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四次元空間

 あの日の出来事がトリガーとなり、妙なスイッチが入ったのだろうか。これは流石にもう、通院すべき状況かもしれない。

 朝、起床した瞬間から、電車に乗り仕事に向かい、帰宅し食事をして雑務をこなし、就寝するまでの16~17時間。最上純子のこと以外、頭で考えられない状態になってしまっていた。正確に言えば、1日中純子が龍司を支配しそれ以外の全てを無力化してくるような感覚。考えないようにしても、勝手に純子がノックなしに脳内に侵入してきて、まるで何かを引っ切り無しに訴えかけてきているような、身勝手ささえ感じる。明らかな、異常現象。何とか経験値を頼りに仕事をこなしてはいたが、寝不足も続いてそろそろ限界が近付いていた。

 

 ひとつは、実際に現実だった記憶の回想。

 時には、25歳でバッタリ再会したとしたら、という非現実。

 仮に、30歳で連絡を取ることになっていたら。

 例えば、離婚したあと東京のどこかで会ったとしたら。

 現実、想像、妄想、様々な姿に形を変え、毎日純子は出現した。横浜あたりで再会するような場面や、大通公園のベンチに座って一緒に話している、40歳くらいの純子もいた。雨の日の御幸通で、相合傘の純子も。

 全てが実際に体験した記憶かのようなリアリティー。四次元まで意識が移動し触覚が残存するような現実感を伴う。ハッとして、戻る。気が付いたら、また四次元空間にいる。

 龍司は、自分自身の精神疾患を疑うまでになっていた。むしろ、たぶんそうだな、と確信する側に身を置くくらいに。離婚がその原因だとしたら、時間が経てば自然とこの現象は風化していくだろう。そんな龍司自身を、客観的に注視しているもう1人の龍司も存在していた。結論付けるのは、まだ早計だ。しかし、その観察期間を取っている間にも、心身は蝕まれていく。精神衰弱してベットに横たわっている龍司を、カウンセラーの龍司がケアしている、そんな奇妙な日々が続いていた。

 

 10月20日を過ぎ、変わらず「例の現象」は続いていた。それどころか、ますます熱量を上げ龍司を支配し続けていた。龍司は、疲れ切っていた。食事も喉を通らず、寝不足の日々が終わらない。

 限界だった。手を打たなければ、取り返しのつかないことになりそうだ。しかし「手を打つ」とは言っても、全く解決方法は見つからない。一度、心療内科に電話をしてみたが、予約がいっぱいで3週間待ちと言われ、やめた。

 龍司は、出口が全く見つからない、深い闇の洞窟に迷い込んでいた。そもそも、何故自分はこんな状態になっているのだろうか。本当の原因は、何なんだろうか。龍司は「逃げる」や「消す」方向性から「深堀して解決」にシフトしてみようと考えた。

 近所のコーヒーショップでホットのベンティサイズのカフェラテを購入し、自宅の仕事用デスクでゆっくり飲みながら、冷静に考察することにした。純子にまつわる、ありとあらゆる要素について再検証してみた。そして、龍司はひとつの疑念に到達した。純子は結局、自分のことをどう思っていたのだろうか。仲は、よかった。ただの同級生ではなく、間違いなく、それ以上の距離感。では純子は自分のことを、好きだったのか。

 廊下ですれ違った時に、手を振りながら見せた笑顔。

 体育祭での、まわりを驚かせた応援。

 わざわざ見せに来た、卒業式のショートカット。

 ただの同級生に対して、それらの行為は普通なのだろうか。本当のところは、純子はどうだったのか。それを確かめないままだったことが、原因なのではないだろうか。

 一瞬、解決の微かな光が見えたが、それはすぐ暗闇に飲まれる。確かめたくても、純子はいない。連絡先も、わからない。どこで何をして、どのように暮らしているのかも。しかしもう龍司の中では、それを確かめること以外でこの状況を解決することは不可能だという結論が固まりつつあった。


 今更、純子とどうにかなりたいということは、ない。年月が経ちすぎているし、もう互いに46歳だ。きっと純子は結婚し、子供を産み、幸せな家庭を築いていることだろう。その幸福に水を差すことはしたくない。ただ、確かめる。それだけでいい。そうしたらスッキリ出来るような、そんな気がしていた。

 龍司は迷い、考えた。純子を探し出せるのだろうか。そもそも、迷惑に違いない。きっと、純子は全てを忘れているだろう。だが「純子は覚えていなかった」という事実を知ることでもある程度の納得が出来る、そんな思いも龍司には生まれていた。


 とにかく、純子本人に確かめたい。迷惑かもしれないが、純子はそんな自分を絶対無下には扱わず、話はちゃんと聞いてくれる。それだけは確信があった。

 最大の問題は、どうやって探し出すか。同級生から探っていくしかないのだろうが、年月が経ちすぎていて、連絡を取れる者も限られていた。その範囲の中で、果たして純子の所在を知っている誰かに辿り着けるだろうか。龍司はまだ、躊躇の範疇から抜け出せずにいた。



 東京の空にも、凛とした秋の空気が満ちてきた。


 まもなく初雪になるであろう北海道に、龍司は想いを馳せていた。

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