ウルダ(45)
ジャヒール宛ての便りが届いてから、ジャヒールたちは急いでマグラフ村に戻った。彼らは早速とタレーク家に向かって、ザアードを会いに行った。彼らが少し会話してから、ザアードはジャヒールの解毒剤を要求した。その代わり、怪我したサマンにタレーク家の医者が面倒見ることになった。
「もう大丈夫でございます」
医者が丁寧に言うと、ジャヒールたちは安堵した様子でサマンを見ている。
「ジャンは?」
サバッダが尋ねると、医者は答えず、ザアードを見ている。
「ジャンは今のところ、問題ない。以外と、彼の免疫力が高い」
ザアードが答えると、全員ホッとした。
「だが、傷口は前よりもじゅくじゅくして、膿まで出ている。小頭の解毒の成分が分かれば、適した解毒剤を飲ますことができる」
「彼と会えるのか?」
「もちろんだ。喜ぶだろう」
アミールが聞くと、ザアードは微笑みながら答えた。
「だが、彼を疲れさせることはダメだ。解毒剤を飲むまで、それだけを守ってもらう。でないと、毒が全身に回ってしまう」
「はい」
「ついでに、ジャンと昼ご飯を楽しんでくれ。そうすれば、少し慰めになるだろう」
アミールたちはうなずいた。ザアードはジャヒールからもらった解毒剤を医者に渡して、配下の一人にジャヒールたちに案内するように、と命じた。
大きな屋敷だ、とサマンたちは静かな廊下を歩いて、周囲を見ながら思った。
「サバッダの部屋もこの近く?」
アミールが聞くと、サバッダは首を振った。
「ここから、少し遠く、反対側だ。この棟に住んでいるのは父さんとジャンだけです」
「サラムさんとサキルさんも違うのか?」
「はい」
ジャヒールが聞くと、サバッダはうなずいた。
「知っての通り、結婚したザアード兄さんとサフィード兄さんは別の建物に住んでいる。未婚の子どもは今サキル兄さんと僕とジャンだけだけど、僕らと違って、ここに住めるのはジャンだけです」
「なぜ?」
「分からない。多分、ジャンを守るためだと思うけどね」
サバッダは正直に言った。
「この棟には、許可がないと、例え家族でも入れないんです。だから、僕がジャンに会いたいときに、ちゃんと許可を取ってから、先ほどの入り口で使用人が案内してくれます。勝手に一人で歩いたりしてはいけない区域ですよ」
サバッダが言うと、サマンたちはうなずいた。だからジャンがテントにいると、とても嬉しそうに走り回ったわけだ。日頃、このような空間に閉じ込められてしまうからだ、と彼らは思った。
「こちらでございます」
ザアードの配下が一つの大きな扉の前に足を止めて、丁寧に言った。扉の前にいる護衛の一人はサバッダを見る瞬間に頭を下げて、ノックしてから扉を開けた。
「あ!」
扉が開いた瞬間嬉しそうな声が聞こえた。
「ジャン、元気か?」
「はい!」
ジャヒールが言うと、寝台の上にいるジャンは嬉しそうにうなずいた。彼が寝台から降りようとしたけれど、イブラヒムは首を振って、制止した。
「そのままで良い」
ジャヒールは寝台に近づいて、穏やかな声で言った。イブラヒムの他には音楽の先生がいて、すぐさま立ち上がって、持って来た楽器を持って、退室した。
「腕はどうなった?」
ジャヒールが聞くと、ジャンは腕を見せた。医者の一人が傷口を見せると、ジャヒールは無言でその傷を見ている。
確かに膿が出ている。しかし、これも免疫力が働いている証拠でもある、とジャヒールは思った。
その様子を見た医者はテキパキと膿をきれいにして、薬を塗った。そしてきれいな布で傷口を包んだ。
「ありがとうございます」
「役目でございます。私どもがお外で待機致しますので、どうぞごゆるりと」
「はい」
ジャンの言葉を聞いた医者はジャンに頭を下げてから、退室した。
「僕に対する扱いよりも丁寧だね、ははは」
サバッダが言うと、ジャンは笑っただけだった。
「多分、父さんのご命令だと思います。でも、そのためで、私は部屋から全然出られませんでした。怪我が治ったのに・・」
ジャンがため息を混じりながら言うと、ジャヒールは微笑んだだけだった。
「解毒剤はもうすぐできるから、後少しの辛抱だ」
「うーん・・」
ジャヒールが言うと、ジャンは考え込んだ。
「本当は、毒がもうすでに全身に回ったじゃないかな、と思ったりして」
ジャンが言うと、ジャヒールは少し驚いた。
「どこかが具合が悪いのか?」
「いいえ、何もない、と思います。熱はアスビー村で数日間だけだったけど、その後はありませんでした」
「食欲は?」
「元気もりもりです!」
「ははは」
ジャヒールは笑ってうなずいた。イブラヒムは紅茶を机において、丁寧に椅子を外から運んで来た使用人たちに寝台の近くに置くようにと命じた。
「イブラヒムさん、食べる物の準備をお願いします。多分先生もお昼を食べていないと思いますから、私の食事もお願いします」
「かしこまりました」
イブラヒムはうなずいて、使用人らと一緒に外へ出て行った。
「ウードを習ったのか?」
アミールが聞くと、ジャンは笑って、近くに置いた子供用のウードを取った。
「少ししかできないけど、これから上手になる、と先生が言いました」
「そうだね。ジャンならできるよ」
アミールは笑ってうなずいた。ジャンがウードを奏で始めると、彼らは手を叩きながら歌い始めた。すると、ジャンはとても嬉しくなって、手際良く弦を弾いた。
「なんだ、上手じゃないか」
サバッダが言うと、ジャンは笑った。
「これしかできないけどね」
「これからたくさんできるようになるよ」
「はい」
アブが言うと、ジャンはうなずいた。
「それにしても、このような豪華な部屋にいるのはオグラット村のエフラド家の屋敷だった」
「そうだね」
サマンが言うと、アブもうなずいた。
「でも、正直に言うと、テントの方が良いです」
ジャンが言うと、ジャヒールは痛感した。
「まぁ、週に三日ぐらいは一緒にテントにいるのだから、良いんじゃないか」
「そうですね」
ジャンは微笑んだ。
「贅沢を言ってはいけない、とお祖父様は仰いました。私のことを大切にしてくださった父さんや兄さんたちに、そして先生にも感謝しなければなりません」
ジャンが言うと、急に彼らは静かになった。サバッダは思わずジャンを抱きしめて、頭をなでた。
「きみは僕の、いや、僕たちの弟だから、当たり前だ」
サバッダがいうと、ジャヒールたちはうなずいて、ジャンの頭をなでた。
まるで別れの挨拶だ、とジャヒールは思った。
ジャンは、毒がすでに体中に回ったことを、理解している。
「そうだ。きみは大事な弟子だから、当たり前なことだ」
ジャヒールは微笑みながらうなずいた。けれど、彼は途轍もない、痛感した。
「失礼します。食事をお持ち致しました」
突然扉が開くと、ジャンはうなずいた。イブラヒムたちは絨毯の上にある机に数々のご馳走を並べて、椅子の代わりにクッションをきれいに並べた。まるで宴会のようだ、とサマンは不思議な目で見て、そう思った。
「ありがとうございます。さて、降りないと・・わわ!」
ジャンが降りようとしたけれど、サバッダは先に彼を抱きかかえて机に向かった。
「食べるぐらいなら、自分でできるよ、サバッダ兄さん」
「文句禁止!」
サバッダがジャンを下ろしながら言うと、アブたちは笑って、机に囲んだ。とても美味しそうな料理ばかりだ、と彼らは思った。
「毎日このような豪華な料理ばかりを食べているのか?」
ジャヒールが聞くと、ジャンは苦笑いながら首を振った。
「毎日このような豪華な物を食べたら、太ってしまいます」
「太っても良いと思うよ。なぁ、サバッダ?ジャンは軽いだろう?」
ジャヒールが言うと、サバッダはうなずいた。
「綿のようで、軽すぎるよ」
サバッダが言うと、サマンたちはうなずいた。ジャンは軽すぎる、と。
「まぁ、食べよう。タレーク家の料理は美味しいと評判だ」
ジャヒールは笑いながら食事を皿に盛って、ジャンの前に置いた。
その日の昼ご飯、ジャヒールたちは笑いながら食卓を囲んでいた。ジャヒールは複雑な思いで、笑みを作りながら、ジャンと楽しく会話した。
万が一のことも考えなくてはいけない。なぜなら、ジャンはお頭の孫であって、そして恐れられている暗殺家の養子だからだ。タレーク家は巨大な組織を持って、ウルダの第一将軍を支えるほどの大物で、敵に回せば厄介極まりない、とジャヒールは思った。
何しても、元通り、元気になってもらわないと、困る。
「さて、そろそろ戻らないといけない。私はまだお頭に報告していないからだ」
「アブ兄さんとサマン兄さんとアミール兄さん、そしてサバッダ兄さんは?」
ジャヒールが言うと、ジャンはうるうるとした目でジャヒールを見つめている。
「仕方ない。しばらくここでカード遊びでもしなさい」
「わーい♪」
ジャヒールの決定にジャンは嬉しそうに笑った。イブラヒムは微笑みながらカードを取ってきた。イブラヒムと一緒に来た医者は、薬を持って、ジャンに飲ませた。美味しくない、とジャンが言って、舌を出した。それを見たサバッダたちは笑って、イブラヒムからカードを受け取った。ジャヒールは医者と話してから、そのまま外へ出て行った。部屋に残ったサバッダたちはジャンと一緒にカードゲームをやって、笑い声に包まれていた。
「先生、夕飯です」
「ああ、分かった。今行く」
サマンの声でジャヒールはうなずいて、テントに入った。テントのど真ん中にサバッダはもうすでに料理を並べた。アミールたちは皿に料理を盛り上げて、ジャヒールに差し出した。
「ありがとう。ジャンは今頃起きたかな?」
「医者の話から聞くと、大体夕飯の前に起きるでしょう」
「なるほど」
ジャヒールは食べて、うなずいた。今日の料理担当はサバッダだから、とても美味しい、とジャヒールは思った。
「私は部屋を出てから、おまえたちはしばらくジャンと遊んだ?」
「はい」
アミールはうなずいた。
「でも一時間も経たないうちに、ジャンが眠そうだから、イブラヒムに任せて、僕たちはジャンと別れて、しばらく僕の部屋で過ごしました」
「サバッダの部屋がジャンの部屋とはかなり遠かったね」
アミールが言うと、サバッダは笑った。
「言っただろう?棟まで違うのだから、遠くて当然だ。部屋の広さも、大きさも、何もかも、全然違うだし」
サバッダが言うと、アミールたちはうなずいた。確かにサバッダの部屋も大きかった。けれど、ジャンの部屋の広さや家具の豪華さは、比べられない物だった。
「まぁ、それでジャンが安心して暮らせるなら、僕は構わないけどね」
「そうだな。万が一のことが起きたら、考えるだけでも頭痛がするからだ」
ジャヒールが言うと、全員うなずいた。その後、彼らは会話しながら食事して、最後にサマンが煎れた紅茶で食事を終わらせた。アブが皿洗いに出かけた時、サマンたちはテントをきれいにした。
「失礼致します。小頭はここにいらっしゃいますか?」
突然外から声が聞こえると、ジャヒールたちはテントの外へ出て行った。
「はい、どうした?」
ジャヒールは答えた。
「タレーク家当主からの伝言をお伝えします。一大事でござます。ジャン様は意識不明に落ちてしまわれました。なので、今すぐ、タレーク家にいらっしゃってください」
「分かった。すぐ行く!」
ジャヒールはそう答えて、すぐに早足でタレーク家の屋敷へ向かった。鍋を洗ってきたアブはジャヒールを見て、急いでテントから出て行ったサバッダとアミールに尋ねた。事態を知った彼らはすぐさまタレーク家の屋敷へ向かった。