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神の債務


 一分前――。


 グレイフルが隊商を先頭から攻めるのであれば、クニキリは兵力を分散させる意味でも後方から仕掛け、挟撃を図るのが常套となる。


 狙い定めた幌馬車を目指して草原を疾風のように駆け抜けていく。


「クニキリ様、ご命令を――」


 クニキリを囲むようにして現れたのは五人の下忍たち。クニキリの部下だ。黒い忍装束に身を包み、顔も目許以外は頭巾にすっぽりと覆われている。地面の影に同化するスキルを有した隠密部隊である。


「速やかに雑魚を消せ」


「御意」


 クニキリと下忍たちは気配を消し、密やかに最後尾の馬車へと忍び寄る。


 幌馬車を守るべく配された王宮兵は、遥か前方から聞こえてくる戦の響きに意識を奪われた。様子を探ろうと首を伸ばした兵士たちの、まずその首筋に刃を突き入れた。呻き声すら上がらなかったのは暗殺術の妙による。並んで立っていた仲間が音もなく膝から崩れ落ち、それに気が付いたときにはもうその兵士も口を押さえられ背中に短刀の一突きを入れられていた。静寂を維持したまま最後尾の馬車を制圧し、クニキリは目隠しの防水布をまくって荷台に上がり積荷を確認した。


 貿易品であろう薬草。香辛料。種々の農産物。それに、二十日分ほどの保存食と酒。調理器具。武具一式。寝袋や焚き火用の藁束などが隙間なく積まれていた。


 荷物の間に身を潜ませていた人間と目があった。


「ッ!」


 魔導服に身を包んだ兵士だった。クニキリに気づくと慌てて腰を上げた。


(――グレイフルが荷台に人間が乗っていると言ってたが、こいつか……)


 魔導兵は【魔法の指輪】を装着した手をかざし、魔法詠唱をしはじめた。


==聞け! 雷の精霊よ! 我を扇動する者よ!==

==導に従いて、我が名を轟かせよ!==

==一なるものを


 遅い。


 ザシュッ! ズババッ!


 両手に持った二振りの小太刀が中空で交差した。魔導兵がかかげた腕がひじから切断され、絶叫する間もなくその首も後を追うようにして荷台の床に落ちた。


 クニキリは切断した片腕を拾い上げて指輪を外した。すると、指輪の径が瞬間的に腕輪ほどに広がった。魔法具のようだ。効果は魔法の強化、あるいは制御といったところか?


「クニキリ様、如何なさいましょう?」


 幌の向こうから下忍のひとりが小声で指示を仰いだ。一台につき一人の魔導兵が潜んでいるとすれば、いちいち馬車を制圧していたのでは時が掛かりすぎる。


 今回の任務は幌馬車を破壊して交易の邪魔をすることのみ。


「……」


(嫌な予感がしやがるぜ。隊商自体、拙者たちを誘き寄せるための罠だとしたら……)


「クニキリ様?」


「姿を見られてもいい。すぐにすべての馬車を燃やせ。だが、余計な戦闘は回避しろ」


「御意」


 下忍の気配が遠ざかる。クニキリも【魔法の指輪】を懐に忍ばせて荷台から出た。


――――――――――――――――――――

 クニキリは【雷の指輪】を手にいれた!

――――――――――――――――――――


 クニキリは元より下忍たちも戦場においては魔王様直々の命令で動いている。


『次の馬車に最も近いのは下忍③ね。アイテムの【炎の化石】を使えば、火属性に弱い馬車なら一発で【破壊】できるはずだから。隠密スキル《影走り》で敵を避けていってジャンジャン燃やしていこう!』


「御意」


 下忍③が馬車に接近し、荷台の底に【炎の化石】を設置する。時限式の魔法鉱石は、一定時間を過ぎると内部に封じ込めた属性魔法を一斉解放する。【炎の化石】ならばその名のとおり爆発を伴って火柱が立つ。


 ボンッ! と爆発し、瞬く間に炎上する幌の台車。下忍たちの働きにより次々と幌馬車が燃えていく。


 兵士や商人たちは突然の火災に驚き、慌てて消火にあたった。脇を駆け抜けていくクニキリたちにはまったく気づかない。グレイフルが暴れているおかげで手薄となった馬車の警備をすり抜けるのは簡単で、呆気なく八台目まで馬車を【破壊】することに成功した。


 最初にグレイフルの槍で先頭の一台を壊しているので、残った馬車はあと一つ。


 先頭から二番目の馬車。


 勇者ポロント・ケエスがいた馬車であった。


(……む?)


 クニキリと下忍たちは目前で急停止した。グレイフルを囲んでいたと思しき兵士たちが全員クニキリのほうを向いていたからだ。


 その中央には不敵な笑みを浮かべるポロント・ケエスの姿があった。


(グレイフルはどこだ?)


 いない。気配すら。


 まさか……やられたのか?


◆◆◆


 そう思った瞬間、左右にいた下忍①と下忍②の頭部が破裂した。クニキリはなんとか上体を逸らして飛来した何かをかわした。高速で横切っていったソレは傘型の槍。グレイフルの得物だった。


 横に向き直る。槍が飛んできた方角にいたのはやはりグレイフルだった。投擲した姿勢のまま、血管が浮き出るほどに力んだ肢体を小刻みに震わせて、荒々しい息を吐いていた。


「おのれぇ……ッ!」


 血走った目つき。その眼光はポロント・ケエスに注がれている。


 ポロントはクニキリを仕留め損なったことに舌打ちした。


「あわよくばと思ったのですが、さすがは魔王軍幹部といったところですね。そう簡単にはやられてくれませんか」


「貴様、グレイフルに何をした?」


 問いつつも、クニキリにはおおよその予測がついた。


 ポロントの眼前に展開された術式――何やら手帳のようなものが浮いており、パラパラと一定の間隔でページが捲られていく。捲られていくたびに紙量が増幅していっており永遠に終わりがない。おそらくアレは勇者のスキル。そして、その効果は【肉体操作系】の呪いだろう。


 グレイフルはポロントによって操られているのだ。


「お察しのとおり、彼女を私の手駒にいたしました。……が、これはこれでなかなかきつい」


 笑みを浮かべているが、ポロントのそれは苦笑に近かった。


 ポロントの勇者スキル《クラウド・コマース》の効力は肉体操作だけではない。現実に起こり得る奇跡を、債務を負うことで実現させるという言わば何でもアリの能力だった。


 債務者はもちろんポロント・ケエスである。そしてこの場合の債権者は、ポロントを勇者に仕立て上げた神になる。神に対して債務を背負い、代わりに奇跡を前借りするのだ。


 神への債務――すなわち対価とは、ポロントがもっとも嫌がる金銭の徴収であった。


 出納帳がものすごい勢いで掛けの項目を埋め尽くしページを捲っていく。魔王軍幹部を傀儡にするということがどれほどの奇跡の上に成り立つものか。ポロントはいま、秒毎に魂をすり減らす勢いで体感していた。


 敵を操るには、まず対象を「無力化」し「洗脳」し「命令」する必要があり、これら科目の摘要には指の一本一本にも及ぶ。指一本に対して「無力化」「洗脳」「命令」を行い、それぞれに買掛金が生じていくのだが、それが全身ともなれば【摘要欄】はどれほどあっても足りはしない。肉体の箇所によって金額に幅があるとはいえ、一秒毎に月収を越える数字が書き込まれていく様は、商人であるポロントには些か堪える光景であった。


 たったの十秒で年収越え!


(幹部を従わせるだけでこの値段の高さとは……)


 眩暈を起こしながらも、しかしポロントは手応えを感じていた。


「金さえ払えば絶対であると確信する……! グレイフルよ、その男を捨て身で足止めしなさい!」


 命じられた瞬間、グレイフルは跳躍した。踏み切った地面がめくり上がり、爆音を打ち鳴らした。本気の跳躍である。通常、肉体は負荷を抑えるために力をセーブするものだが、今のグレイフルは加減を知らなかった。己の踏み込みで両足が砕けた。だが、命じられたことを全力でこなさねばならないグレイフルに痛みによる制御は働かない。


 隕石の如く地面に衝突する。クニキリの眼前に着地し、砕けた脚が地面に半ばまで突き刺さる。


 クニキリの左右の腕を掴んで拘束した。


「離せっ!」


「できるものならとっくにしてますわ!」


 歯を食いしばり、目から口から血を流す。屈辱に歪んだグレイフルの形相は、ポロント・ケエスの支配が完全であることを物語っていた。


 メキメキ……グギャ!


 グレイフルの握力でクニキリの両手首が潰された。


「ぐう……ッ!?」


 それでもグレイフルは手を離さない。


(仕方ねえッ!)


 クニキリが自らの両手を犠牲にしてグレイフルを蹴り剥がそうと決意したそのとき、グレイフルを支配する勇者スキルが突如として消滅した。


 ポロントは手帳を閉じると、弱々しい笑みを湛えて首を振った。


「これ以上やると破産してしまいます。ですがまあ、時間稼ぎには十分でしたね」


 ポロントの視線の先では下忍③が風魔法で切り刻まれ、下忍④が氷魔法で氷漬けにされていた。二人の部下が呆気なくやられ、クニキリは驚愕した。


「なんだと!?」


 一体誰に……。下忍を倒しうる人間は、勇者以外にはいなかったはず。


「ハッ!?」


 気づけば、十人の魔導兵がクニキリとグレイフルを輪になって囲んでいた。馬車に潜んでいた魔導兵たちである。彼らが纏う魔導服が【炎の化石】の爆炎を防ぎきり、彼らの気配を断ち切っていた。こうして接近されるまで気づけなかった。


 クニキリはポロントを睨みつけた。


「おい、テメエ、どういうつもりだ?」


「トドメを刺すのは何も勇者でなくてもいいのです。そして、これもお察しのことと思いますが、これらはすべてあなた方を葬り去るための罠でした」


 ポロントが悠々と口にし、右手を高々とかかげて、ぱちんと指を鳴らした。


「死になさい」


 魔導兵たちは指輪を嵌めた手をクニキリたちに向けてかざし、詠唱を開始する。


==聞け! 光の精霊よ! 我を断罪する者よ!==

==聞け! 水の精霊よ! 我を翻弄する者よ!==

==聞け! 火の精霊よ! 我を監視する者よ!==

==聞け! 風の精霊よ! 我を糾弾する者よ!==

==聞け! 闇の精霊よ! 我を容認する者よ!==

==聞け! 水の精霊よ! 我を翻弄する者よ!==

==聞け! 雷の精霊よ! 我を扇動する者よ!==

==聞け! 氷の精霊よ! 我を隔絶する者よ!==

==聞け! 土の精霊よ! 我を束縛する者よ!==

==聞け! 火の精霊よ! 我を監視する者よ!==


 あらゆる魔法による集中砲火だった。


「チィ……!」


 クニキリは詠唱が完了する前にこの場からの離脱を図ろうとしたが、グレイフルを置いていくわけにいかなかった。グレイフルの脚は砕けている上に地面に突き刺さったままである。引っこ抜いて連れて行こうにもクニキリの両腕は今や使い物にならない。


 グレイフルは自嘲した。


「このままだと蜂の巣ですわね」


「笑えねえ冗談だな、【女王蜂】」


「わらわを置いて行きなさいな。あの程度の魔法、リーザのに比べたら屁でもありませんわ。耐えてみせますわよ」


「ハッ……、確かにそれだけ言える元気がありゃ心配なさそうだが」


 しかし、仲間を見捨てていけるほど薄情なクニキリではない。


 グレイフルを胸に抱いて覆い被さり、盾となって身を丸める。


「ちょっと、何をしてますの!?」


「少しの辛抱だ!」


 耐え切ってみせる!


「バカなことを! わらわに触れていいのは魔王様だけですわ!」


「いま気にするトコそこか!?」


 まもなく、魔導兵たちの詠唱が完了する。


 十方向から一斉に魔法が放たれようとしていた――。


「いい加減にッ」


「いいから伏せてろ!」



==紡げ――



 ボンッ、と最後の馬車の荷台から火が上がった。


「ッ!?」


 間近でその衝撃をもろに受けたポロントはおろか、今まさに魔法を放たんとした魔導兵たちもそちらに意識を奪われた。


 下忍が仕掛けた【炎の化石】が時間差で爆発したのだ。


 クニキリの許に唯一生き残っていた下忍⑤が接近していた。


「クニキリ様、任務を完了いたしました」


「……ご苦労」


 下忍は、クニキリの身がどんなに危うかろうとも、助けを求められないかぎり、一度受けた命は忠実に遂行するのである。


「なんですの? まだ生きていたのがいましたの?」


「ああ、間一髪だったぜ」


 クニキリがポロントに向かって見得を切る。


「拙者の自慢の部下だ。なめンなよ……」


「っ、それがどうしました!? さあ、皆さん早く魔法を撃ちなさい!」


 我に返った魔導兵が再び魔王軍幹部たちに狙いを定めた。


 ところが、的であるクニキリとグレイフルの姿が霞かかったように希薄になっていく。やがて空気に溶けていくようにして、完全に消え去った。


 ポロントたちは呆気に取られて辺りを見渡した。


 魔族の気配はどこにも感じられない。下忍⑤の姿すら消えていた。



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