9-1 同船者
<疲れたような憤慨したような女性の声>
……ああ、今頃やって来たのかい?もう今回の面白いところはあらかた終わってしまったところだよ。事件について……ふむ、今回の事件はそうだな……実に、実に馬鹿馬鹿しいものだったよ。これが物理の書籍であれば壁に思い切り叩きつけたくなるほどの。拍子抜けしてしまうものだった。何?お前の感想はどうでもいいからさっさと詳細を聴かせろ?仕方ないねえ。あれはアークとメアが朝の道を歩いている時のことだったかな……。
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午前八時。方舟市の街を珍しく朝の早い時間帯からサメの尾を持つ遅刻癖の少女、アークと小学生メアが並んで歩いている。
「アークのせいでせっかくの朝づりが台無しなのだー」
「あーんうっせえなぁ~。大体アタシが六時に起きるわけねえだろ。魚もネッシーも逃げやしねえよ」
「はりせんぼんつり上げてごちそうしてやるのだ~」
二人が釣り竿とバケツを振り回しながら会話している時だ、不審な声が後ろから彼女たちの耳に入った。
「やあ。二人ともイベント以来のお久しぶりだね。君たちにちょ~っと用事を頼みたいんだが今どうかな?」
自分達のことではないだろう。二人は気にせず進むことにした。
「待ちたまえ。君たちのことだよアーク君、メア君。おおーいおおーい?」
自分たちのことだった。二人は速足でその場を過ぎ去ることにした。折角早起きして日曜の朝っぱらから出かけているのに一度声を聴いた気がする程度の不審者に面倒ごとを押し付けられたくなかったからだ。
だが、しつこく後を追う不審人物は彼女らに、というかアークに対する鬼札を隠しもっていた。
「頼みを聞いてくれたら礼金た~っぷり弾むんだけどねえ?しょうがないねえやはりリト君に謝って頼むしかないかなあ。トホホ」
「やりまぁす!!」
「おばかアークなのだ!!」
欲に釣られて振り返ったおばかとおばかに釣られたおばかはついに不審な声の発生源を認める。
彼女らの後ろにいたのは、大層骨を折ったといわんばかりに扇子でパタパタと汗に濡れた顔を扇いでいる女だった。派手な色眼鏡を付けたスーツ姿のピンク髪の彼女に対して二人は。
「「だれ」」「なのだ」
その冷淡な反応に怪しい女は先程とは性質の異なる種類の汗を流し扇ぐ勢いを強め動揺を抑えるように切り出した。
「なるほどそう来るか……。これでも市内では顔の売れた人気者のつもりだったのだが。私はね、君たちの街の、市長、だよ」
市長を名乗る不審者の言にアークとメアはしばし考えこみ。やがて閃いたとばかりに手を叩く。
「あ~!アーサー王イベの時に岩に封印された……アポイ市長!」
「銭ゲバ市長なのだ~!」
「ハッハハハハ!半分正解!私の名はアトイだ。有権者となった暁には是非私に一票よろしく頼むよ市民の諸君。私が市長でいる限り、飽きとは無縁の生活を約束するとも」
アークたちに声をかけたのは彼女らの住むここ、方舟市の市長を務めるアトイであった。
以前アークたちも参加した街全体を巻き込んだ一大イベント、第一回ネクストアーサー王だ~だれだ大会を開催したのも彼女である。
「なんで市長がメアたちに仕事をたのむのだ?メアはともかくアークはすっごくだらしないのだ」
「おい!逆だろ小学生様よぉー!!」
目の前でぎゃいのぎゃいのと子猫のように喧嘩を始めた二人にアトイは微笑すると扇子を閉じ、その頭で額を抑えた。
「それはもっともな疑問だねえ。実は今いつも護衛を頼んでる娘を怒らせてしまったみたいなんだ。今日は大事な用で出向かないといけないんだけど私には敵が多くてね。仕方なく、代わりのボディガードを探しているところに君たちの姿を見かけたというわけだよ。あの真の強者しか勝ち残れないイベントの最終ステージまで到達した君たちなら申し分ないってわけだね」
「なるほどなのだ~」
「ボディガードねえ……。そんで礼金はどんぐらい貰えんの?」
「現金だねえ。そういう子は好きだよ」
「扱いやすくて」という言葉を聴こえぬほどに小さく呟いた後アークの耳元に蠱惑的な数字を囁いた。
その効果はてきめんで、アークはしばし震えメアを心配させると叫んだ。
「やるー!絶対やるやるやる~!ほらメア!釣り竿なんか捨ててこのお方と一緒にいくぞ!」
「むー!よくぶかアークなのだ!……でもボディーガードなんて面白そうなのだ!」
意気の良い承諾にアトイは気を良くしたように頷き、再び扇子を開いた。
「うんうんやる気充分のようで何よりだ。それじゃあ早速行こうか。ちょっと市外まで出向くことになるけど……親御さんには連絡しないでね?市長との約束だよ」
手を振り上げ意気揚々と出発した一団。しかし、この仕事を引き受けたことで警察も出動する事件へと巻き込まれるとは、アークもメアもこの時は想像だにしていなかったのである。
♦
穏やかな海の静寂を乱す一艘の船があった。
方舟市市長アトイが操舵する高級大型クルーザーは現在目的地である離島に向ってエンジンを走らせている。
クルーザーの広い居住空間の中ではソファの上でアークとメアが冷蔵庫備え付けの鰻薔薇コーラを試飲していた。
「ぷはぁ~~~!まっず!鰻味のコーラってこんな不味いのか。よくこんなん名産品として売ってるな」
「うべ~メアもういらないのだ。アークにあと全部あげるのだ~」
「てめぇ!アタシはもうやだぞ。自分で飲め!」
「飲むのだ~」「ヤメロー」と悪友たちが攻防を繰り広げていると一際強い揺れが船体を襲いそれによって。
「あ、なのだ」
「ヤベ」
メアの手元から瓶がこぼれ落ち、ソファの上に鰻風味のコーラがまき散らされた。
「「…………」」
沈黙する居住空間内に操舵席からアトイの声が飛んでくる。
「少し揺らしてしまったね。そっちは何ともないかい?」
「「なんでもないです」」「のだ!」
勢いよく否定したはいいものの、やはり気まずさが勝るのか、誤魔化すようにメアは操舵中のアトイに声をかけた。
「これから行くところってどんなところなのだ?」
「そうだね。そろそろ説明しておこうかな。我々が向かっているのはウシワカ三兄妹と呼ばれる人たちが住む離島だよ。兄妹それぞれが異なる分野で成功を収める企業家たちなんだ。彼等とは私も個人的に付き合いがあってね。今日はちょっとした商談があるんだ」
「市長が商談とかしていいのかよ……つーか市長のあんたがわざわざ市外まで出向く必要あんのか?最悪来させるかリモートでいいんじゃねえの?」
「今日は商談もそうだけどちょっとしたイベントもあってねえ……っと、そろそろ着くね。話しは後にして降りる準備を進めておいてくれ」
アトイの言葉通りアークたちの視界にも窓越しではあるが小さな島とその上に立つ洋館の姿を認めることができた。
そしてアークとメアはコーラをこぼしたソファの染みに目を落としていた。
「どうするよコレ……。島に上がるときに絶対バレるぞこれ」
「うむむむむむ。あ、そうなのだ!こんな時こそミニアークなのだ!出て来るのだ~」
「ナンノ用ダヨ」
メアの腕時計から心太のようにニュルリと滑らかに這い出て来たのはミニアークだった。メアは彼女を掴むとそっと染みの上に配置する。
「市長が船をおりるまで動いちゃダメなのだ」
「そういうわけでよろしく~」
「ドウイウワケダオイ!オイ!」
抗議の声を退場BGM代わりに広間を出ていくアークとメアの背を見送りミニアークは諦めたように顔をソファにうずめた。するとすぐにガバッと勢いよく顔を上げ叫んだ。
「クッセ~~~~!?!」
アークたちが降り、ミニアークも役割を終え船内から消えた頃。クルーザーに積まれていた荷物の一角でソレは闇のように蠢いた。乗り合わせていたその存在に、誰一人として気付くことはなかった。