魔女の力
「ご、ごちそうさまでした。舌と脳が……バグってる」
何とか弁当を食べきった瞬間、箸を握ったままのマナカはぐたっとテーブルに突っ伏す。
好みの味付けな肉詰めと、嫌いな野菜のピーマンの味が交互にピークを迎えるコンボ攻撃に、喜んで良いのか苦しんで良いのか、味覚と感情が追いつかず、疲労感さえ覚えるほどだ。
なかなか飲み込めなかったので、咀嚼しすぎで顎もだるいので、長めの後ろ髪がテーブルの上に広がるのも気にせず、テーブルの上で顎をごろごろとマッサージしている様は、それこそ猫のようだ。
「はしたないぞ。もう少し行儀を気にしろ」
空になったカップに新しい茶を入れてやりつつ軽く注意をしてきた姫野に対して、マナカはにへらと笑って返した。
「えー身内ばかりだからいいじゃん、姫野おねーちゃん」
いつの間に、先輩からおねーちゃんに格上され、先ほどまでの先輩扱いよりかなり気安くなっている口調と変化が著しく、この短時間でどうしてかと、姫野は公一に目をやって問いかける。
「マナカは基本甘えたがりのかまってちゃんだからだよ」
そういう習性だから諦めろと言わんばかりに公一は首を横に振ると、マナカがそのまま放置していた弁当箱やら、手から箸を取り上げて回収している。
公一本人は嫌がるが、こういう所はどう見ても妹の世話を焼くお兄ちゃん的行動だ。
もっとも小学生、いや幼稚園児に対する扱いという注訳は付くが。
「あたし加点主義者なんで。今のお茶を入れてくれたのと、注意してくれたので、見事心のおねーちゃんにランクアップ。パチパチパチパチパチ」
伸ばした手を動かすのも億劫なのか、口で拍手をしているマナカは、本気なのか巫山戯ているのか今ひとつ判断がしづらい。
一応好意をみせているのは間違いないだろうが。
「制服を作ってくれた段階で、リーチ掛かってたんで時間の問題なん……あぁそうかお弁当で忘れてた。制服の効果だったよね」
ゆらゆらと頭を揺らしながら顔を上げたマナカは、姫野が呼び出した理由を一応は覚えていたようで、だらけた体勢のままスマホをタップしはじめる。
「あぁ。一応既製品と思われるように仕立てたつもりだが、細部に甘さがあるからな。ちゃんと出来ていたか気になっていたんだ」
「しかしわざわざ制服もどきを一から作らなくても、それっぽいの適当に組み合わせりゃよかったんじゃねぇか?」
空になった弁当箱を片付けた公一が目線で示した先には、部屋の隅に置かれたハンガーラックにつり下げられたブレザーだ。
先日マナカが日ノ岡の通夜に着ていった制服もどきだ。これはマナカに依頼された姫野が二月かけて仕立て上げた一品物となる。
「制服マニアなんて隠れも含めたら、石を投げて跳弾含めて一石三鳥が男の子。ぱっと見で分かるコスプレもどきなんってすぐに偽物だって断定されんじゃん」
「勝手に男の大半を制服マニアにすんな。姫野、マジで悪い……マナカの悪巧みの片棒担がせて」
「気にするな。私も楽しませてもらったし、日ノ岡さんには技術料代わりに寄付してもらった最新コンピューターミシンやら大量の生地などは、ウチの部としては正直助かった」
高校受験を控えたマナカへの試験勉強のアドバイスを公一から頼まれた縁が始まりだが、まさか、部活を聞かれて被服部だと答えたら、いつの間にやら制服を作らされる事になるとは姫野は夢にも思ってはいなかった。
しかも日ノ岡がミシンや布を寄付したのは姫野達の高校だけでは無く、被服部が存在する市内の高校、中学の全てという太っ腹具合だ。
もちろんマナカの存在を隠すためのカモフラージュの意味合いもあるのだろうが、大作を作ろうとすると少ない部費では足らず、個人の持ち出しも多かったので、好きに作れると喜んでいる部員ばかりだ。
「寄付の理由付けとしても、ウチの市内に源さんの奥さんの1人のお墓があるから無理ないし。でも源さん酷いんだよ。いよっさすがハーレム王。老いても女に甘いってごまかしやすいねってハイタッチしようとしたら、返ってきたのまさかのげんこつだよ。ベッドに寝たきりのおじーちゃんなのに」
「100パーマナカが悪い。基本いらんことしかいわねぇ害悪スピーカーの本領発揮すんな」
「あたしの口の達者具合は、お隣幼なじみおにーちゃんの影響だとご近所でも評判なんですけど……ほい。世間一般では今のところはこんな感じ」
公一と軽口を叩きあっていたマナカが渡してきたスマホの画面には、匿名掲示板の企業板や株式板が呼び出されている。
隠し撮りされたマナカの写真や映像とともに、その正体を探ろうとする書き込みが幾つもあるが、だがどの情報も特定まで至らず、混迷する様が見てとれた。
ただの興味本位が大半のようだが、正体如何では櫻森グループ関連の株価に大きく影響する懸念材料として真剣に議論や、推測を行っている板もあるようだ。
しかし今の所、制服が偽物だと見抜かれた様子は見て取れない。
「ふふん。謎の美少女参上って、良い感じに多方面で話題を作れてるから掴みはオッケーかな。今朝の書き込みで、別の高校の制服だって決め付けて凸しそうな人がいたから、授業時間中に抜け出して、レスバしつつ書き込みの誘導を少ししたけど、概ね問題なし」
「十分問題ありだ。教室にいないと思ったら……佐倉、サボりは良くないぞ」
昼休みに入ってすぐに迎えに行ったのにいないはずだと呆れながらも、チェックを終えた姫野は、次は公一へとスマホを渡す。
「大丈夫大丈夫、こういう緊急対応事態も想定して、入学時から抜け出しやすいように授業動画撮影用の機材仕掛けも源さんとしておいたし。センセ達にはあとで授業動画を見直してレポート書いて出しますって泣き落とし済み。なにせ慕っていたおじ-ちゃんを亡くしたばかりの、かわいそうな美少女ですよこっちは」
「どこに美少女がいんだよ。掲示板の書き込みも猫連れの変人JKやら隠し子やら幼妻とかマイナス要素ばかりじゃねぇか。どうせ帰り道は同じだから、放課後は部活が終わるまで待ってろ。家まで送る」
面白半分のネタ扱いされかけているというのに、どういう神経してるんだと、年下の幼なじみに心配半分、呆れ半分で注意しながら、公一はマナカにスマホを返す。
「だって誰もあたしの容姿を褒めてくれないから自分で言うしか無いじゃん。子供っぽいとか、悪ガキだとかそんなんばっかで。このままだと、行間を読むと見えてくる照れ隠しとかで感じ取る賞賛の声とかの承認欲求を満たすためネット姫ルート一択だよ」
「その気が無くなるまで監視&説教するけど、俺の部活中は待機してる間、体育館床で正座でいいな」
「いやコーくんマジトーン止めてください、冗談です。とりあえずどっかの女子高生って思われてるなら、制服は問題なしだよ。おねーちゃんの技術の勝利!」
白けた目を向ける公一に対して即座に逃げを打ったマナカは、話題を変えるためか姫野に向かってサムズアップを繰り出す。
「それなら良かったが、本物の制服だと思われたなら私の腕というよりも、生地やデザインが良かったのが大きいな。制服にもよく使われているギャバジン生地だが、使い方が上手いな。実用性、耐久性を重視しつつ、学校の制服らしい落ち着いた雰囲気を感じられた」
「へぇそうなんだ。デザイン含めて、ぱちってきたデータそのまま流用だったけど、やっぱりセンスあるんだあの子」
「あぁ。そうだ……実にもったいない話だ。ウチの生徒なら是非部に勧誘したいと思ったな。デザインしたのは日ノ岡さんのひ孫さんだったな。この子は被服部では無いのだろ?」
「うん。源さんがそう言ってた。源さん絡みで、あの一族って色々しがらみ多くて、自由に動けない人が多いから。だからこの辺も含めて荒療治かなぁ。ほんとやりたいこともやれないとか、何が楽しいんだか理解できないんですけど」
頬を膨らませたマナカは、まるで我が事のように、手足をじたばたさせてつまらないと全身で主張する。
「お前が自由人過ぎるだけだ。それ以前にマナカ。ぱちってきたとか、犯罪行為を堂々と口にするな」
「犯罪行為ってコーくん人聞きが悪いな。ねぇ姫野おねーちゃんは、あの制服のデザインを作った子って服を作るのが嫌いだと思う?」
「それは……無い。かなり勉強していると思うし、なにより何度もデザインを手直しして苦心した跡があった。好きで無ければそこまでやれない」
「でしょ。でもその子は被服部に入っているわけでも無くて、それどころか家族にも服作りの趣味があることも話せない。たぶん話す気も無いんじゃ無いかな。この間のお通夜の時に、その子とも顔を合わせたけど、自分がデザインした制服を着て現れたあたしに対して、文句は言ってこなかったし。睨み付けてくるだけで拍子抜けだったよ。もう一つ揺さぶりかけといて正解かな」
「……もう一つって、絶対ろくでもないことしやがっただろ」
早口で文句を言いつつも、悪戯が成功した子供の無邪気で楽しげな笑みとしか言いようがないものを浮かべるマナカを見て、公一はげんなりする。
マナカが一番質の悪い事をしでかすときの仕草や表情だと、長年の付き合いで知っているからだ。
「大丈夫大丈夫。ロミジュリ回避の第一歩だし。それにこのデザインだって大元はもっと昔、源さん達が自分達の子供が問題なく学校に通えるように、自分達で学校を作ったらどうだろうって話したとき奥さんの1人が書いた物らしいから。夢だったみたいだからね。後ろ指を指されずに兄弟が仲良く出来る光景をもう一度って」
「全員母親の違う異母兄弟か。今の時代だったら簡単に広がっていただろうが、昔ならもう少しマシだったんじゃ無いのか?」
そのような関係に眉をひそめる者は多いが、今は面白半分で拡散してしまう時代。スマホ所か、ネット環境さえ無かった時代なら少しはマシだったのでは問う姫野に対してマナカは首を振る。
「ん~そうでも無かったみたい。逆に今みたいに多様性って便利なガードお守り無い時代だからね。源さん達親世代はそれでも全員一緒にって覚悟は決まってたけど、小っちゃなお子さん方には無理。範囲は狭いけどもっとえげつない陰口やら嫌がらせあったみたい。かくして日ノ岡ハーレムはお子さん達に小学校入学前に崩壊。それ以来なんやかんやあって、櫻森グループとして一族を守る鎧は手に入れたけど、家族、兄弟としての絆は取り戻せず、後悔を抱えたままハーレム王は死亡。源さんの最後の願いを託されたあたしが登板って流れだよ」
「省略しまくった話だけでもどう考えても他人がどうこう出来るもんじゃ無いだろ。半世紀近く積み重ねた厄介ごと引き受けてんだマナカ」
「そりゃあたしは源さんの友達だからだよ。友達の最後のお願いなんだからかなえてあげたいと思うのが人情じゃん。奥さんも全員亡くなった今、源さんが亡くなった今回が最後のチャンスだしねー」
どこまで本気なのかわかりにくい緩さでマナカが公一に答えたところで、昼休み終了を告げる予鈴が鳴り響く。
「さてとコーくんに強制連行された姿いろんな人に見られちゃったし、午後からは授業出ないと。いつまでもくよくよしてんなとコーくんと姫野おねーちゃん夫妻から説教されました体でいくんで口裏よろしく」
「待てこら誰が夫妻だ、って逃げんなマナカ!」
公一の反応を聞き終わる前にマナカはダッシュで被服準備室を飛び出していく。とっさに追いかけて廊下に出てみるが、既に左右の廊下に姿は見えない。
猛ダッシュで逃げたか、隣の教室に逃げ込んだか、もしくは窓から外に出たか。
3つの選択肢があれば、それらを組み合わせて対戦相手に無限の選択を強いてくるのが幼なじみの妹分佐倉愛佳だと知る公一は捕獲を諦める。
「夕飯の時にまた顔を合わせるって忘れてやがったな。あとで覚えてろよマナカ」
もっとも面白がりでその場のノリで軽口を叩く迂闊な性格もあるので、あとで説教の機会はいくらでもあると知るのも幼なじみ故の強みだ。
「君たちは本当に兄妹みた……」
いくら幼なじみとはいえ男女の仲という関係性を一切感じさせないマナカと公一のやり取りに呆れそうになっていた姫野はふと気づく。
表面上はどうあれ、あれだけ色々考えて動いているマナカが、わざわざ迂闊に煽るような真似をするだろうか?
むしろわざとそのような言動を見せて、兄妹風味を強めているのではないか。
それこそ公一とつきあっている姫野のために。姫野に誤解を抱かせないために。
現に姫野はこの瞬間まで、いやそう気づいた今でもマナカに対して警戒心を一切覚えていない。
言動のどこまでが計算で、どこから天然か分からないが、それこそが佐倉愛佳の持つ能力、魅力の一つなのだろうか。
厄介ごとに自ら首を突っ込んで周囲を巻き込むわりには、嫌われにくいというか、面倒を見たくなる性格をしていると言うべきか。
「ほどほどにしておいてやれ城野。からかいに反応していると余計調子に乗る。私達も教室に戻るぞ。鍵を閉めるから早く出ろ」
身内認定されてしまったのでそのうちまた無理難題を頼まれるのだろうかと面倒さを覚えつつも、少しだけ楽しみも覚えた姫野は微笑を浮かべながら、鍵を振ってみせた。