魔女の日常
「……めんどせぇ」
昼時の大学キャンパス内。学食でテイクアウトしたパンとコーヒー片手に、人気の少ない場所を求めて、たどり着いたのは10分ほど歩いた構内の片隅にある旧実験棟の屋上。
気にしすぎだとは思うが、衆目を集めているのは間違いないので、飯時はこうして避難して既に三日目だ。
初日にホットで買ったらぬるくなっていたので、今日もアイスコーヒーだ。
6月初旬。少しまだ肌寒い日があるが、晴れているなら多少マシ。
「雨の日どこで飯にすっかな……最悪便所飯とかは勘弁しろよ」
屋上入り口から影になったベンチに腰掛けた田宮透はぼやきながらサンドイッチをつまみつつ、スマホを取り出し検索履歴のトップの単語をタップ。
検索画面を適当にスクロールさせる。
櫻森グループでお家騒動ついに勃発!? 四兄弟の確執。
櫻森グループ会長葬儀から一週間、未だ遺言は公開されず。
決まらぬ後継者。櫻森関連企業株軒並み安。
故櫻森不動産ハーレム王に隠し子発覚?
父親達が圧力をかけているのか、未だTVや週刊雑誌で取り上げられることは無いが、他に目をひく話題がないのもあってか、ネット専門のゴシップ界隈ではそれなりに盛り上がっている。
適当にスレを漁ってみれば、出所もはっきりしないガセネタ含みのオンパレード。
そしてもっとも盛り上がっているのは、この騒動の発端となった少女に対する話題だ。
『通夜には来て葬式当日は欠席か。親戚に反対されたな。隠し子ムーブが過ぎる』
『隠し子じゃ無くて、パパ活、この場合爺活相手じゃね』
『終活インタビューの時にエロ爺が言ってた直筆招待状持ちらしいぞ。特別扱いされてるな』
『インタビュー5年前だよな。小学生相手かよ。エロ爺、地獄に落ちたな』
『あそこの業はもっと深いぞ。子供全員愛人の子で認知のみ。しかも母親は全員死んでるから、ハーレム爺がもう少し生きていればワンチャン女子高生ママ爆誕』
『しかしアレどこの制服だ。特定班まだか』
通夜の会場で棺の前に立つマナカの隠し撮り映像が既にネットには出回っており、制服からどこの誰か調べようとする連中も出て来る始末。
それ以外には長年の禍根が産んだとかなんだとか感情的にウェットな、よく見る親戚間のもめ事という奴だ。
「昨年の一族新年会で殴り合いって……ウチの連中は爺さん以外にはもっとドライだっての。それぞれの家ならともかく、四家全部が親戚として顔を合わせる機会なんて、爺さんが死んで初なんだけどな」
確執なんて物が生まれるほどの深い付き合いなんて、皆無だというのに。
特に父親達の世代。祖父の実子である4人はそうだ。
極端に、それこそ病的と言ってもいいほどに、付き合いを避けている節が少ない機会でも見て取れた。
それはそうだ。確かに血の繋がりのある兄弟だが、全員が腹違いなんて気まずいにもほどがある。
寡黙な父にも、自分が知らない葛藤やら、何やらが色々あるのだろうと推測ぐらいは出来るので、掘り起こす気も無い。
父達は、同じグループ内企業のトップとしてと、公人としての付き合いはするが、それさえ必要最小限だ。
他企業から招かれた記念式典での家族同伴の立食パーティーで同席したとしても最初の挨拶だけ交わし、あとは談笑することも無く離れている。
かといって徹底的に互いを無視するわけでも無く、誰かに仲介を頼まれれば紹介はする。
必要とあれば部門を越えた合同プロジェクトをしっかりとこなし、足の引っ張り合いや、功を焦ったいがみ合いなどの様子も無い。
それどころか祖父の後継者だって、既に4人のなかでは決まっている。
それは他ならぬ透の父である田宮宗一だ。
櫻森グループの本体ともいえる櫻森不動産会長である父が、祖父の生前から元々後継者として有力視されていたのもあるが、それにしたってスムーズだ。
実際に通夜の夜に呼び出された4人が集まった際に、初めて4人が会話を交わすところを見たが、ものの五分もいらなかった。
最終意思確認程度のことだったのだろう。
祖父が所有していた櫻森グループの持ち株会社である櫻森ホールディングスの株をそのまま相続し、取締役会長に田宮宗一が就任、今まで父が務めていた取締役社長は木下宗司。
現在の社内および社外の取締、監査役職はそのまま続行で、空いたポジション一つには社外から取締役役員を1人招聘。
人選は祖父が既に決めており遺言状に記載してあり、葬儀が終わりしだいすぐに遺言を公開する。
あとは遺言状の開封日と公開日だけ決めてすぐに解散というのが、通夜の夜の父達の思惑だったのだろう。
実際遺言の件は抜きにしても、世間でも父が櫻森のトップになるだろうという空気は、事情通の者なら察していたという噂だ。
透が櫻森の御曹司だと知るのは大学内でそこそこいるが、生活レベルから思考まで庶民な本人をみてすぐに興味を無くすのが常なので、今までは友人でさえ、就活の話題が出たときにそういえばそうだったと思い出す程度の扱いで済んでいた。
ところがここ数日は、ちらほらだが興味本位な無遠慮な視線がささり、剛胆な奴は、一万出すから後継者発表日を教えてくれと買収を提案してくる始末。
デイトレでもやってるのだろうか。
興味本位で話題にしている連中以外にも、この降って湧いたお家騒動を気に一儲けやらを考えている連中はそこそこいるようで、話題には事欠かない。
元々祖父と祖母世代の歪な関係があったから、話題に晒されるだろうという予感はあった。
多少ざわつきはするだろうが、遺言状を公開して、遺産相続が終わればそのうち収束するだろうと考えていた。
だがあの佐倉愛佳と名乗る少女が現れたことで、全てが狂った。
遺言の公開日が送れている理由は単純だ。
立会人の1人として指名されているマナカの都合だ。
理由も至極真っ当。
来週は学校の中間試験があるので昼間は無理。試験期間が開けた次の週の月曜日からなら、学校を休めると。
実に学生として正しい理由。
通夜の翌日にマナカが葬式に出席しなかったのも、担任に家族でも無く血の繋がりも無いおじいちゃんのお葬式って公休扱いできますかと尋ねて、秒で却下されたが本人の弁だ。
だから葬式当日にはマナカの姿は無かったのに、世間一般は邪推しすぎだ。
かといってマナカをただの祖父の友人として、公表できない理由がある。
それこそマナカが遺言状公開の立会人に指名されているからだ。
本人は血縁者ではない証拠に遺伝子鑑定の結果を渡してきているが、逆に血縁者でも無い女子高生が立会人の立場になるのかと世間一般に説明が付かない。
兎にも角にも父達の選択は静観。下手に騒ぐよりもマスコミに圧力をかけるだけかけて、遺言状の公開日まで堪え忍ぶ方針らしい。
適当に流し見していたスレに新しい写真が投稿される。
少し離れた場所から隠し撮りされたらしき画像には、棺に向かってジャンケンするブレザー姿のマナカ(黒猫付き)が映っており、その横で透が見切れていた。
「なんで爺さんはこいつを立会人に指定したんだか。どうやっても揉めるの分かってただろ……マジで愛人とかじゃないだろうな」
亡くなった祖父の友人を名乗る女子高生。
マナカの周囲も今騒ぎになっているのでは無いかと、正体は気にしつつも少しだけ心配を覚えていた。
雲は多いけど天気は晴れ。昼休みの前庭の植え込みに隠れてスマホをぽちぽち。
校舎からは茂みで隠れて見えず、ある程度茂みをかき分けて中に入らなければならないので生徒でも知る者はほとんどいないという実にほどよい隠れ家だ。
持ち込みはオッケー。だけど校内で使用は禁止されているのがちょーっと面倒と思いつつ、スレを確認。
「おっ。新しい隠し撮り画像発見。ブレザーもやっぱ似合うな。さすがあたし」
家から一番近いという身も蓋も無い理由で選んだ高校の制服は、中学と同じセーラー服。
ちょっと新鮮な気持ちでブレザー姿の自分をにまにまと見ながら、自家製アシスタントAIとのリンクを立ち上げ。
「にゃがれぼしまーくふぉてぃ。この画像から撮影位置を逆算して特定。弔問記録から撮影者を特定よろしく」
『にゃん』
愛猫からサンプリングした泣き声で了承の返事をしたAIが、画像から位置距離を解析し、櫻森セントラルホテルの監視カメラ映像から撮影者を特定。
弔問記録と照会して、すぐに流出犯人を割り出す。
「ふむふむ、建設会社専務の秘書さんか……ややしかも親会社のお偉いさんの息子さんと。ん、すぐに使う予定ないから情報キープかな。賞味期限は短そうだけど……まーくふぉてぃお疲れ様」
お礼を込めて画面に映った黒猫を指で撫でてやると、嬉しそうにごろごろと喉を鳴らす姿が実に可愛い。
いくらマナカとはいえ、さすがに校内にペット持ち込みをしない常識はある。
リアルのにゃがれぼしは今頃お隣の城野さん家でお昼ご飯だろうかと思いだしたので、スマホ内のにゃがれぼしにも猫缶をキコキコ。
良い獲物を狩り出してくれたので、今日は奮発して一番高い課金アイテムの金の猫缶プラチナだ。
嬉しそうにむしゃむしゃする、まーくふぉーてぃのスタミナが全開とはいかずともある程度は回復していく。
ちなみに餌はリアル連動システム。リアルの今日のにゃがれぼしも、マナカのお小遣いで買うペットショップのお高い猫缶だ。
そんな縛りをつけているのは、便利機能を使いすぎないため。
マナカの本質は狩人。
通夜会場を狩り場とし、自らを餌にして、色々仕掛けはしたが、その仕掛け人がマナカ本人だと気づかれると、この後のことにも色々支障が生じるからだ。
「ちょっと課金しすぎかな。そろそろあの怖いおにーさんに気づかれるかな。そうなったらそうなったでプランFかな。ん~でもGも捨てがたい……だけどさすが源さんの会社。今のところ自社社員からの流失は一つも無しか。統制が取れているのか、それともあのおにーさんが先に消して廻ってるかなあ」
スマホはあくまで接続ツール。AI本体は櫻森グループのメインサーバ内に会長権限で常駐中。
一般社員どころか管理者権限を持つ幹部社員にも気づかれず、ログを残さずに社内情報を色々見ることも出来るが、それだって絶対では無い。
動けば動くほど気づかれる恐れは強まる。
何せマナカは知りたがり。危険だったり、まずいと分かっていてもついつい踏み込んで、危ない目やらやばい目に遭った数なんて、両手、両足の指でも数え足りないくらいだ。
それをよく知っていた源一郎から課せられたのが、スマホゲーに似たスタミナ制と課金制。
もっともシステム的なスタミナ制と違い、課金要素は両者間の口約束なので破ろうと思えば破れるが、愛猫命のマナカが猫に対して嘘はつけないので、その気になればクラック可能なシステム的な縛りよりもある意味強固なロックだ。
既に心許なくなった今月のお小遣いの残りと、社内調査の記録を見たい誘惑に葛藤していると、マナカの背後でがさがさと植木が揺れる音が響いた。
「やっぱここか……姫野。マナカいたぞ。前庭のいつもの所。すぐそっち戻る」
スマホ片手に茂みをかき分けて姿を現したのは、幼なじみで二つ年上の先輩城野公一だ。
「りゃ、コーくんどったの? いつもなら彼女さんの姫野先輩とラブラブお昼ご飯でしょ。いぁさすがにアマアマ時空に閉じ込められるのは、ちょっ! タップタップ! 痛い痛い!」
口が達者でからかい好きの幼なじみ相手には、一々話を聞いて反論するよりも、話半分で聞き流して実力行使が一番早い。
「コーくん呼ぶな。あと突っ込みどころをむやみに増やすな。その姫野からの呼び出しだっての、作ってやった制服の結果を聞かせろって」
部活でやるようにバスケットボールを掴む要領でむんずとマナカの頭を掴んだ公一に、マナカは茂みから連れ出され、そのまま連行されていった。