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相合傘

 路地裏に、5分早く到着。カウンターに座り、純子を待った。程なくして、急ぎ足で純子が店内へと入って来る。初めて見た、私服の純子。やはり、純子は可憐だった。龍司に近付いてくる純子の彩度だけが、周囲より際立って高く見えた。

「ごめん、待った?」

 英語の授業とは逆側に、純子は座った。夏の白いブラウスから細い純白の腕が伸びている。卒業式の日より少し伸びていた髪は微かに染められていて、相変わらず綺麗なストレートだった。初めて見る化粧をしている純子。やたらと大人っぽく色っぽい純子に、ドキドキした。対照的に龍司は相変わらずグラウンドで砂まみれになっている日々であった。純子が一歩先に進んでしまい、住む世界が少し自分とは変わってしまったような気がして、一抹の寂しさを憶えた。

 それぞれの学生生活や思い出話などで、純子との会話はいつも通り盛り上がった。しかし、完全に高校時代と同じような雰囲気ではなかった。手放しで喜んだり笑ったりしていた純子に、1枚薄いフィルターがかかっているような違和感。後になって龍司は知ることになるのだが、純子は寮生活に馴染めず、心身を擦り減らしてメンタルがギリギリの状態であった。その弱っている自分を龍司に見せたくない、その一心で気を張っていたのかもしれない。それを知る由もない龍司は、違う世界の国に行ってしまったような純子と、でもやはり好きだからどうしても伝えたい、という想いの狭間で、シーソーゲームのように着地点を見いだせないまま揺れに身を任せているだけだった。だが、告白したい、という願望の勢力も同時に拡大していく。

 あっという間に2時間半が経過し、そろそろ帰らなきゃね、と支払いして店を出た。龍司はその時、すでに決断していた。今回ばかりは外さない。絶対に、言おう。そう決めていた。

 歩き出してすぐ、雨がポツポツと落ちてくる。純子しか傘を持っていなかったため、龍司が右手で傘を持つ形で相合傘となり、突然の展開に龍司は緊張した。

 路地裏での会話の中に、あの卒業式の話題は出なかった。龍司はそのことに触れたくて仕方なかったが、かなり核心的な話になるのは目に見えていて、店内だと難しいと考え、自重した。それは純子も同様だったような気がして、切り出すことが出来なかった。

 龍司は切り出すタイミングを計り、無言になってしまった。純子も明らかに龍司の雰囲気を察知し、何も言わず、御幸通を進んだ。


 先程までの盛り上がりが嘘のように静まり返った龍司と純子。

 まるで2人の無言に耐えられないように、雨音がどんどん勢いを増していく。


 このままでは、何も言えず純子の家に到着し、解散となってしまう。

 雨脚が、龍司の白いスニーカーを容赦なく濡らしていた。

 

 龍司は、意を決した。

「最上、あのさ……」

 そう切り出そうとしたその瞬間、傘を持っていた右腕が純子の左腕に直に触れた。初めて純子の柔肌を体感し、ハッと息を飲んだ龍司。純子も一瞬反応していたが、その事について触れてしまったら何かが壊れてしまいそうな、かなり繊細なバランスの渦中に2人はいた。

 その「事故」のような出来事により、龍司はひどく動揺していた。初めて純子に触れてしまった衝撃で、告白するために高めていた緊張感が切れてしまい、同時に異常に冷静な自分に一瞬で脳内を支配されてしまっていた。住む世界が別次元になってしまったこと、神戸までの距離、そして、そもそも片想いに違いない、という自己肯定のような、自己否定。「告白しないほうがいい理由」という、意志とは裏腹の安全地帯に龍司の心身は引き戻されてしまった。龍司は、とても繊細な男であった。


 純子の家の前に、到着してしまった。互いの連絡先を交換したことは大きな進展ではあったが、またも龍司は言えなかった。こんなにも、惹かれて止まない純子。神戸は遠いから言えないのか、好きすぎて言えないのか。龍司自身がよくわからなくなってしまった。

「最上、じゃあまた連絡するね」

「あ、長谷川くん、傘持って行って」

「ううん、大丈夫。じゃ、またね」

 龍司は純子に背を向け、雨の中を走りだした。


 直前、傘を断られたことで悲しそうにしている純子の顔が一瞬見えたが、龍司はその最後の映像を断ち切った。根性が無さすぎる上に、繊細で複雑な自分の心境に苛立ちと情けない気持ちで一杯だった。


 龍司は、走りながら泣いていた。

 夏の夕立は、静かな雨に変わっていた。

 龍司の涙を優しく洗い流してくれるように、しんしんと降り続いていた。



 この日が、龍司と純子が直接対面した最後の時間となった。

 運命は、2人を引き離してしまった。


 遠い未来に待ち受けている宿命の微かな足音は、まだ若い2人には聞こえるはずもなく、早すぎる北海道の秋の気配にかき消されていった。

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