ウルダ(43)
ジャンとサマンは元気になった。後遺症もない、と医者が判断して、彼らはいよいよマグラフ村に帰らないといけない。そのことについて、ザアードはとても忙しくなってしまった。敵がまた来ないか、とアスビー村の人々が不安になって、どうしてもタレーク家の主力をあと二ヶ月間ぐらい留まって欲しい、と願い出た。
「遊んでも良いですか?」
ジャンがキラキラとした目で見つめられたザアードは思わず笑ってしまった。
「仕方ない」
ザアードはジャンを抱きかかえて、外にいるサラムを呼んだ。
「サラム、ジャンと一緒に遊べ」
「・・・」
ザアードがサラムにジャンを渡すと、サラムは困った顔でジャンを見ている。
「何を遊ぶ?」
「かくれんぼ?」
ジャンが答えると、ザアードは笑った。
「一瞬で終わりだね」
「得意ですか?」
「仕事で、よくかくれんぼをやっているよ」
サラムはにっこりと微笑みながら言った。
「俺が鬼をやったら、数分で遊びは終わり。逆にきみが鬼をやったら、明日や明後日まで見つからないだろう。面白くないよ?」
「・・・」
サラムの言葉を聞いたジャンは瞬いて、口を尖らせて、そしていきなり大きな声で泣いてしまった。
そんなジャンを見たザアードはサラムの頭を軽く叩いて、叱った。ジャンを泣かすな、と。
「もう泣くな、ジャン」
「サラム兄さんが意地悪です!(ヒック、ヒック)」
サラムが笑いながら言うと、ジャンは口を尖らせながら反論した。
「何が意地悪だ?」
「かくれんぼの・・」
「それは本当のことだ」
サラムは優しい言葉でジャンの涙を指で拭いた。
「タレーク家では、かくれんぼも暗殺技術の一つだ。小さい時からやったので、以外と、みんな得意だ。サバッダもね」
ザアードが言うと、ジャンは泣くのをやめて、耳を傾けた。
「サバッダ兄さんも?」
「当然だ。ついでに言うと、俺の子どもたちも、全員、かくれんぼが得意だ」
ザアードは微笑みながら言った。
「教えたいのが山々だが、今日はちょっと忙しいんだ。だからサラムと一緒に、その技術を学んでください」
「はい」
ザアードが言うと、ジャンはうなずいた。そしてサラムを見て頭を下げた。
「・・意地悪と言って、ごめんなさい。かくれんぼのやり方を教えてください」
「良いよ」
サラムは微笑んだ。そしてまた指でジャンの涙を拭いた。ザアードは二人を見て、うなずいて、アシムといっしょに出かけた。今日はアスワード・ザイムと話し合う予定だ。
結局その日は、ジャンがサラムと一緒にかくれんぼについて勉強した。意外と面白い、とジャンは時に笑いながら隠れたりしている。サラムの言葉通り、どれだけ隠れても、すぐに見つかってしまう。
暗殺者にとって、隠れている獲物を瞬時に見つからないと、仕事を達成することができない。同時に、相手にばれないように、隠れることも多々ある、とサラムは言った。
「ナガレフ村で、サバッダ兄さんは、私がどこに隠れても、すぐに見つけ出して、助けてくれる、と言いました」
二人は結局遊び疲れて、市場で売っている揚げ砂糖を買って、近くにある建物の屋根の上で座っている。
「それで、サバッダに見つかった?」
「はい」
ジャンは美味しそうに食べながらうなずいた。サラムも隣で同じ物を食べている。
「じゃ、今度見つからないように隠れないとね」
「うーん、見つけてくれないと困るから、普通にいただけです」
「ははは、それもありだ」
サラムは笑って、うなずいた。
「だが、複数の暗殺者と、ジャンを探しているサバッダ、両方がいるとしたら、どうする?」
「うーん、隠れる?」
「隠れるけど、サバッダに見つからないと困るだろう?」
「はい」
ジャンが指に着いた砂糖を舐めながら応えると、サラムは急いでジャンの手を取って、袖でその指を拭いた。指を舐めてはいけない、とサラムが言うと、ジャンは残念そうに指に残った砂糖を見ている。
「指は何を触ったか、分からないだろう?」
「はい」
「毒を触った後、手も洗わず、そのまま大好きな揚げ砂糖を食べて、指を舐めたりすると、どうなると思う?」
「・・・」
ジャンは瞬いた。
「もうしません」
「良い子だ」
サラムは笑って、うなずいた。
「先ほどの話に戻るけど、サバッダ兄さんに見つけて欲しいけど、追っ手の暗殺者に見つかって欲しくない時に、どうしたら良いですか?」
「その時は気配を消して、完全に隠れるんだ。サバッダが見つからないぐらい隠れる」
「でも、そうすると、サバッダ兄さんと会えないじゃないですか?」
ジャンが瞬きながら聞くと、サラムは微笑んだ。
「僕は必ずジャンを見つけるよ。だから、危険だ、と感じた時に、心配しないで隠れてください」
いきなりサバッダの声が聞こえると、ジャンは驚いた。二人がかなり高い屋根の上にいたのに、サバッダに見つかってしまった。
「そういうことだ」
サラムが自分が食べた揚げ砂糖の半分をサバッダに差し出すと、サバッダは素直に受け取って、食べた。
「これは美味しい」
「そこの端っこにある店で買ってきた」
サラムがいうと、サバッダはうなずいて、ジャンの隣に座った。
「でも、逆立場ならどうすれば良いですか?」
ジャンが聞くと、サラムは少し考え込んだ。
「その時、相手のことを思うんだ。相手はどういう状況で、どういうことをするか、いろいろ想定して、微かな気配も逃がさないことだ」
サラムが言うと、ジャンは首を傾げた。
「うーん、難しい」
「そのうちにできるよ」
サラムがそう言うと、サバッダは食べながらうなずいた。その通りだ。
「ところで、何か用か?」
サマンが聞くと、サバッダは笑った。
「ひどいな、兄さん。僕はただかわいい弟と一緒に居たかっただけなのに」
「修行は良いのか?」
「先生は今日ザアード兄さんとザイム家の当主と会談中です。アブはサマンと一緒にいて、俺はこれから買い物しなければならない。アミールは土産探しに市場にいる」
「土産?誰に?」
「ザリーンさんだって」
ザリーンはザアードの妻の一番下の妹だ。名字はハリス、とサラムは思った。
「二人は付き合っているのか?」
「そうみたい。アミールが彼女を見る度にいつも顔が変になってしまうほどだ。アミールの父さんが帰ったら、正式にザリーンさんのお父さんと話し合って、二人の縁談を整うらしい」
「へぇ」
サラムはそう言いながらうなずいた。
「ところで、おまえは好きな人がいるのか?」
「いるけど、近くにはない」
「遠くにいる人なのか?」
「遠い、とても遠い」
「へぇ」
サラムは興味津々とサバッダを見ている。
「年は?」
「分からない。会ったこともないのでね・・、相手も僕と会ったこともない」
「父さんが整えた縁談だったのか?」
「いや、違う。俺の妄想の相手だから」
サバッダの答えを聞いたサラムは笑い出した。
「俺以上に、おまえは変な人だ。父さんは苦労しそうだね。ははは」
サラムが立ち上がって、話を理解していないジャンを抱いて、腕に乗せた。
「良いか、ジャン」
「はい」
「こだわっては良いけど、サバッダのように、変な男になってはいけない。妄想の相手に惚れ込んでしまうと、間違いなく、変な人の証だ」
「ん?」
「ははは」
サラムが言うと、ジャンは首を傾げただけだった。サバッダも苦笑いして、立ち上がった。
「サラム兄さんに、変な人だと言われたくないな」
サバッダが言うと、サラムは笑っただけだった。
「まぁ、これでおまえは変な人だ、と分かった。それを去っておき、裏の修業、がんばれよ」
「はい」
サラムが言うと、サバッダはうなずいた。
「俺たちは多分今夜、マグラフ村へ帰る。おまえたちは小頭次第だね?」
「はい」
「じゃ、気を付けてな」
「兄さんも」
サバッダはうなずいた。そしてジャンのほっぺをつまんで笑った。
「またね、ジャン。マグラフ村で会おう」
「はい」
ジャンはうなずいて、サバッダを見て、手を振った。
その日の夕方、サバッダたちに見送られながらジャンはザアードとサラムと一緒にマグラフ村へ出発した。一緒にマグラフ村へ戻ったのはタレーク家第2部隊だった。第3部隊はジャヒールを手伝って、しばらく治安維持にアスビー村にいる、とジャンはザアードから聞いた。怪我をしたマグラフ村の人々はジャンたちと一緒に帰ることになった。一方、戦闘で死亡した人々は、アスビー村で埋葬された。
「眠いか?」
「はい」
サラムが聞くと、ジャンはうなずいた。サラムが手を伸ばすと、ジャンは素直にサラムの手をつかんで、走っている馬の上から素早く移動して、そのままサラムの胸に飛んで行った。ジャンの馬の縄がサラム班の一人が取って、引っ張っている。
「ふあ~」
「眠いなら寝ろ」
「はい。おやふみぃ」
ジャンが言うと、サラムは微笑んだ。その様子を見ているザアードはただ無言だった。
サラムがいつの間にか変わってしまった、とザアードは気づいた。元々優しかったサラムは、裏の世界に入ってから人が変わったかのような、とても残忍になった。彼の別名「首切りサラム」は、敵にも味方にも恐れられている存在だ。
そんなサラムはジャンを壊れ物のような、丁寧に扱っている、とザアードは思った。
「もう寝たか?」
「はい」
ザアードが馬のスピードを少し落としてサラムの馬の隣に来た。
「ぐっすりだ」
「ははは」
サラムが言うと、ザアードは軽く笑った。
「何しろ、まだ4歳だから。この時間は良い子が眠る時間だ」
「そう思うと、俺はこれから彼の2年後の生活は心配になって仕方がない」
ザアードが言うと、サラムはため息ついた。
「戦場か・・」
「アルキアの戦場はどのようなものなのか、分からない。が、恐らく俺たちが体験した以上に、凄まじいものだろう」
「敵も鉄砲を持っているからか・・」
「そうだ」
ザアードが言うと、サラムは考え込んだ。
「あの日、俺の目の前に、相手が突然倒れた。頭が弾に抜かれて、そのまま絶命した。二回も当たった者もいて、それが頭の中から離れない」
サラムが言うと、ザアードは耳を傾けた。
「攻撃の気配はないのか?」
「あったかもしれないが、まったく分からない時もある」
「ふむ」
「もし狙われているのが俺だったら、もうここにはいないだろう」
サラムが言うと、ザアードはうなずいた。
「鉄砲を持つ人は、全員ジャンみたいに命中率が高いわけではないが、対策も考えないといけないか」
ザアードが言うと、サラムはうなずいた。その通りだ。鉄砲は恐ろしい武器だけれど、対策が分かれば、剣と同じく、なんとかなるかもしれない、とサラムは思った。
「後でジャンに詳しく聞こう」
「そうだな」
ザアードはうなずいて、また前に走った。結局その日の夜、怪我人がいるということで、彼らは数時間が走った後、少し休憩した。医者は怪我人の具合を確認したり、ザアードの部下たちは夜食を作ったりして、行く時と比べると、ずいぶんとゆったりとしている旅になった。サラムはすやすやと眠っているジャンを厚い布の上に寝かしながら熱い紅茶を飲んでいる。
夜食を調理した部下の一人が現れると、サラムはジャンを起こした。ぐずりながら、なんとか起きたものの、とても眠そうだった。
「この時間なんだが、食べよう、ジャン」
「うん、ふあ~」
ジャンはあくびして、サラムが差し出した紅茶を飲んだ。その様子を見た男性らは微笑んで、ジャンの分の夜食を持って来た。ジャンは丁寧に礼を言ってから、熱々の料理を食べ始めた。
「美味しい?」
「はい」
サラムが聞くと、ジャンはうなずいて、またもぐもぐしている。
「ジャンは、鉄砲について、どのぐらい詳しい?」
「んー(もぐもぐ)、分からないことの方が多いかもしれません」
ジャンは素直に答えた。
「鉄砲を撃つときに、何かこだわっていることがある?例えば俺と戦った敵兵を撃つときに、足や頭とか、狙っている部分はあるのか?」
「私は頭を狙います」
ジャンは迷いなくそう答えた。
「どうして?」
「その方が確実に死ぬからです」
ジャンはそう答えながら、また食事を口に入れた。それを聞いたサラムは考え込んだ。
「もし俺が狙われる側だったら、どうすれば生き延びる?」
サラムの質問を聞いたジャンは驚いて、瞬いた。
「難しい」
ジャンは素直に答えた。
「でも、お祖父様から伺った話だと、大体殺意を感じられるでしょう」
「殺意?」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「大体の人は、私のような遠くから敵を狙いません。なぜなら、ほとんど当たらないからです。一度狙って当たらないと、敵が気づいて、隠れてしまいます。確実に当たりたいと思うなら、距離は私が狙った距離よりも、半分以上縮めています。しかし、そうなると、当たる可能性が大きくなりますが、殺意を感じられてしまいます、とお祖父様は仰いました」
「きみは、どうして遠くから敵を狙える?」
「うーん、どうしてでしょうね。遠くから狙う理由は、その方が無難だからと思いますけど・・」
ジャンは考え込んだ。
「実は、鉄砲の弾が矢と同じく、ほとんど風の影響を受けています。重さが軽ければ軽いほど、風に弱いです。昔、ベスタお兄様に言われたことがありました。実際に、猪を狩りに行ったときに、お兄様は二発も撃たなければなりませんでした」
「ふむふむ」
「そして、実は、距離が長ければ長いほど、風の影響も大きいです」
「だが、あの屋根から俺の位置までかなり遠いが・・」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「最初は当たらないかな、と思ったけど、やってみたら当たりました」
「おい」
それを聞いたサラムは呆れた様子だった。なぜなら、ジャンが狙ったのは目の前の敵だったからだ。
「うーん、でもなぜか、私が狙った者に、弾が正確に届きます。外れても、頭ではなく、首や胸辺りに当たります。なぜなら、相手は人だから、じっとしてくれなくて、動き回ります」
ジャンが答えると、サラムは考え込んだ。
「そのことを、いつごろ気づいた?」
「ザアード兄さんと一緒に試し撃ちをしたときに、なんとなく、距離が三倍にしても当たるかな、と思いました。私も良く分かりませんが、なぜか私が撃った弾が、風の影響を受けていませんでした」
「なるほど」
サラムはそう返事しながら、また食事をし続けた。けれど、ジャンは手を止めたまま、食事を見つめている。
「兄さん」
「何?」
ジャンが言うと、サラムは手を止めた。
「私って、化け物ですか?」
「誰がそのことを言った?」
「イスハックさんです」
「あいつはさん付けしなくても良い」
サラムは即答した。
「奴は頭がおかしかったから、そう言っただけだろう」
「でも、あの人は、私のことを化け物だ、とはっきりと言いました」
ジャンが小さな声で言うと、サラムは皿を置いて、そのままジャンを抱きしめた。
「きみは俺の弟だ。これからも、ずっとね」
サラムが優しい声で言うと、ジャンは泣いてしまった。
「あいつは頭がおかしくて狂っているからそう言った。そしてこれからも、そのようなことを言った人も頭がおかしい人と考えれば良い。まともに聞いちゃダメだぞ?良いか?」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「それにな、タレーク家では、俺以上の化け物なんていないさ」
「ん?」
ジャンはサラムを凝視して、首を傾げた。
「サラム兄さんは全然変じゃないよ?」
「ははは、それを言ったのはジャンだけだ」
サラムは軽く笑って、ジャンの涙を指で拭いた。
「いつか、きみは俺のあだ名を知る日が来るだろう。でもこれだけは信じてくれ。きみは化け物なんかじゃない。俺のかわいい、優秀な弟だ」
サラムがにっこりと微笑みながら言うと、ジャンは瞬いた。
「じゃ、食事を終わらせよう。冷めてしまうと、美味しくないから」
「はい」
ジャンはうなずいて、皿の中身を食べ終わらせた。その会話を聞いたザアードはただ微笑んで、ゆっくりと熱い紅茶を飲んだ。