礼致します」


ザカリアは頭を下げてから、退室した。一人になったザイドは自分の手を見て、ため息ついた。


もしその女性はジャンの母親で、馬で届く距離なら、いや、隣の大陸ぐらいなら、今すぐにでも会いに行きたい、と彼は思った。


この年になって、恋に落ちるなんて、とザイドは思わず苦笑いした。今までない気持ちだ、とザイドは指を見つめている。自分に尽くした妻にも、その気持ちはなかった。なぜなら、互いの利益のために結婚した女性だからだ、とザイドは思った。彼女は首都の大臣の娘だった。大臣の敵を片付ける代わりに、大臣の娘の一人をもらった。以外と、彼女がとても従順で、9人の子どもたちを産んでくれた。けれど、彼女が亡くなった時、ザイドは平気だった。なぜなら、大した悲しみも感じなかったからだ。


自分がどれほどひどい男か、とザイドは自覚した。けれど、最初から気持ちがなかった結婚だから、最後までその気持ちは芽生えなかった。


ザイドは目を閉じて、ため息ついた。会ったこともなく、名前すら知らないジャンの母親の姿が頭から離れない。彼女の何かが、心に深く入った、とザイドは気づいた。結局側近のマアズが扉をノックするまで、ザイドはずっと目を閉じていた。





ミズマールをもらってから、ジャンが明るさを取り戻したかのような、毎日楽しく練習していた。エフラド家の子どもたちもオグラット村から楽器を取り寄せて、ジャンと一緒に練習した。それだけではなく、彼らも女性たちと一緒に矢の訓練もしていた。言葉の勉強や鉄砲の訓練など、彼らは毎日励んでいる。子どもとはいえ、タレーク家に訪問しているエフラド家の子どもたちは大変優秀だ。きっと彼らは選ばれた子どもたちだろう、とジャンはそう思いながら一所懸命に練習している子どもたちを見ている。そしてジャンは隣で一所懸命にミズマールを吹いているザアドの息子のサルマンとサブリを見ている。先生はサブリの吹き方に何度も注意している姿があった。サイナの息子のウマルも苦労しながらなんとか上手く吹いている。


練習が終えると、彼らはおやつを食べてから、カード遊びをした。ジャンは次々と遊び方を教えると、彼らはとても真剣に勝負した。ジャン自身は疲れて、そのまま眠ってしまった時もしばしばあった。その時、ザカリアはそっとジャンを抱きかかえて、部屋に運んだ。


まだ本調子ではない、とその場にいる全員は理解している。何しろ、猛毒に犯された体だからだ。生きているだけでも、奇跡に近い。だから、誰一人もジャンを悪く言う人がいない。





時がしばらく流れて、治療を受けてから3ヶ月もたったころ、医者は明るい話を告げた。


ジャンは治った、と。


その報告を聞いたザイドは嬉しそうにうなずいて、医者に移住を提案した。エフラド家の医者は首を振って、これからエフラド家の子どもたちを面倒見ると言って、丁寧にザイドの提案を断った。ザイドはうなずいて、別料金でこれからタレーク家の医者にその知識を分けてもらえるように、と願った。子どもたちがしばらくジャンの知識を習っている間に、医者たち同志も勉強する、と。さすがにその提案を断り切れず、エフラド家の医者はザイドの提案を快く受け入れた。


「元気になって、良かった」


ザイドは微笑みながらジャンを見ている。


「いつも心配してくださって、ありがとうございます」


ジャンが言うと、ザイドは微笑んだ。


「何を言う。きみは私の息子だから、当然だろう?」


ザイドはジャンの頭をなでた。あの絵の女性と顔がとても似ている、とザイドは思った。やはり親子だからか、ザイドはジャンの髪の毛を触れた。細い髪で、波のようななめらかな髪だ。


きっと、彼女も同じような髪だ、とザイドは思った。


「きみの髪が伸びたね」

「はい」

「明日、髪の毛を切ろう。きみは髪を短くしないと、女子(おなご)に間違えられてしまう」

「えっ!」

「ははは」


ザイドは笑った。


「今夜は皆で一緒に食事しよう。エフラド家の子どもたちも招待しよう。ザカリア、頼んだよ」

「かしこまりました」


ザカリアは丁寧に頭を下げた。ザイドはうなずいて、そのまま外へ出て行った。


その日の午後、ジャンの回復を祝うために、ささやかな食事会が行われた。ジャンが大好きな串焼きを頬張ると、その仕草を真似した子どもたちもいる。ほとんどの子どもたちの年齢がジャンよりも上なのに、彼らはジャンを見て、見真似している。遅くなって現れたサフィードも子どもたちを見て笑った。サフィードは席について、ザイドと会話しながら食事した。


「明日から、ジャンの予定を大幅に変更となる」


しばらく食事をしてから、ザイドは紅茶を飲んでから言った。


「毎日、私と訓練した後、朝ご飯。そして鉄砲と矢の練習、その後昼ご飯。音楽は昼から2時間、午後から語学と読み書きを習って、そして剣や投げナイフの練習の後、休憩や遊ぶ時間を与える。最後は料理と絵の勉強だ」


ザイドが言うと、全員静かにうなずいた。ジャンももぐもぐしながらうなずいた。


「でも、なぜ絵ですか?」


サルマンが聞くと、ザイドは視線をサルマンに移した。


「絵が上手な人は、状況をきれいで確実に報告できるからだ」


ザイドが手を叩くと、一人の侍従はジャンの絵を持って、全員に見せた。


マグラフ村の様子が事細かく描かれている絵だった。


「あ、串焼き屋・・!」


サブリが言うと、ザイドは微笑んだ。


「これで皆が分かると思う。絵一つだけで、どれほどの情報が書き込まれているか。言葉がなくても、いろいろなことが分かる」


ザイドの言葉で、ジャン以外、全員うなずいた。ジャンだけが首を傾げた。なぜなら、ジャンはただ暇潰しのために村の様子を描いただけだったからだ。


「・・ちなみに、この絵を描いたのはジャンだった」


子どもたちは驚いた。けれど、ジャンはもうすでに再び食事に夢中になった。ザイドの言葉よりも、揚げパンの砂糖漬けの方がジャンにとって魅力的だった。その様子を見たザイドは笑っただけだった。

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