1-1サメの少女アーク
<良く通る女性の声>
「あー……あー……あめんぼあかいなあいうえお。っと、いい時間だ。そろそろ始めようか」
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<良く通る女性の声>
換歴七十四年四月二日午前十一時三十三分。場所は日本、方舟市。
他の都市と同様。住民たちに程よい安寧と一滴の刺激を提供するこの街では今日もどこかで事件が起きている。
幹線道路に眼を向ければホラ。一台の路線バスが周囲の改造車を蹴散らし疾走中。
巨大な鉄塊を避けようと無理に動くからあちらこちらで事故発生の大惨事。
カーアクション映画さながらの状況を作り出したバスの内情はさてはて。
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「そうだ、そのまま黙って運転を続けろ。自分と、乗客の命が惜しければな」
運転席の男性の頭部に銃口を突きつけ嗜虐的に嗤う男は、その視線を背後の乗客たちとの自身の部下たちに移した。
「このバスは我ら簒奪の詩が乗っ取った。次の停留所は予定を変更して空中都市浮遊埼玉ぁー空中浮遊都市埼玉に参ります」
巫山戯た、しかしながら身の危険を感じさせるアナウンスに対する乗客たちの反応は様々だ。
「自警団や警察はまだこないの!?」
助けを求めるもの。
「スゲーのだ!バスジャックなんて初めてなのだ!おじちゃんそのナイフ本物なのだ?ちょっとさわらせて欲しいのだ!」
「お嬢ちゃん、俺達真面目にバスジャックしてるからちょっと大人しくしててくれないかな……」
刺激的な展開に眼を輝かせ。占拠者を逆にたじろがせるもの。
「くそ。またありえん。絡みか。巻き込まれるのも今年で三度目だぞ……取引に遅れてしまう」
事態に慣れ。仕事の心配をするもの。
そして。
「んがー……ごごご。スカー……。……ずずず」
最奥の数人がけの座席に一人で寝そべり堂々といびきをかき眠るもの。
「ボスー!この女こんな状況だってのに眠りこけてやがりますぜ。どうしやす?」
「ふん。どうもここの乗客たちは緊張感が足りていないようだ。ちょうどいい。見せしめにしてやれ」
「そういうことなら……。おいてめぇー!バスジャック中に呑気に寝てんじゃねーぞ!っつかいびきうるせーんだよ更年期のおっさんかぁ!?……ぁん?」
ボスの指示を受け騒音の元の至近でがなり立てる女は少女に対して違和感を覚えた。
少女はホットパンツに胸の下で布が千切れたようなシャツを着た。非常に露出度が高い衣装だった。
その身体はよく鍛えられており健康的な印象がある。しかし、その各所に散らばる壮絶な傷跡が一抹の不穏さを醸し出している。
だが、女が違和感を覚えたのは年頃の少女に似つかわしくない傷跡などではなかった。それよりももっと異質なものだ。
「これ……尻尾か?ゆらゆら動いて……この女から生えてんのか?珍しい」
目出し帽子の女が見ているのは、巨大で上下非対称のブーメランのごとし形状の尾。傷だらけの……サメの尾。それがいびきをかいて眠る少女の臀部から生え。彼女の呼吸と共にゆらゆらと揺らめいていた。
ソレが本物であるかどうか怪訝な顔の彼女が手を伸ばした時だ。バスの一際大きな上下振動により尾を持つ少女の鼻提灯がパンと音を立てて割れたのだ。
「んが!?あー……?誰だぁ。てめぇ……?」
少女は琥珀色の眠り眼を擦り、怪訝な顔で目の前の女を睨み付ける。女は一旦たじろぐものの持ち直し。手に持ったナイフを眼前に突き付け吠えた。
「は、起きたなら話が早えー!テメーは今人質なんだよ。それを嫌というほど、今からわからせてや…「人の顔に唾飛ばしてんじゃねーーー!!」
いい終わる前に少女の拳が女の顔面を捉え。彼女の体は少女の背格好に見合わぬ膂力によってバスケットボールのように吹き飛ばされ、フロントガラスを突き破り車外へと放出された。
少女が眠っていた時とは打って変って車内は静寂に包まれ。誰も彼もが彼女に目をやる。だが、少女はそんな視線など存在しないかのように自由に振舞う。
「ったく。人が気持ちよく寝てたっつーのに何だってんだよ。つか何?もしかしてさっきのとか、そことそこの刃物持ってる奴ありえん。か?じゃ今バスジャック中?好きだなオイお前等そういうの」
白藍髪の少女が欠伸をしながらぽりぽりとむき出しになっている腹部を爪で掻く様に乗客たちも口数を取り戻す。
「アークだ」
「借金まみれのアーク」
「うるさいイビキはこいつだったのか」
「尻尾はコスプレなの?どうでもいいけど」
バスジャックのリーダー格の男は見るからに不快そうに顔を歪めアークと呼ばれた少女を睨み付ける。
「我らをありえん。などと一緒に括るな。我らには簒奪の詩という名がある」
「お前等みんな、ありえん。呼び嫌がるよなー。でも残念。もう定着しちまってるし世間様はいちいち違いなんて気にしてくねーよ?それこそ欠けた円環の継手ぐらいデカくねえとなあ。あきらめろ。で、どうする?財布置いて逃げだしゃ見逃してやるけど」
ありえん。とはこの換歴の世に遍く蔓延る反社会組織たちの総称である。彼らは特定の物事に強く執着し、徒党を組み。法や公共の利益を無視して行動を起こす。そうして被害をまき散らした人間が増えることによって彼らを定義する名が生まれた。ありえん。と。
組織規模によってマジありえん。や、ホンマありえん。などとも称されるあんまりな公称は非行に走る若者達への足止めになっていると言われたり言われなかったりする。
ともあれアークの返答を侮辱として受け取ったのか。男は一層顔を険しくもう一人残った部下に指示を飛ばす。
「おい!さっきからお前に付きまとってるガキを人質にしろ」
「え!?あ、はい!」
「のだー!?」
部下は戸惑いつつも子供にナイフ突きつけようとする。だがそれよりも早く。
「はなっから人質だろ!」
海面で跳躍するサメが如き勢いで座席を蹴り跳んだアークの蹴りが部下を打撃する。部下は衝突の勢いそのままにガラスの破砕音を鳴らし先ほどの女と同じ運命を辿る。
「き、さま」
一人になった簒奪の詩は手にもつ拳銃の照準を運転手からアークに切り替え発砲する。
凶弾が迫る中、アークはさして慌てた様子もなく、腕輪に触れた後、虚空を掴むとそこから長大な何かを引きずりだす。
虚空より現れたソレは軌道上にあった車内の手すりと弾丸を切り落とし。その姿を見せた。
「銃なんて今どき流行らねーって。時代は近接武器。こういうな」
それは長剣。というにはその刃に取り付けられた無数の鎖刃が凶悪であり、チェーンソーと呼ぶにはあまりにも細く、長大であった。その剣の名をこう呼ぶ。
「チェーンソードってな」
「くっ、馬鹿な……!?」
バースジャックは幾度も弾丸を放つが、その度にアークは弾丸を斬り、叩き落し無力化した。ついでに手すりや座席も切り刻む。たまに刃や跳弾が乗客を襲いかけたがおかまいはしない。
やがてバースジャックが弾を撃ち尽くすとアークは刃を回転させ床を刻みながらバースジャックに迫る。
「く、来るな!来るなー!」
一閃。バースジャックの持つ拳銃が紙を裂くように断たれガラクタと化する。極度の緊張から解放された彼は膝から床に崩れ落ちた。
アークはチェーンソードの回転を停止させ肩に担ぎ上げると。
「で、まだやるか?」
「ひ、ひぃ~~~!」
問いに正気を取り戻したバースジャックは慌てて立ち上がると、割れたフロントガラスからバスの外へと出ていった。その頃にはバスはとうに停車していた。
「わっはっはっは。どーよアタシの手並みは。感謝と共に謝礼金たんまり用意してくれていいんだぜー?つかよこせー?」
高笑いと共に得意気な笑みでアークは背後の乗客たちに振り返る。彼女に待っていたのは称賛の声と賞金……ではなく。
「いたならもっと早く助けろー!」
「跳弾が頬を掠めて死ぬかと思ったわ!」
「儂の貴重な毛髪が刈り取られてしまったんじゃが!?」
ブーイングだった。
「結果無事だったからいーだろ!減るもんじゃねえし」
「毛髪は減ったわ!」
「てか去年貸した一万円まだ返してもらってないんだけどー?」
「そうだそうだー!俺も幾らか貸してたはずだー」
「あ、そういえば私も」
「おいおいおい。な、なんだよ急に~そ、そんなこともあったかぁ?今はそんなことより礼……」
「お客様」
「はい」
狼狽えるアークの元に隣の運転席から声がかけられる。振り向くと運転手である彼の顔にはいくつかガラス片が刺さっている。恐らくアークがバースジャックたちを吹き飛ばしてガラスを割った時だろう。サングラスで表情がわからないのが不気味である。
「運賃は払えますか?それとバスの修繕費」
アークはいけないことをした子供のように縮こまりつつ、アセアセとホットパンツのポッケを弄り、有り金を探り出す。そして出て来た額は。
十円玉三枚と五円玉と一円玉二つ。計三十七円。
「ねえよ。そんなもん」
誤魔化すように精一杯の笑顔でいった。
♦
路肩に停められていた路線バスの扉が開き。中からサメの尾を持つ少女が蹴り出される。
「キャン!」
そしてしばしの間のあとバスの扉は閉まり。通常の運行に戻って行った。排出されたアークを残して。
歩道に前のめりで倒れ込んでいたアークは、身を起こすと遠ざかっていくバスに対して手を振り上げた。
「いてーなおい!アタシが何したってんだ!ちょっと、かなり壊しただけだろ!ふざんけんなよー!!コラー!」
抗議するがエンジン音は無情に去っていく。
「マジかよ……。アイツら助けてやったのに蹴りだすか普通……?」
うなだれるアークの背後から幼い声がかけられる。
「ねーちゃんはアークっていうのだ?」
「あん?誰だオメー?」
アークの背後にいた者が猛々しく名乗りを上げる。
「メアはメアなのだ!小学五年生!メアは名乗った。さあ、名乗るのだアーク」
ビシっとアークを指さしたのは彼女の胸のあたりほどの背丈の小さな娘だった。
琥珀色のセミロングにカチューシャを乗せた蒼眼。短い袖の上着にミニスカートを揃え左手には何やら高そうな電子腕時計を身に着けている。
「いや名乗るも何もオメーがいってるし。アークだよ。誰なんだよ……。いや、思い出した。さっきナイフ突きつけられてたガキか。それがわざわざ降りてきて何の用だよ。その高そうな腕時計くれんのか?」
「ガキじゃなくてメアなのだー。小学生にたかるなんてアークははじを知ったほうがいいのだ」
「このメア野郎……!!」
アークは引き攣り顔で拳を硬く握り込むがメアと名乗った少女は意に介さず興奮した面持ちで話し出す。
「それよりもさっきはスゴかったのだ!ぎゅーんとしてバーンとなっておっさんがふっ飛んでいったのだ!アークはチョウ人なのだ!?そのシッポは何なのだ!?本物なのだ?サワらせて欲しいのだ!」
のだのだと己の周囲を回りながら矢継ぎ早に質問を飛ばしてくるメアに対し、アークはウンザリとしながら思案を巡らせる。
(……こんだけアタシに興味を持ってるってこたぁこの辺の奴じゃねえってことか。それともアイツら絡みか)
「なあ。オメーいつからココ住んでんだ?」
「その歯でテッカイかみクダけるのだ?-?メアは先週この街に引っこしてきたのだ!アラシを呼ぶてんこーせーという奴なのだ。それよりもなんでそんなに肌を出しているのだ?ロシュツキョウなのだ?さっきのチェーンソーどこからだしたのだ?というかアレはそもそもなんな──」
一部の質問に血管を切れさせつつもアークはメアを言葉通りの異常小学生と判断付けた。アイツらの関係者であればあまりにも杜撰な接触の仕方だからだ。そして思い出す。最初は興味真摯で近づいてきた近所の子供たちが三日後には飽きて冷たい目をするようになったことを。久々に興味を持たれたことにアークはちょっと気分を良くしていた。しかしそれもここまでだ。
「ご飯は何を食べるのだ?おやつは与えてもいいのだ?うんちはでるのか?今日はカイベンだったのか?スリーサイズはどうなってるのだ?おふろ入ってるのだ?結局サメなのだ?てかkyaineやってる?」
「うぜーーーー!ヌーヌル先生にでも訊いていやがれ!あばよクソガキーー!」
マシンガンのように斉射される不躾な質問の数々に耐え兼ねアークはついに全速力でその場を離れる。その速度は残像が発生するほどであり直ぐにその姿は見えなくなった。
後に残されたメアは所在なさげに手を伸ばしたまましばらくいるとやがて腕時計に数言呟く。そしてニタリと笑みを浮かべた。そして道路に向って元気よく手を挙げる。
「ヘイタクシー!なのだ!」
主人公登場。ここから暴れていきます。