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洗い立てのシャツのような笑顔

 優勝は逃したものの龍司は北海道大会で5位となり、インターハイへの切符を手に入れた。この結果にそれなりに満足していたし、達成感はあった。この田舎町の高校からインターハイ出場という話は滅多に出るものでもなく、校内はもちろん、街の中でも嬉しいニュースとして龍司の話は口コミされていた。両親が誇らしそうに喜んでくれていることが、龍司は何よりも嬉しかった。

「長谷川、インターハイおめでとう!」

 英語の授業の冒頭で、先生がそう言ってくれたのをきっかけに、教室は拍手で包まれる。右隣の純子も、嬉しそうにこちらを見つめながら祝福してくれた。

 その授業中、消しゴムを自宅に忘れてきてしまったことに気付いた。中身を全部出して整理した時にきっと入れ忘れてしまったのだろう。

「最上、消しゴム貸してくれる?」

 6月の後半に差し掛かった今、純子とはすっかり打ち解けていたが「純子」とはまだ呼べずにいた。純子の消しゴムは、今日初めて使うであろう新品だった。一瞬だけ貸してもらおうと手を伸ばした時、予想外の出来事が起きた。純子がその新品の消しゴムを真っ二つに割り、片方を龍司の手に載せてきたのである。

「えっ」と思わず漏らしてしまった。純子のまさかの行動であった。

「あげるね、どうぞ」

 清純で物静かな純子に消しゴムを大胆に割ってみせられ、龍司は動揺していた。心を鷲掴みにされたような一瞬だった。何で、と言われてもわからない。ギャップにやられてしまった、と言えば近いのだろうか。純子の面白い一面を知り、ますます龍司は惹かれていった。

 好きだ、と言いたい。

 そんな高まりが龍司の中に生まれつつあった。


 6月の最終週には、恒例の体育祭が開催された。内容としては「運動会」であり、陸上競技会の校内版みたいなものだ。地味なイメージで見られがちな陸上部だが、年に1度だけヒーローになれるのがこの日であり、龍司は毎年、走幅跳とリレーで大活躍し、黄色い声援を浴びていた。桜ヶ丘高校の二大スポーツイベントは、体育祭とソフトボール大会だ。クラス対抗で、かなりのバチバチ感があり、校内行事の割には本気過ぎる空気が伝統的にあった。ソフトボール大会では、審判の判定を巡って本気のケンカもたまに起きるほどであった。

 純子は1組で、龍司は3組。クラスが違うので、純子に応援してもらえないことが龍司は少し残念に思った。けどやはり、自分の活躍する姿を純子に見せたい。典型的な片想い中の18歳男子がそこにはいた。

 走幅跳のレーンは、3年1組〜3組の陣地の真正面にあった。同じ陸上部の1組のヒロシも走幅跳にエントリーしており、龍司との一騎討ちの様相になっていた。インターハイ出場を決めたばかりの龍司がエントリーしているその種目は、最も校内中から注目されている。その戦いがそれぞれのクラスの真正面で繰り広げられることもあり、応援はかなり熱を帯びていた。1本試技をするたびに、ため息や大歓声。ヒロシとは仲が良かったから、時折、冗談を言い合いながらもピリッとした戦いを互いに楽しんでいた。

 龍司の4本目の試技となった。自分のマーカーを確認し、身体を確かめるようにリズミカルな動きを繰り返し、試技に備えた。しかし次の瞬間、予想外な出来事が起き、龍司の世界の全ての雑音がかき消された。


「長谷川くーん! 頑張ってー!」


 そう叫んで、満面の笑顔で両手を振りながら、純子がこちらを見ていた。周囲は、他組を堂々と応援したことと、それが絶対にそんなことをしないタイプの純子であったことに驚き、さらには純子のそんな大きな声を誰も聞いたことがないことも含めて、皆、固まっていた。そんなことはお構いなしに、最高の笑顔と熱い眼差しでこちらを向いている純子。

 完全に、射抜かれていた。やっとのことで不恰好に軽く手を上げて答えるのが精一杯であった。

「龍司、熱いね〜」「そういうことだったのかよ〜」

 周囲には、龍司と純子をニヤニヤして冷やかす者もいたが、純子の耳には聞こえていなかったようだ。

 

 こんな純子は、初めて見た。天真爛漫な、大胆な純子。


「洗い立てのシャツのような笑顔」

 その頃にヒットしていた曲の気に入っていたフレーズが胸中をかすめた。純子はまさにその歌詞のままの、夏の青空がとてもよく似合う、爽やかで、可憐で、吸い込まれそうな笑顔を龍司だけに向けてくれていた。時が止まり、まるでグラウンドに二人きりで、他には誰もいないような感覚に龍司は陥った。

 まさか、両想いなの、か‥‥?

 初めて龍司は1ミクロンの可能性を感じたが、まだ疑念の方が強い勢力のままだった。仲良しの同級生を、ただ無邪気に応援したに違いない。しかし、完全に、好きになってしまった。心臓を鷲掴みにされる、というのはきっとこういうことなんだろう。

 元々好きだと思っていたけれど、それを100%自覚する範囲まで純子の応援により一瞬で引きずり出された、そんな感覚であった。


 好きだ、と伝えたい。


 もう我慢の限界だった。黙ってられない。

 玉砕しても構わない。

 気持ちが溢れて過ぎて、龍司の世界は全て純子で埋め尽くされていた。

 

 夏のグラウンドには初夏の涼風が、龍司の恋を後押しするように吹いていた。

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