ウルダ(44)
一週間をかけて、彼らはマグラフ村へ帰った。怪我人と一緒に帰って来たから、行く時と違って、無理ができない旅だった。あるオアシスで怪我人の一人が熱を出したから、そのオアシスで二日も泊まってしまった。けれど、サラムはほとんどジャンと一緒にいて、楽しく過ごした。サラムとジャンが遊んでいる時に、ザアードは村長や警備隊長らと話し合って、タックス軍とイルカンディア人のことを念入りに話した。
「もう着いたよ」
「ありがとうございます」
ジャンが言うと、サラムは微笑んだだけだった。
「お帰りなさいませ」
「あ、イブラヒムさん!ただいま!」
ジャンが言うと、イブラヒムは微笑んで、サラムの馬からジャンを降ろした。
「腕に怪我した。一応治ったが、念のために医者に見せてくれ」
サラムが言うと、イブラヒムは驚いて、ジャンの腕を確認した。確かに傷が治りかかっているけれど、やはり心配だ、とイブラヒムは思った。
「毒によって傷だと見えますが・・」
「イスハック・イルシャードが使った毒だった。分かった範囲では、ガラス草、アラ蛇、ソビステガラ蛇の毒だと思うが、もう一度確認してくれ」
「かしこまりました」
イブラヒムは頭を下げて、すぐさまジャンを腕に乗せて屋敷へ戻った。
「うむ、父さんは?」
「当主様はただいまお頭のところへ行かれました」
イブラヒムが言うと、ジャンはうなずいただけだった。きっとザイドはザアードとサラムの報告を聞きに行っただろう、とジャンは思った。
久しぶりに自分の部屋に戻ったというのに、ほとんど部屋から出ることができないジャンは、暇つぶしのために自分の鉄砲を分解した。分解した途中で医者が入って、傷口を調べた後、再び外へ出て行った。ジャンが再び鉄砲を組み立てようとしたけれど、医者はまた戻って来て、絶対安静を命じた。
「でも、鉄砲を組み立てないと壊れてしまいます」
ジャンが反論すると、医者は難色を示した。
「そのままにすれば良いではないでしょうか?」
医者が困った顔で言うと、イブラヒムはうなずいた。
「私どもは触らないように致しますので、どうぞご安心を」
「うむ」
そう言われたら、仕方がない、とジャンはまた寝台へ上った。
「中庭にいつ頃行けるのですか?」
「毒の解毒が完成するまで、できれば安静にして頂く必要がございます」
「うむ」
「では、私どもは解毒をこれから作りますので、しばらくお待ちになってください」
医者が言うと、ジャンはうなずいただけだった。医者が外へ出て行くと、ジャンは諦めた様子で机を見て、ため息ついた。
「本をお持ち致しましょうか?」
「あ、うん、はい、お願いします」
イブラヒムの提案にジャンはうなずいた。イブラヒムは一冊の本を持って、ジャンの前に置いた。
音楽、というタイトルの本だった。ジャンは瞬きながら本を開けて、一つ一つと説明を読んで、絵を見ている。
とても上手にできている、とイブラヒムはそう思いながらジャンを見ている。時にジャンが読めない文字を教えたりすると、ジャンはうなずいて、また読み返した。
「この楽器はなんていうのですか?」
ジャンが聞くと、イブラヒムはジャンが示した絵を見ている。その絵には複数の男性らが音楽を奏でる絵が描かれている。ジャンが特に興味示したのはギターのような物を奏でている男性の絵だった。
「ウードと言います」
「ウードか・・」
「気になりますか?」
「はい」
ジャンは素直にうなずいた。
「この楽器は高いですか?」
「どうなんでしょう・・、価格はよく存じ上げておりません」
「ふむ。安い物でも良いから、小さめな物があれば欲しいです。でも、値段が高いなら、やめます」
ジャンが言うと、イブラヒムは考え込んだ。
「価格について、後ほど調べて参ります。大きさに関しては、私どもが知っているウードは、今のジャン様には少々大きいかもしれません」
イブラヒムはまた考え込んだ。
「ウードを習いたいのでございましょうか?」
「はい」
「では、後ほど教えてくれる先生も手配して参ります。先生のところで、小さめのウードがあるかもしれません」
「ありがとうございます」
ジャンは嬉しそうにうなずいた。
「そう調べなさい。特注でも許す」
突然部屋に入ってくるザイドが言うと、イブラヒムは深く頭を下げてから、後ろに下がった。
「ただいま、父さん」
ジャンが言うと、ザイドは微笑みながらうなずいた。
「怪我をした、とザアードから聞いたが?」
「もう治りました」
ジャンが言うと、ザイドは医者に合図をして、ジャンの腕を見せた。
「傷がまだ乾いていない」
ザイドが言うと、医者はうなずいた。
「エクレ花が入った毒だと見受けられます。紛れもなく、これはその症状でございます」
「タックスの毒か」
医者が言うと、ザイドは考え込んだ。
「サラムからもらったサンプルもその毒が入っているのか?」
「タックスの暗殺者が使用した武器にはございませんでしたが、イスハック・イルシャードが使用した武器にはその毒がございました」
医者が言うと、ザイドは考え込んだ。
「向こうでは、どんな薬を飲んだ?」
「ジャヒール先生の解毒剤とザアード班の医者、アシュミール先生の解毒剤を飲みました」
「ふむ」
ザイドは考え込んだ。万が一、ジャヒールの薬とタレーク家の薬がぶつかった場合、大変なことになるからだ。
エクレ花に混ぜた毒が分かりにくく、後からじわじわと相手を殺す毒だ。大人なら一ヶ月間も持たずに、死んでしまうほどの猛毒だ。
「イブラヒム」
「はい」
「ザアードに聞いてこい。小頭の解毒の内容を、できるだけ細かく、と。小頭にマファの使用を許可する」
「かしこまりました」
イブラヒムは頭を下げて、すぐさま外へ出て行った。
「私は毒に犯されているのですか?」
ジャンが聞くと、医者は複雑な目で見て、ザイドを見ている。
「毒が一つ、体の中に残っている」
ザイドは医者の目線を理解して、穏やかな声で言った。
「死ぬまでどのぐらいかかりますか?」
「すぐには死なないよ」
ザイドはジャンの不安を理解して、医者を合図で追い出した。医者は頭を下げて、外へ出て行った。
「じゃ、私はまだ生きる可能性があるのですね?」
「もちろんだ」
ザイドはうなずいた。
「どうすれば毒が回らないようにするのですか?」
「体の免疫力と毒耐性に任せるしかないが、なるべく激しい運動をしなければ良い」
ザイドの答えを聞いたジャンはうなずいた。この数日間、彼はサラムと一緒に楽しくかくれんぼしたりしたから、毒がもうすでに回ってしまったのかもしれない、とジャンは思った。
「分かりました」
ジャンはうなずいた。
「おとなしくします」
ジャンが言うと、ザイドは微笑んで、うなずいた。
「あの机にあるのは?」
「鉄砲を分解しているところで、お医者さんに止められて、そのままになってしまいました」
「ほう」
ザイドは興味深く机を見てから、ジャンをそのまま両手で持ち上げて、腕に乗せてから机まで歩いた。
「組み立ててみよう」
「良いですか?」
「問題ない」
ザイドはそう言いながら、ジャンを降ろして、座らせた。そして彼はジャンの隣に座って、分解された鉄砲を見て、微笑んだ。
「どこから始めれば良い?」
「あ、ここからです。順番に組み立てれば良いです。右から左へ」
「私が組み立てるから、きみはどうすれば良いのか、教えなさい」
「はい」
ジャンがうなずいて、やり方を説明すると、ザイドは真剣な顔で指示通り組み立てた。時間がかかっているけれど、なんとか元通りに戻った。
「分解するときも同じ手順?」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「そうやって順番に置くと、組み立てるときに迷わないし、時間も無駄になりません」
「なるほど」
ザイドはうなずいた。
「でも、必ず弾がないことを確認してください。でないと、爆発します」
「分かった」
ザイドは鉄砲を見て、うなずいた。
「入るよ」
突然扉が開いて、ザアードとサラムが揃って、部屋の中に入った。父親がジャンと一緒に座っている姿を見た二人は驚いて、慌てて丁寧に頭を下げた。
「エクレ花の毒が混ざったと聞いたが、本当か?」
ザアードが聞くと、ジャンはザイドを見てから、うなずいた。
「医者はそう言った」
ザイドが答えると、ザアードは考え込んだ。
「そこまで考えていなかった」
「タックスでもかなりレアな毒だからね」
ザアードがそう言うと、ザイドは冷静に言って、隣で座っているジャンの手をにぎった。
「毒は全身に回りましたか?」
「どうなんでしょう」
サラムが聞くと、ザイドは首を傾げた。
「とりあえず、今日はジャンをよく休んで、よく食べるようにする。解毒剤ができるまで、しばらくの辛抱だ。できるね、ジャン?」
「はい」
ザイドが言うと、ジャンはうなずいた。ジャンの不安な眼差しを見たサラムとザアードはなぜかとても不安になった。
「一週間の帰り道に、体の異変や不具合はあった?」
「いいえ、ありません」
「だったら問題ない。体力があって、少し休めば良い、と私は思う」
ジャンが答えると、ザイドは微笑んで、立ち上がった。そして、組み立てた鉄砲を机に置いてから、またジャンを抱きかかえて、寝台に戻った。
「父さん、ありがとうございます」
ジャンが言うと、ザイドは微笑んで、ジャンの額を口づけした。
「きみは私の子どもで、私はきみの親だ。当然だろう?」
「あ、はい」
「ゆっくりと疲れを癒やしなさい」
「はい」
ザイドはジャンの頭をなでてから、外へ出て行った。ザアードはザイドの後ろへ一緒に出て行った。サラムはしばらくジャンと一緒にいて、音楽の本を読んだ。
「ザアード」
「はい」
ジャンの部屋から離れた場所で、ザイドは声をかけた。
「もしもその毒でジャンが死んだら、イルシャード家を、全員、殺しなさい」
「かしこまりました」
ザアードは頭を下げてから、ザイドを見送った。