ウルダ(38)
ジャンたちはまっすぐに南へ向かった。半日を走った後、馬たちのために一時休憩してから、また走った。途中にある集落で、彼らは水を汲んでから、また走った。そのようなハードな旅が一日も続いて、ジャンにとって、とても過酷な旅だった。けれど、ザアードはザイドの言葉を守って、ジャンを大切に扱っている。
何しろ、4歳児だからだ、とザアードはザイドの言葉を思い出して、すやすやと眠っているジャンを抱きかかえながら馬を走らせている。ジャンの馬はザアード班の誰かが引いて、走らせている。数時間を走った後、ザアードの配下の一人が合図を出すと、彼らは止まって、食事を用意した。ザアードは眠っているジャンを抱きかかえながら、馬から下りて、周囲を見渡した。そして彼は部下たちが用意した厚い布の上にジャンを寝かしてから、数人の部下と会話した。
「ザアード様、食事はできました」
「分かった」
ザアードはうなずいて、眠っているジャンを起こした。けれど、ジャンは指をしゃぶりながら、ぐっすりと眠っている。
「ジャン、起きろ」
ザアードはジャンの手を優しく引っ張って、彼を座らせた。
「ん?」
「ご飯だ」
「うん、ん・・」
「起きろ」
ザアードがもう一度言うと、先ほどまで眠っているジャンは目を覚ました。周りは暗く、寒い砂漠だ。
「ご飯だ。食べなさい」
「あ、はい」
ザアードが言うと、まだ眠そうなジャンはうなずいて、ザアードの部下から茶碗を受け取った。寒い夜に暖かい食事を口の中に入った瞬間、ジャンは完全に目を覚まして、食べるようになった。ザアードはジャンの隣に座って、静かに食べている。
「まだ食べるか?」
「もしまだあれば、もう少し食べたいと思います」
ザアードが聞くと、ジャンはうなずいた。ザアードは自分の茶碗からご飯を分けて、ジャンの茶碗に移した。
「あ、でも兄さんのご飯が・・」
「問題ない」
ザアードはそう言いながら、またご飯を食べた。
「食べなさい」
「はい、ありがとうございます」
ジャンはうなずいて、また食べた。ザアードはサバッダとサラムと違って、とても静かな人だ、とジャンは思った。たまに見せたザアードの優しさは、毎回期待してはいけない、とジャンは理解している。なぜなら、ザアードは次期当主であって、歴とした暗殺者だ。
「食べ終わった?」
「はい」
「なら、紅茶を飲みなさい」
ザアードはヤカンを持って、ジャンの茶碗に紅茶を煎れた。
「ありがとうございます」
ジャンはそう言って、熱々の紅茶をゆっくりと飲んだ。とても落ち着く、とジャンはそう思いながら、最後の一滴まで飲み干した。ザアードの部下が茶碗を回収して、きれいに拭いてから火を消した。やはりそのまま行くのか、とジャンは彼らを見て、思った。
「用を足すなら、今のうちだ」
「あ、はい」
ザアードが言うと、ジャンはうなずいて、馬の影に行った。何もない真っ暗な砂漠だから、旅人はそうやって済ました。
ジャンが戻って来ると、彼らはもうすでに準備を終わらせた。ジャンは馬の飲み物の残りで手を洗った後、ザアードの部下の一人がバケツを片付けた。ジャンが自分の馬に戻ろうとしたときに、ザアードに呼ばれた。
「まだ眠たいだろう?」
「はい」
ジャンが素直に答えると、ザアードは微笑んで、そのままジャンを抱きかかえて、そのまま自分の馬に乗った。
「眠いなら寝ろ」
「ん・・、もう少ししてからにします。ご飯食べたばかりなので・・」
ジャンが言うと、ザアードは軽く笑って、合図を出した。彼らはまたしばらく動き出した。
途中で彼らは小さな集落に寄って、馬を交換して、水を汲んで、また走り出した。そのような旅が三日間も続いた。全く寝ていない彼らを見ると、ジャンは心配になって、食事休憩の時にザアードに尋ねた。けれど、ジャンの疑問を聞いたザアードは笑って、近くに座っている部下たちに聞いた。
「慣れです」、と彼らは揃って答えた。
「うむ、私は全然慣れていないけど・・」
「ジャンはまだ4歳だから、慣れていないのも、無理はない」
ザアードがそう言いながらジャンの茶碗に紅茶を注いだ。
「それに、ここにいる全員は選ばれた人々で、生半端の強さを持ち合わせていない」
ザアードがそう言いながら、自分の茶碗に紅茶を注いで、ゆっくりと飲んだ。
「皆さんはすごい!」
ジャンは瞬いてから、また茶碗の中身を飲み干した。その言葉を聞いたザアードたちは微笑んだ。そしてテキパキと食器を片付けた。
「明日の昼前に、アスビーに着く。俺たちはまっすぐにアルミヤに行く」
「アスビーとアルミヤはどのぐらい離れているの?」
「そう遠くはない」
ザアードは馬を走らせながら答えた。
「アスビーは大きな村だ。アルミヤはその一部だ」
「大きなオアシスがありますか?」
「あるよ」
ザアードは答えた。
「兄さん、海賊の人々が話した言葉はタックス語ではないということを、なんで分かったのですか?」
「報告した人がタックス語ができるから、彼はあいつらの言葉を理解できないからそう報告した」
「ふむふむ」
ジャンはうなずいた。
「私たちはマグラフ村からアスビー村まで三日間以上かかります。でも、アスビーからマグラフ村まで、報告が二日間で届きました。やはりエフスカで送ったからですか?」
ジャンが聞くと、ザアードは首を振った。
「エフスカはサヒムの専用の鳥だ。今回の報告の鳥は伝令鷹、エルキオスだ」
「エルキオス・・」
ジャンはうなずきながら、体を丸めた。
「鳥さんはすごい!」
「ははは、そうだね」
ジャンが言うと、ザアードは笑った。
「鳥は好きか?」
「はい」
ジャンは素直に答えた。
「お母様も、鳥が好きで、その鳥はお母様がどこへ行っても、いつも上空で、お母様の周りに飛んでいます」
「ほう。どんな鳥か?」
「うーん、ウルダでは見たことがないけど、あの鳥はとてもおとなしい鳥さんです。頭に黒いこぶがあって、くちばしが大きくて、くちばしの色は黒いです。目も大きくて、とてもかわいらしいです」
「ほう」
「その鳥はとても大きな鳥で、体の色は黄色いけど、翼の先端が黒くて、尻尾が長くて、長い羽根の色は黒い。好きな食べ物はバナナです」
「名前は何という鳥?」
「私はその鳥を「ポコ」と呼んだけど、本当の名前は分かりません」
「ポコか。なんだか、とてもかわいらしい名前だな、ははは」
ザアードは笑った。
「うん、鳴き声が「ポコ、ポコ」と分かりやすい鳥さんです」
「なるほど」
ザアードはうなずいた。
「ふあ~」
「もう寝なさい。明日から忙しい」
「分かりました。お休みなさい」
「お休み」
ザアードが言うと、ジャンはザアードの胸で眠った。
翌朝。
彼らはアスビー村の近くに到着すると、すぐさまバラバラに動き出した。ジャンはザアードと一緒に行動するようになって、宿へ向かった。部屋を取ってから、ザアードはジャンを連れて、問題の海賊船を見に行くことになる。
「俺はアブドルという名前を名乗る。アブドル・アラム」
「はい」
「きみはウスマン・アラム、俺の息子だ。その設定の方が楽だからだ」
「分かりました」
ザアードが言うと、ジャンはうなずいた。ザアードはジャンのマントを直して、頭までかぶせた。二人は港に行って、船を見ている。やはり問題の海賊船がまた停泊している。少し離れた場所で、壊された船があった。
破壊されたのは漁船だった、とザアードは思った。
ザアードはゆっくりと周囲を見て回った。時にはジャンが大きな声で話した。
「父さん、おなかが空いた!」
ジャンが大きな声で言うと、ザアードは空いている食事処へ入った。中で、まだ昼前なのに、もう酒を飲んでいる人々がいた。
「何か美味しい物をくれ。これで足りるか?」
ザアードがお金を渡して、店主に聞くと、店主はうなずいた。
食事処だから、場所だけを提供している食事屋と違って、店の主人が気分次第で料理を作って、安く売るわけだ。だからメニューなんてない、とザアードは思った。けれど、この有様はひどすぎる。
「酒を持ってこい!」
一人の海賊らしき人が突然大きな声で言うと、店の主人はビクビクしながら酒の瓶を持って来た。
ウルダ語だ、とザアードは思った。
けれど、その男性の隣にいる酔っ払いの男性はザアードが知らない言語で歌い始めた。ジャンは耳を傾きながらその男性の歌声を聴いている。男性が途中で酒を飲んで、また歌った。
「お待たせ致しました」
食事処の主人が料理を持って、机に並べた。
「今日は、客があまりいないね?」
「あ、はい」
ザアードが聞くと、店主が大きな声で歌っている客をチラッと見て、うなずいた。
「父さん、おなか空いた!」
ジャンが言うと、ザアードは笑いながらうなずいた。店主も微笑んで、飲み物を差し出した。
「お子様ですか?」
「ああ」
ザアードはジャンの皿に料理を盛り上げて、答えた。
「母親似でしょうね」
「ははは、その通りだ。息子は母親にとっても良く似ている」
ザアードは笑いながらうなずいて、食事を少し食べた。
毒はない、とザアードはそう合図しながら優しい笑顔でジャンを見て、お皿を置いた。
「ほら、食べなさい」
「わーい!」
ジャンは嬉しそうに笑って、ザアードが食べた物を取って、食べた。店主が笑って、タオルを持って、ジャンの前に置くと、ザアードはうなずいた。そしてタオルを持って、笑いながらジャンの頬を拭いた。ザアードが礼を言うと、店主が笑って厨房へ戻った。
そんな和気藹々の雰囲気で食べているジャンたちを見た離れた所にいる酔っ払いの二人組はむすっとした。二人が何かを話してから、一人は席を立った。彼は瓶を持って、ザアードたちの方へ歩いた。
「おい!カメをくれ!」
ウルダ語ができる人が言うと、ザアードは首を傾げた。
「何を言っているのか分からない」
ザアードが言うと、その男性が怒り心頭で瓶を振り降ろした。けれど、ザアードの足が先に彼の足を蹴った。ふらついた彼の体がそのまま床とぶつかった、びくっと動かない。その男性が持った瓶が転がって、ザアードの足下に転がった。
「いけないな」
ザアードは席を立って、転がった瓶を拾った。仲間が転がって動かないを見たもう一人の男性が意味不明の言葉を言いながら近くにある空瓶を取って、ザアードを襲ってくる。けれど、ザアードは冷静に彼の手を取って、素早く瓶を奪って、相手の手をひねた。
「あの、お客様」
「なんだ?」
店主が青い顔で駆けつけて来た。
「あまり彼らと問題を起こさないように・・」
「彼らが俺たちを襲ったよ?カメをくれと訳の分からないことを言って、いきなり瓶で殴ろうとした」
ザアードは瓶を置いて、相手の首を軽く叩いた。すると、その男性が急にビクッとしなくなった。
「彼らの仲間がこの村にいます。仲間が居なくなるとなると、きっと怒り出すに違いありません」
店主が言うと、ザアードは考え込んだ。
「じゃ、この二人はどうする?」
「店の裏に運びましょう」
「分かった」
ザアードはうなずいて、二人の男性を見て、すぐさま店主の言う通りに、一人の海賊を店の裏に運んだ。再び戻って、途中で店主が苦労しながら運んでいる人を見て、手伝った。結局二人ともザアードが店の裏に運んだ。店主はその近くから一本の葡萄酒を取って、彼らの口に飲ましてから、笑いながら彼らを罵った。ザアードは無言で店主を見てから、再び店の中に入った。
けれど、食事をしているはずのジャンはいない。ザアードが店の外へ出て行って、周囲を見渡した。
いない。
ザアードは再び店の中に入って、戻って来た店主に聞いた。けれど、店主は見ていない、と答えた。
「この村では、警備隊でさえ役に立ちません。彼らの仲間が息子さんを見て、さらったでしょう。無事でいると良いんですが・・」
店主の言葉を聞いたザアードは店主を見て、無言で外へ出て行った。
もし犯人が海賊であれば、動きが鮮やか過ぎる、とザアードは思った。小さな子どもを抱きかかえる大人か、あるいは手を引っ張って行く大人か、とザアードは推理しながら、港へ歩いて、警備隊を探している。
いない。
この町に、警備隊そのものがいないかもしれない。いても、役立たずの連中ばかりだ、とザアードは思っている。港にいる人々も、誰一人もジャンに気づく人がいなかった。
店主の言う通り、子どもがさらわれたことは、普通なのか、とザアードは考え込んだ。ジャンなら、泣き叫ぶでもして、助けを呼ぶことも考えられる。しかし、港にいる人々に聞いても、誰もその様子を目撃した人がいなかった。
ということは、ジャンは意識不明の状態で運ばれていた可能性もある。あるいは、ジャンが自ら彼らに付いて行くことも考えられる、とザアードは困った顔で再び店の前に行って、周囲を見渡した。そして、何かを気づいた。
あの店主が差し出したタオルは、なぜか、木の下にあった。