ウルダ(28)
その夜、ジャンとジャヒールが港へ出かけた。やはり港だからか、夜でも賑やかだ。外国から来た船乗りたちは酔っ払いながら歌ったりして、また商人たちもいろいろな珍しい物を売っている。
特に、昼間で売ることができない物は、夜で売る。
「うむ」
ジャンはそれらの売り物を見て、戸惑った。そのような物を売っても、買う人がいるかどうか、と。
「それは何だろう?」
「蚕です」
「蚕?」
ジャンが答えると、ジャヒールは首を傾げた。
「蚕の綿を解いて、糸にすると、絹になります」
「ほう」
「それはもうすでにゆでて乾いた蚕だから、その中には乾いた虫が一匹だけが入っています」
「絹は虫の糸からできているのか?!」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「その蚕はもう死んだので、買っても増やすことができません。だったら、普通の絹の糸か布か、買った方が安いでしょう」
「そうだな」
ジャヒールはジャンを抱きかかえながらうなずいた。
「やはり昼間と夜の売り物が違うのね」
「そうですね」
ジャンはうなずいた。夜の方が変だ、とジャンが言うと、ジャヒールは笑った。
「先生、あの船の近くに行って下さい」
「あの船の近くにか?」
「はい」
「分かった。でも私のことを父さんと言ってね。ばれるとまずいから」
「はい」
二人はジャンが示した場所へ行くと、複数の商人がお酒を飲みながらカード遊びをしている。売り物もただの布だけだった。近くに開いた箱があって、その中身はもうほとんどない。ジャンとジャヒールが見えると、彼らはカタゴトのウルダ語で布を売ろうとしている。
アルキアの布だ、とジャンは思った。
「一枚、500ダリ!安いよ、安いよ!絹!」
一人の商人が言うと、ジャンは手を伸ばした。
絹じゃない、と彼は思った。
「絹は偽り」
ジャンが言葉を選んで、ジャヒールの耳に言った。相手が自分たちの言葉を理解している時点で、注意が必要だ、と以前ジャンの祖父に言われたことがある。
「高い。10ダリだ」
ジャヒールが言うと、彼らは笑った。ジャヒールが理解していない外国語で仲間に言うと、ジャンは耳を傾けた。
賭け事でお金を搾り取る、とジャンはジャヒールの耳元で小さな声で彼らの言葉を訳しながら彼らを見ている。
「旦那、くじ、やろう。勝ったら、布、あげる」
「ほう。俺が負けたら?」
「負けたら、500ダリ、もらう」
「良いだろう」
ジャヒールが言うと、彼らはカードを出して、きれいに混ぜた。
「勝負、3回」
「良いだろう」
ジャヒールが言うと、彼らはにやっと笑みを浮かべた。
明らかに何かを企んでいる、とジャヒールは思った。けれど、ジャヒールは具体的にどんな仕掛けてくるか、分からない。
勝負は単純だった。それぞれにカードを一枚取って、相手に明かす。どちらかが高いか、勝ち。
一回目はジャヒールが勝った。二回目は相手が勝った。公平のためにまたカードをシャッフルする相手に、ジャンが突然手を挙げた。やりたい、とジャンが言うと、ジャヒールはジャンを降ろして、相手にそう伝えた。
子どもだから仕方ない、と彼らは笑いながら言った。すると、相手は一度シャッフルしたカードの束をジャンに渡すと、ジャンは手慣れた様子でそのカードをシャッフルした。そしてカードを台の上に置いた。
「父さん、私が取っても良いですか?」
ジャンが言うと、ジャヒールは笑ってうなずいた。
「良いよ」
「負けたら、ごめんなさい」
「良いさ、たったの500ダリぐらいは、安いものさ」
ジャヒールが言うと、ジャンは悩みそうな顔で一枚を選んだ。相手もかなり悩んで、一枚を取った。
「カードを見せて」
「はい」
すると、ジャンはカードを見せた。キングのハートだった。相手は8のハートだった。当然、ジャンの勝ちだった。
「もう一回」
突然相手が言うと、ジャンはジャヒールを見て、確認を取った。ジャヒールがうなずくと、ジャンもうなずいた。
「じゃ、おじさんはさきにとって」
「分かった」
一人の男がそう言って、カードを取った。何かに調べるような真剣にカードを見つめている。
「まだですか?」
「もう少しだ」
彼はそう言って、カードを上から見ている。そして仕方なく、一枚を取った。
「じゃ、私が取りますね」
「ああ」
ジャンはカードを一枚取った。そしてカードを見せた。キングのクローバーだった。
「見せて下さい」
ジャンが言うと、相手はカードをひくり返した。2のハートだった。
「どうして・・」
彼がそういうと、仲間も来て、笑って、布をジャンに渡した。
「約束だ。持って行け」
「ありがとうございます」
ジャンは布を持って、ジャヒールに見せた。
「良いのか?」
「良いよ。こちらが負けたなんだから、その布をあげるよ」
彼が流ちょうなウルダ語で言うと、ジャヒールは微笑んだ。
「ありがとう」
ジャヒールはそう言いながら、ジャンを再び抱きかかえて、布を持って、場を離れた。彼らがまだしばらく大きな声で外国語を言ったけれど、ジャヒールは分からない。
「彼らは、これから母国へ帰るけど、この布は女王のための物だった、と言っています」
ジャンは布を見ながら、言った。
「女王?もしや、イルカンディアの女王?」
「女王はイルカンディアの女王しかいないから、そうでしょう」
ジャンはうなずいた。
「あの船の中に鉄砲があるのか?」
「多分あると思います。多くないけど」
「なぜそう思う?」
「だって、帰国するのだから、鉄砲は自分たちを守るための物だけにするでしょう。海賊から守るためぐらいだとか・・」
「なるほど」
ジャヒールはうなずいた。
「しかし、ウルダ語をかなり話せる人がいるとは・・」
ジャヒールはそう言いながら、サバッダの言葉を思い出した。
アルキアは鉄砲を持ったイルカンディアに負けた、と。
ということは、遅かれ早かれ、イルカンディア人がウルダに来る。オアシスを奪い合う場合じゃない、とジャヒールは思った。
「鉄砲を持っているということは、今その船を襲っては危険ということか?」
「んー、多分」
ジャンは首を傾げた。
「この国で彼らが死んだら、問題になるかもしれません」
「アルキアではそうなるのか?」
「んー、そうですね。それに、彼らはいろいろな卑怯なことをしています。例えば、私たちはこの布をただで手にしたでしょう?」
「はい」
「彼らはしばらくすると騒ぎ出します。盗まれた!というんです。犯人はもちろん、私たちです」
「へ?」
ジャヒールはジャンを見て、瞬く。
「騒ぎ出して、俺たちが犯人だ、と警備隊に言うんです」
「それはまずいだろう」
「外国人がその国で大事にされているかどうか、見極めるためにやるんです。警備隊が相手にして、私たちを捕まえたりすると、彼らは次の手に出ます」
それにジャンの手元にある布はかなり特殊な模様をしているから、言い逃れができないだろう、とジャンが言うと、ジャヒールは考え込んだ。
「もし警備隊が相手にしなかったら?」
「また別のことを考える。一番危険なのは、ウルダ語ができる人で、何するか分かりません」
なるほど、とジャヒールは思った。ジャンの手元にある布を見て、彼は考え込んだ。どうするか、と。
「小頭」
暗闇からタレーク家第三部隊の隊長が現れた。ジャヒールは彼の元へ歩いて、再び視線を船に向けた。
「あの船の者は、大量の布と飾りを買い占めた、と聞いております」
「普通の商売のような感じか?」
「はい」
隊長がうなずくと、ジャヒールは考え込んだ。しばらくすると、彼らは騒ぎし始めた。ジャンの言う通りだ、とジャヒールは思った。彼らの一人が警備隊に呼び付ける姿が見えた。
ウルダ語が上手な人が動き出した。
「あの船の者に注意してくれ」
「はい」
「恐らく、これから俺とジャンが泥棒に仕立てるだろう」
ジャヒールが言うと、隊長が驚いた。
「殺しますか?」
「今はまだだ」
ジャヒールは首を振った。
「ジャン、ナツメヤシの木に登れるか?」
「はい」
「じゃ、その布を、ナツメヤシの木の上に置いてくれ」
「分かりました」
「降りる時に、小さな声で降りると言って、そのまま飛び込んで、私は捕まえてやるから」
「はい」
ジャンはうなずいて、周囲を見渡した。ちょうど良い高さのナツメヤシの木があったから、三人はその木の下に歩いた。
「私を信じろ」
「はい」
ジャヒールが言うと、ジャンはうなずいた。そして素早くその木を登って、てっぺんに布を置いた。
「降ります」
ジャンが小さな声で言うと、ジャヒールは動いた。そしてジャンが飛び降りると、ジャヒールは飛び込んで、ジャンを捕まえた。
「わ!」
ジャヒールがジャンを捕まえると、ジャンはケラケラと笑った。タレーク家第三隊長は安堵した様子でジャンを見ている。
三人が宿に向かって、歌いながら歩いた。ジャンがジャヒールの歌を真似ると、隊長も手拍子しながらリズムを取った。宿の近くの屋台の客らが小さなジャンを見て、嬉しそうに笑った。一緒に歌った人もいるぐらい賑やかだった。ジャンが降りて、その客と一緒に踊りながら大きな声で歌った。人々は笑いながら歌って踊ってしている。
「あの二人です! 泥棒です!」
いきなり警備隊を連れてきて大声で言ったのはやはり先ほどの男でした。警備隊がジャヒールとジャンを見て、再びそのイルカンディア人を見ている。
「子連れが盗む訳がないだろう?」
「子どもを置いて、父親が船の外に置かれている箱を開けて、その中身を盗んだ。二人を見かけた人がいるんです」
そのイルカンディア人が言うと、ジャヒールは急いでジャンを抱きかかえた。
「泣け、ジャン」
ジャヒールがジャンの耳元で言うと、ジャンは瞬いた。
「えーん!怖いよ!お父さん、あの人は怖いよ!えーん!」
ジャンが泣くと、人々が機嫌悪く警備隊に抗議した。隊長も怒って、警備隊に文句言うと、警備隊は困った顔した。騒ぎが大きくなって、宿の中からサバッダたちも降りた。
「父さん、怖いよ!」
ジャンが大きな声で泣いて、宿の中から出て来たサバッダたちを見た。
「俺の息子を泣かせて、どうするつもりだ?!」
ジャヒールが言うと、サバッダたちはすぐに理解した。彼らは警備隊を鋭い目で睨みつけた。
「おまえらがその人の物を盗んだ、という容疑があったから、確認しに来た」
「冗談じゃねぇ!俺は仲間と一緒に糸と毛皮を売って、米を買うためにこの町に来た。そんなの気になるなら調べれば良い!」
ジャヒールが大きな声で言った。
「そもそも、何を盗んだと言うのか?」
サバッダが聞くと、警備隊は再びそのイルカンディア人に聞いた。
「布、だそうだ」
「そんなのねぇよ」
ジャヒールがそう言って、ジャンを降ろして、たくさんの人の前でジャンの服を脱がした。そして自分自身の服を脱いで、警備隊の前に立った。
「何にもねぇよ?」
「そうだ! そうだ!」
ジャヒールが再び泣いたジャンに服を着せてから、自分の服も着る。人々は文句を言い出して、二人をかばった。
「そもそもそんなものは、船の外にはなかった。俺の息子は面白そうな船だから見に行ったが、船の前にいたのは酔っ払い彼らだけだった」
「じゃ、嘘ついたのか?!」
ジャヒールの言葉を聞いた警備隊は険しい顔で逆にイルカンディア人を見ている。彼は慌てて首を振った。
「宿の中で隠したかもしれません」
彼が言うと、人々がまた騒ぎ出した。集まった人が増えて、何が起きたか知りたい、と彼らを見ている。
「荷物を調べれば良いだろう?」
見物人の中から誰か言うと、人々もうなずいた。警備隊が宿の中に入って、ジャヒールとジャンのことを宿の下男に尋ねた。確かに二人が泊まっていることを聞いた警備隊員はそれ以上確認せずに、彼らの部屋に向かって歩いた。
「あの、お役人様?」
騒ぎを聞いた宿の主人が声をかけると、警備隊員らが振り向いた。
「何だ?!」
「あの親子に、できれば、彼らと問題を起こさない方が良いでしょう」
宿の人が宿帳を見せると、警備隊の人の顔が青くなった。
「サバッダ・タレーク、子どもはジャン・タレーク、・・まさか、あのタレーク家の?」
「はい。彼らは部隊を連れて、買い物しに来たと伺いました」
部隊、その言葉を聞いた警備隊の人は真っ青になった。タレーク家はウルダの中央辺りで有名な家門で、国王の信頼が厚い、という話は政府関係者に知られている話だ。自分たちの部隊の存在も許されたぐらい家門だ。
それに、国の第一将軍もタレーク家出身だ。
そんな有名な家門の人は布一枚を盗むなんて、あり得ない。そもそも、本当に盗みがあるかどうか、あの船の船乗りたち以外の目撃者がいない。
「彼らは、本当に買い物に?」
「本当です。私どもが彼らの荷物を見ました。米や干し葡萄、干しイチジク、麦、クルミ、砂糖など、大量に仕入れていたから、私どもの部屋を一つ借りて、その中に荷物を入れましたよ」
宿の人が言うと、警備隊の人の顔が真っ赤になって、怒りだして、外へ出て行った。そして彼はそのイルカンディア人を殴った。
「この嘘つきめ!」
警備隊の人がそう言いながら彼を殴って、すぐさまジャヒールの前に来た。
「サバッダ様、申し訳ありませんでした!」
彼が言うと、逆にサバッダがびっくりした。どうやらジャヒールがサバッダと間違えられたのようだ。
けれど、ジャンはまた大きな声で泣いた。
「嘘つき!嘘つききらい!えーん!」
ジャンは泣きながらイルカンディア人を指さすと、人々は敵意むき出しでそのイルカンディア人を睨みつけた。見物人の中から誰かが石を投げた人がいると、怒り出した人々も手当たり次第拾った石を投げ始めた。
そして誰かが大きな石が彼の頭に当たると、そのイルカンディア人が倒れて、ビクッと動かなくなった。
しかし、人々の怒りがそれだけで治まらず、もうすでに倒れた人を蹴ってから港へ引っ張り出して、次はその船の前にいるイルカンディア人を次々と襲った。
怒った人々が船の中に入り込むと、今度は船の中にいるイルカンディア人たちが鉄砲で反撃した。
それを見たジャヒールはすぐさま第三部隊に合図を出した。
彼らを生きたままこの国から出してはいけない、とジャヒールが合図すると、第三部隊の隊員らは直ちに動き出した。
闇に紛れた第三部隊の隊員らが人々に混じって、船に上がると、すぐさまいろいろな所へ分散した。そして武器を持ったイルカンディア人を後ろから投げナイフを投げて、即死にしてから、武器を奪い取った。けれど、途中で誤発して、そのまま船の中にある油ランプに当たると、あっという間に炎が上がった。
「ピーーーーーーー!」
サバッダが口笛をすると、船の中にいる第三部隊はすぐさま撤退した。人々も奪った品々を持ちながら、すぐさまその船から出て行った。警備隊が港に到着すると、船は燃えたまま海へ動き出した。
碇縄が切れた。そして何よりも、船の帆が上がった。ジャヒールがその様子を見ると、すぐに振り向いた。
「そのぐらいやらないと、まずいからね」
一人の男性が言うと、ジャヒールはうなずいた。ジャンは彼の顔を見て、瞬いた。
「そうだね。感謝するよ」
「それはこちらの台詞だ」
その人が微笑んで、ジャヒールの腕にいるジャンの鼻をつまんだ。
「うわー!」
「ははは、久しぶりだ、ジャン」
「お久しぶりです、サラム兄さん」
ジャンが言うと、サラムは笑って、また海の上で燃えた船を見ている。