初陣
昆虫系モンスター・キラービー。
体長2メトル。二足歩行もできる大型昆虫が翅を広げて地面すれすれを滑空する。
尾から伸びる鋭い毒針と、おぞましい咀嚼吸収口器が、人間側の闘志を削ぐ。ふつう対峙する相手が大型というだけで萎縮させられるものだが、巨大化した昆虫のその外観や構造は、見る者に生理的嫌悪感を植えつける。節足動物の体の造りのありえなさ。想像の及ばない可動領域に人間は畏怖し、それも過ぎればただただおぞましくて気色悪い。奇形とは在るだけ視覚への暴力であった。そんなものが牙を剥いて襲いかかってくるのである、怖気づいたとしても無理はない。
だが、王宮兵たちは心を奮い立たせ、直ちに戦闘隊形を組みなおし、連携してキラービーに当たっていった。キラービー一体につき数人がかりで剣を突きこんでいく。返り討ちに遭いつつも、全体的に力は拮抗した。
「我らアンバルハル兵の底力、存分に見せつけようぞ!」
「おおっ!」
士気は高い。ついに魔王軍を押し返しはじめた。
そんな中、魔導兵①ことロア・イーレット二世は、腰を抜かしたままほうほうの態で路地に駆け込んだ。キラービーの見掛けに恐れをなして逃げたのだ。
商店の裏手に置かれたゴミ箱の陰に隠れて、膝を抱えた。
「こわい……こわい……! あ、あんなバケモノと戦うなんて、そ、そんなの聞いてないぞ……! ど、どうして僕がこんな目に遭わなきゃならないんだ……!」
じゃり、と砂を踏む音がきこえて「ひぃい!」と悲鳴を上げた。
「ロアっちーっ! どこいったーっ!? って、おわ、いた!」
逃げるロアを追ってきたのは魔導兵②のラクトだ。
「ロアっち、駄目だよこんなところに隠れてちゃ! 早くみんなのトコに戻ろう!」
前線で盾となってくれている王宮兵たちを援護するのが魔導兵の役割だった。
王宮兵よりも数が少ない魔導兵はひとりでも欠けると均衡が崩れる。元より作戦上、魔導兵の離脱は想定されていない。専門兵に死傷者が出るのは戦いの常だが、あくまで後方支援に重きを置かれる魔導兵が戦線を離脱するような事態になれば、そのときは軍の敗北を意味する――というのが現段階での軍事の認識であった。
逆に言えば、魔導兵がいるかぎり、前線で戦う王宮兵たちに勇気を与えることができるのだ。
「後衛が逃げたらあの人たちも怖気づくだろ? リリナさんにも言われたことじゃんか」
「う、うるさい! そんなに言うなら君だけで行ってくればいいだろ! ぼ、僕はこんなこと望んじゃいなかった! こんなところなんか来たくなかった!」
「そりゃ、オイラだって同じだけどさ……」
ロアは膝を抱えて震えつづけた。すっかり心が折れている。
初陣であんなバケモノと対峙したのだ、怖気づいたとしても仕方がない。しかし、同じ境遇でもラクトの意力は下がらなかった。
(命を売ったあのときに覚悟を決めたんだ)
ロアが戦えないというなら、その分ラクトが戦うまでだ。
ふたりの頭上に影が差す。振り返れば、路地まで追ってきた一体のキラービーが羽音を響かせて浮かんでいた。
感情のない瞳がラクトを見下ろしている。
感情などないくせに、その口許が微かに笑ったように見えた。
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キラービー LV. 9
HP 99/99
MP 5/5
ATK 35
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見た目こそ強そうだが、決して勝てない相手じゃない。
ラクトは静かに構え、厳かに詠唱をはじめた。
==聞け! 火の精霊よ! 我を監視する者よ!==
==孤独を排し、我の胸を暖めよ!==
==永久の眠りから目覚め、不正を殺せ!==
==ローセル、アングル、シュール、ラングラン、コギュ、ラ、マルタ==
==紡げ――《ファイアーランス》!==
ドシュッ! と、炎の槍がキラービーの胴体を貫いた。
悲鳴にならない悲鳴を喚き散らして、キラービーが上空をでたらめに飛行する。
翅を狙えばよかったか、と一瞬後悔したが、ラクトはその隙にロアを立たせてその場から撤退しようとした。
だが、一足早くキラービーが立てなおした。
地面に降り立ち、二足歩行に切り替えてそのまま突撃してくる。手にした針状の槍を高々と掲げ、逆手にもったそれをまっすぐラクトに振り下ろす――!
「くっ! ――――……?」
痛みはなかなかやってこない。
恐る恐る目を開けると、そこにはキラービーの針と鍔迫り合いをしているリリナ隊長の姿があった。光り輝く魔法剣でキラービーの針を押し返す。
高位人撃魔法【シャイニングセイバー】だ。
「たあっ!」
剣から放たれた光線がキラービーの腹部を斬りつける。堪らずに逃げ出すキラービー。リリナは魔法剣を構えたまま、追撃することなく立ち尽くした。
「リリナさん! ありがとうございます!」
「ラクト君、大丈夫だった? ロア君も」
「……っ」
ロアは路地に隠れていたことが隊長に見つかり、きまり悪そうに表情を歪めた。ラクトがその背中を励ますようにポンと叩く。隊長が来たからもう安心だ、と告げるように。
しかし、次の瞬間、リリナはへなへなとその場で腰を抜かした。
「リ、リリナさん?」
「あ、あはは。こ、こわかったよ~」
振り返ったリリナは顔面蒼白。全身が震え、魔法剣を解除した両手は特に小刻みに揺れている。自分の肩を抱いてなんとか気持ちを落ち着けようとした。
「わ、私もね、こうして戦うの初めてだったから」
そんなことを言いながらも、無理して笑った。
巨大な敵モンスターとぶつかり合ったのだ、歴戦の勇者であっても恐怖しよう。ましてリリナは隊長といえど16歳の女の子。ラクトとロアとは一つしか歳が違わないのだ。
ラクトとロアは思わず顔を見合わせて、居たたまらない気持ちになった。
「何してるんだろうね、オイラたち」
「……し、知るものか。僕は、僕は、望んでここに来たわけじゃない!」
それでも、膝を抱えていた少年は立ち上がる。
その目に微かな勇気を宿らせて。
恐いのは誰だって同じ。
ただ一つ確かなことは――生きて帰りたければ戦うしかないということ。
「ロア・イーレット二世! 隊長殿にお供します!」
「同じく。オイラも無事に帰って、またみんなと一緒にご飯食べたいよ」
「くす。そうだね。……生きて……生きて帰ろうね」
三人の若き魔導兵が路地から出て行く。
初陣はまだ始まったばかりだ。




