7-8 悪夢からの解放
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サメと殺人鬼が争う横で放置されていたメアは「ふんぬふんぬ」と拘束からの脱出を試みていたが上手くはいかなかった。今度マミーに全身の関節の外しかたを学ばねばと決意を新たにしている中、彼女のデジタル腕時計から声がする。
「ヤットアイツラ向コウイッタカ、待タセチマッタナ」
「ミニアーク!よく来たのだ!」
ぬるり、と腕時計の中から姿を現したのはミニアークだった。実態化した彼女?はデフォルメ化された鋭い牙でガジガジとメアを拘束しているロープを次々と噛み切っていく。「でかしたのだ!アークより有能なのだ!」
「コッチダ走レ!!」
やがて全ての拘束を解除すると部屋の出口まで先導する。メアもまたそれに続き部屋を後にすると。
「ミニアーク、後はアークを助けてやるのだ!それとあのことは聴いていたのだ?」
「バッチリダゼ。アトハマカセナ」
そういうとミニアークはメアの元から姿を消失させる。残されたメアは部屋を覗き叫ぶ。
「アークぅ!メアはもう大丈夫なのだ!!だから思いっきりやるのだ!」
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互いにしのぎを削る狩りの中聞こえて来た幼子の叫びはアークの張りつめた集中を途絶えさせた。空いた脇腹にナイフの刺突が迫る。だが。
だが、叫びはそれ以上にアークに活力をもたらしていた。刺突と身体の間にチェーンソードを滑り込ませ刃で受けとめる。
「ようやくだ……覚悟しろよトア!」
「ちょっ……とまずいかな~」
叫びと共にアークはカートリッジライフとの接続を終え力を呼び起こす。力の種類は風。
「アークネード!」
アークとトアの回りを囲うように室内に風の大壁が居立した。
直径三メートル程の台風の目の中で、鮫と殺人鬼は向き合う。
「こっから先にゃいかせやしねえし……逃がしもしねぇ」
「逃げたりできないのはアークちゃんの方じゃない?この距離ならさ……」
言葉の途中で揺れるようにトアがアークの至近に迫り。
「私が殺るよ」
刃が振るわれ鮫血が散る。だが浅い。アークは拳で上からトアを殴りつけようとしたが足元に潜り込まれる。這うような体勢のトアに向ってチェーンソードを何度も突き刺そうとするもブレイクダンスのように地を転がるトアを捉えることはできず足元に切り傷が増えていく。
痺れを切らし地団駄のように踏みつけも加えていくと今度は蛇のような動きで絡むように身体を登り。同時に切りつけてきた。
トアはアークの身体の一部に停まりその動きに合わせて彼女の身体の上を移動しその都度刺し、斬りつける。いずれも深くはないが徐々にアークの身体が血に染まっていく。たまらずアークは強引に暴れ振りほどく。
この閉所の空間、作り出したのはアークであったがそこでの戦闘に長けていたのは紛れもなくトアの方であった。それでもアークは笑い。
「いやースゲェスゲェ。虫みてぇに小回りききやがるんだな。捉えらんねぇわ」
「アークちゃんがノロいだけじゃない?このままだと自分の作った水槽の中で死ぬことになると思うけど。いいの?」
「そーわさせねーっよ!オメエだって息が上がってきてる。これで決めてやるよ」
吠えるアークは突如として風の壁に向って右腕を突き込んだ。
「二重発動はきついけど持ってくれよ。シンアーク」
次に巻き起こった現象はトアの想定を超えたものであった。
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トアの眼前でアークの全身が炎に包まれ、そしてその体から風の壁全体に移り。ここは炎の結界へと変化した。
(嘘でしょ。あり得ない)
と。トアは目の前の現象を否定する何故なら。ここで戦闘が始まる前、アークたちが数フロア上にいた時に聴いたのだ。
「うむ!あれはシンアークといってリクの姉御との戦いで目覚めたアークの新しい能力なのだ。ジェット機みたいにスゲー勢いでドーンって体当たりする力であんまり細かいせいぎょはできないみたいなのだ。カベにげきとつしたりしてる様はとてもゆかいなのだ!」
「なるほどねぇ。ここみたいな狭い場所だとあんまり使ってこなさそうだけど。ねえそれって……」
そう、念には念を押して確認した、そのはずだ。
「アークショックみたいに全身に纏わせたり長時間維持したりできるのかな?」
それに対して小学生は、
「無理なのだ~。アークは雑なのだ。シンアークじゃぼんぼんといっしゅんとんでいくぐらいしかできないのだ」
「なるほどね。じゃあ次は……」
確かに相手は不可能だとそう言った。だが目の前の現実はそうなっていない。土壇場で成長した?いや……
高速で思考を巡らせてトアは一つの答えを導き出す。
(あの小学生……殺人鬼(私)相手に堂々と嘘をついたんだ……)
想定外のことだった。ただの小学生が、下手なことを答えれば命の保証はないという状況下で殺人鬼相手に嘘をつききるということは。
アークと行動を共にし、悪友という関係を結んだものをただの小学生と侮ったことがそもそもの間違いであった。
殺人鬼の綿密な計画によって作り上げられた有利な状況は完全に崩壊した。
トアの背筋に滅多にない嫌な種類の汗が伝う。それを知ってか知らずかアークは笑う。
「この結界内じゃあスゲー勢いで酸素は消費されていく。さてここで問題だ。さっきまでぴょんぴょんアクロバティックな動きを繰り出しまくってた人間と、ちっと毒をもられただけのSH。このままいくとどっちが先に力尽きるだろうな?」
トアは答えることはしない。ソレを覆しにいくからだ。ナイフを構え先程以上の速度と練度を持って刻みにいく。
鋸刃が迎撃として差し出され、流して敵の柔肌を裂く。振るわれる剛腕を取り、回し。生まれた隙に刺しにいった。
火焔が舞い散り、銀閃が煌めく。互いを狩り取らんとする獰猛な輪舞は絶頂を越え。やがて終わりの時を迎える。
「終わりだな」
「…………」
答えはない。
殺人鬼の身体には最早活動のための十分な酸素が行きわたっておらず思考もモヤがかかっており、足元がふらついてる。そしてこの狩りはそんな致命的な隙が許されるものではなかった。
「これまでの……お返し……だぁっ!」
炎の壁が解除されアークの握りこぶしがトアの腹部を力強く捉え撃ち抜く。トアの華奢な身体は車にはねられたように強く吹き飛び、壁に激突して停止した。壁面を軽く剥離させるとずるりと地面に落下し、その口元から赤い血が吐き出され幾度も咳き込むが立ち上がる気配はない。
その様子を遠目に見てアークは感慨深いようにほっと肩を撫でおろし。
「ようやくだ」
アークは一つの悪夢から解放された。