魔女は現代のグリモアを操る
「こちらが佐倉愛佳さん。日ノ岡会長のご友人で、会長より遺言状公開の際に立ち会いをお願いされた最後のお一人になります」
「佐倉愛佳です。このたびはご愁傷様です。心よりお悔やみ申し上げます」
祖父の秘書だった松岡に紹介されてマナカが深々と頭を下げる。
口調、態度こそ殊勝だが、その肩口には黒猫を常備。
ぐらりと土台が動いても猫が身じろぎもせず、抜群のバランス感覚でごろごろ出来ているのは猫故の身体能力か、それともこれが一人と一匹のベーシックポジション故か。
さっき通夜会場へと向かった時に最悪だと感じていたピリピリとして声を出すのを躊躇う空気はまだまだ序の口だったと、田宮透は思い知り、現実逃避気味に考える。
「源さんとは十年来の、っとこの表現にはマイナス一年か、九年来の友人で……って語呂が悪いなぁ。源さんもう一年ぐらい気合い入れて生きててくれればよかったのに」
「会長から言伝です。愛佳さんがそんな文句を絶対に言うからこれならいいだろと。俺のことは『人生の半分の年を語り合った友だ』とでも呼べと」
「なるほどあたしと知り合ったのが5才くらいだから、あたし目線で見れば確かにそうだね。さすが源さん。あ、でもそれって数年限定……うわぁっ、それとも半分が過ぎる前に俺の所に来いって事。源さん死神に転職してんじゃん」
気安い。気安すぎるにもほどがある。しかも些かブラックが過ぎる。
亡くなったばかりの故人をネタにするにしても、そのきわどい会話は嫌でも祖父と少女の近さを悟らせる。
だがマナカの巫山戯た態度に対して松岡以外誰も反応しない。
声を荒げるとか、呆れて声も出ないならまだマシだ。
今は室内の空気が凍りついている。
凍りつかせる原因は、透の父やその弟妹達だ。
私人としての空気をかき消し、グループ内それぞれ中核を成す企業の4人のトップとして冷徹に、厳粛に、僅かな言葉一つでも相手に言質を取られないようにと控え、状況を見極める臨戦態勢に入っている。
それぞれ付き添いできた若い三人は別々と態度を見せる。
透より少し年上の従甥はマナカをちらりと見てから、興味を無くしたのか手元の書類に目を戻す。
マナカと同年代の少女は、微かに眉を潜ませ嫌悪感を滲ませる。
幼い少女は横に座る祖父がいきなり豹変した事に驚き、だが小さい子でも分かる空気の悪さに、何も言えず泣きそうにおろおろと祖父とマナカを交互にみる。
そして透と言えば、マナカを連れてきた成り行きと、タイミングを逃してその横に立ってしまったまま、こちらを見透かす視線の流れ弾で吐き気を覚えていた。
そんな状況の中、顔を上げたマナカはにこりと笑いかえす。
その視線がむかう先は4人ではない。
この場でもっとも幼く泣きそうになっている少女だ。
「源さんのひ孫さんの志保ちゃんだよね。ごめんね。こんなおっかないおじさんおばさんばかりの所に来てもらって。この子がどうしても会いたいって五月蠅くて。ほらにゃがれぼしご挨拶」
空気を読まずつかつかと歩み寄ると、少女の前でしゃがみ込み、肩に乗せていた猫を掲げてみせる。
いきなり見ず知らずのマナカに話しかけられてどうして良いのか分からず固まっていた志保に対して、マナカに促された猫がにゃぁっと一声鳴いて、頭をちょこんと下げた。
本当に挨拶をしているように見えるしぐさに志保がびっくりしている。
「おい君。うちの孫の家で猫は」
右手で猫づかみした猫を志保にみせながら、抗議してきた土岐山壮吾をさりげなく左手で制止しつつ、軽くウィンク。
そんな制止で稼げる時間は僅か1、2秒程度。しかしそれでマナカには十分。
「……猫さんがしほにご挨拶したの?」
目を丸くした志保がおずおずと問いかけてくる。
「ふふん。志保ちゃんには特別に教えてあげる。この子はそこらの猫とはひと味違うんだよ。なんと元お星様。お姉ちゃんが志保ちゃんくらいの時に捕まえた流れ星が、にゃんこになったんだよ。見よ! 黒い毛並みに走るこの白き流星を! これが証拠だよ!」
星が猫になるなんて子供だましも良いところ。大人が一笑にふす戯れ言。
だがマナカは多少オーバーアクション気味に猫の背中の模様をみせて、それが世界の真実だと言わんばかりに宣言してみせる。
僅かな言動で、マナカは自分への志保の認識を知らないお姉さんから、不思議なお姉さんへと上書きしてのける。
不安の色がかき消えた志保の膝の上にマナカは猫を乗せて、
「なでてあげて喜ぶから。喉の辺りこちょこちょしてあげるのもお薦め。お姉ちゃん志保ちゃんのおじいさん達とちょっとお話しするから、その間、にゃがれぼしの面倒を見ててくれるとすごーく助かるんだ。志保ちゃんのおじいちゃんもその方が良いだろうしお願い」
「……おじいちゃん?」
「可愛がってあげなさい。ぬいぐるみよりやさしくな」
鬼瓦のような顔で苦虫をかみつぶしてマナカを睨み付けていた壮吾だったが、上目遣いで許可を求めてくる孫に対して、顔のしまりを緩めて許す。
祖父と孫のほほえましいやり取りに、志保には見えない角度でマナカの口元が実に楽しそうに笑う。
しかしそれは仕掛けが上手くいったとしめしめと笑ういたずらっ子の笑みに透には見えた。
「あ、そうだ。にゃがれぼしにご飯をあげるの忘れてた。松岡さんお願い」
「畏まりました。偶然にも隣の部屋に、にゃがれぼしの好きなおもちゃや、おやつをご用意してあります」
「そりゃ運がいい。志保ちゃんの日頃の行いがいい所為だね」
なでるだけじゃ無くて一緒に遊べると聞いて無邪気に喜ぶ志保と違い、声を出さずとも他全員の心に浮かぶのは白々しいの一言だ。
さすがに透でも気づく。最初からこの流れをマナカが狙っていたのだと。
壮吾、いやグループ内主要派閥の一つ土岐山派閥を懐柔するためか?
だがそれは逆効果ではないかと、透は思う。
「壮吾さん。志保お嬢様をそちらにお連れしてもよろしいですか?」
「分かった……俺も部屋を一応確認させてもらう」
他に何か仕掛けてあるのでは無いかと明らかに疑う視線をマナカに向けながら、志保の手を引いて壮吾が、松岡に案内されて部屋を出て行く。
パタンと扉が閉まる音と共に、部屋に先ほどまでの静寂が復活する。
しかも残った三人は、ますます警戒を強めたのか圧が重い。息苦しい。
そこでふと気づく。
何となく流れでマナカの横にいたが、別に自分はマナカ側の人間ではない。
むしろ今睨み付けている櫻森グループ側だと、ようやく思い出す。御曹司の自覚無しここに極まりだ。
もう案内したんだからこのままマナカの横に立っていなくてもいいと、今更ながら気づいた透は、すり足で徐々にずれてフェードアウトしようとしたが、この狩人はそれを許さない。
「ふふん。おにーさいろいろ聞きたそうな顔してるよね? 聞きたいよね? 聞くよね? 仕方ない。そこまで顔で聞きたいと出ているから聞かしてあげよう」
「はっぁ!? でてねぇっ!? つーか力強いなおい!?」
普段から猫を掴んで鍛えた握力でむんずと透の腕を右手で掴んだマナカは、拒否する透の叫びを軽くスルーして、左手でスマホを取り出し、ずいっとみせつける。
マナカがみせたインスタのページに映るのは志保と、よく似た女性、母親らしき若い女性だ。映っているのはおそらく自宅のリビングだろうか?
志保の母親が手作りらしきぬいぐるみを抱えている。
「志保ちゃんのお母さん。壮吾さんの息子さんの奥さんなんだけど、手作りクラフトでぬいぐるみ作りが趣味。特に猫が好き。でも子供の頃にそこらの野良にゃんこ撫でようとして、派手に引っかかれて生きてる猫はトラウマ。だから飼えないんだって。いやーこの間も志保ちゃんが迷い猫を拾って、でもおうちで飼えなくて困っているところを、見かねた壮吾さんが最終的にグループ全体で飼える人を探したって。ちなみにこっちは社内報からの情報」
「まて……どこでそれを知った。社内報は社員限定のアクセスが必須。漏洩や不正アクセスの報告は受けていないぞ」
どうやって今の流れを演出したかを一方的にまくし立てるマナカの言葉に、初めて反応する者がでた。
マナカの言動を無視して、我関せずとばかりに書類や資料の確認を続けていた木下湊だ。
一応話だけは聞いていたようで、少しばかり興味深そうに初めてマナカを観察している。
「パスやアクセスを漏洩なんてイージーミスは結構あるけど、櫻森に関してはそうそう無いかな。ただ仕事に関係無い話。しかも美談の類って、誰かに言いたくなる物でしょ。そりゃ断片ばかりで、ぼかして伝えるだろうけど、集めてコネコネすれば形は足りるし、あとは頭をうんうん捻ってできあがりって寸法。櫻森ぐらいの大グループだと結構な人いるから手間は掛かるけど」
「社内報で知り得た情報は、どれだけ些細でもあっても漏らさないように規約を変える必要がありそうだな」
「そんな貴方に御朗報。今回参考にした人たちのリストと証拠画像がなんとここに。ちなみに木下家の方も幾人か……アドレスを教えていただければ無料進呈中だったりしますけど、どうします?」
「ちっ。目立ちがり共が……爺さん」
「湊。遺言状の公開までお前が木下の窓口になれ。私には合わん」
祖父と孫のやり取りという区分では同じだが、土岐山と木下では大分質というか温度が違う。
「すげぇなあんた。この短時間で」
てなづけるというか、圧力を弱めるというか、瞬く間に主要四派閥のうち半数に斬り込んでみせたマナカに、思わず感心した透は小声で素直な感想を口にする。
「短時間じゃないって。それにグリモアの効果はここで終わり、あとが大変なんだって。特におにーさんのお父さんが……とりあえず次の手札。おにーさんみんなに配って。そろそろ松岡さん達も戻ってくるでしょ」
スマホを仕舞ったマナカが、今度はいくつかの封筒を取り出して透に押しつける。
なぜ父を難敵と評したのかや、手下としてこき使われていることが気にはなったが、好奇心が勝った透は素直に封筒を受け取る。厳重に封がされどこかの企業のロゴが入っており、薄いので中身は精々紙切れ1枚程度だろうか。
「DNAヒステリア?」
「そ。遺伝子鑑定。まずは源さんと私に血縁関係が無いのと、あ、あとあたしの処女証明。源さんと仲は良かったけど、おじーちゃんの愛人なんて思われたらやーだしね」
「しょ、お、おま!? 平然と」
照れも無く平然とするマナカが告げた予想外の言葉に、思わず透の方が狼狽して赤面するくらいだ。
「やーらしぃおにーさんのスケベ。こういうネタは恥ずかしがった方が負けだよ。まぁそれが必要なくらい源さんの所業がアレなんだけど。色々あるのは本人から聞いたけど、さすがに全員腹違い四兄弟って、しかも認知はしたけど、籍も入れてないってなれば……そりゃ揉めるよね」
にししと笑って透をからかったと思えば、次の瞬間にはやれやれと祖父を非難しつつも同情的な苦笑いを浮かべる。
櫻森グループでタブーとされる公然の秘密をあっさりと口にしながら、ころころと表情が切り替わるマナカの実体を、透は捉えきれていなかった。