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SIDE―兄② 『鉄血姫』ヴァイオラ・バルサ

 アンバルハル王国の王宮の一室に招かれたのは、部屋の絢爛豪華な設えにあまりそぐわない質素な身なりをした村娘であった。


【首長会議】に出席する村長の付き添いでやって来たリリナが、こうして王女の誘いを受けるのはもはや恒例行事である。


 リリナは向かいに座る王女をじっと眺めた。


 気品あふれる美しい女性だ。


 ほろ苦いコクタの葉をこして淹れた茶に、角砂糖を入れて攪拌するその手付きからして上品だ。凛然とした面立ちに反して、茶を甘くしないと飲めないところは逆に可愛らしい。


「――それではヴァイオラ様、何かございましたらお声掛けくださいまし」


 年老いた侍女が恭しく頭を下げて退室した。


 ヴァイオラは茶を一口すすると、眉をひそめて角砂糖をもう一つ追加した。


「ヴァイオラ様は甘党でございますね」


 リリナがそう言うと、またしても顔を苦くする。


「ふたりきりなのだ、敬語は使うな」


「ですが、お付きの方がいらっしゃいました」


「いま出て行っただろう?」


 横目でちらりと扉を窺う。


 退室したとはいえ、王女と来客がふたりきりでいる状況を侍女が無視しておくはずもなく、どこからか盗み見られていることも考えられた。


 リリナの表情を察したのか、ヴァイオラが苦笑した。


「村長殿に何か言われたのか? 以前はそんなこと気にもしなかったではないか」


 図星を指されて、うっ、となる。


 そのとおり、王都アンハルへ来る途中、村長から「あまりヴァイオラ様に失礼な態度を取るな」と注意を受けていたのだ。


 一介の村娘が一国の姫に向かって対等な口を利いているところを人が見たらどう思うか、と。


 下々の者に態度で舐められていたら王族の名はたちまち廃るだろう。そこに思い至らなかった自分が恥ずかしくなった。


 いくら王女の頼みとはいえ、なんと畏れ多いことであったか、と反省したのである。


 が、ヴァイオラに一々指摘されると、むっ、ともなった。


 ――私が悩んでいるのも知らないで。


「言葉遣いのことでしたら私はいつも恐縮しておりました。王女様に私のような庶民がこうして口を利くのも本来憚られることですのに」


「……寂しいことを言うな。私はおまえを友人だと思っているのだぞ?」


 そうして、本当に寂しそうな顔をする。


 この表情にリリナは弱い。


 あのヴァイオラにこのような顔をさせられるのはきっと自分だけだろう。


 ヴァイオラ・バルサ第一王女。


 人は彼女を『鉄血姫』と呼ぶ。


 魔王が討伐され魔族がこの世から追放された現代において、武力は隣国に対する示威運動の一環にすぎず、神が人類を統治する限り無用の長物と言われてきた。


 事実、局地的な紛争はあるものの、国同士で行なう戦争は【神都】の差配もあってこの百年間起きたことが一度もなかった。外交で切り札となるものは資源量と生産力であり、武力の重要性はあまりに低かった。


 しかし、ヴァイオラ姫は提言する。


「人類の進化は武力の発展と共にあった! 武器を捨てることこそ尊厳の放棄である! 神の御業の下に生まれし人類は、今こそ次なる進化を目指すべきなのだ!」


 たった百年で魔王の脅威を忘れ去った人類の危うさを糾弾し続けた。


 広大な大地を持ち、温かな気候に恵まれたアンバルハルは、世界随一の農産国である。


 国庫には国民を三年食わせられる食料があり、貿易も盛んで、貧富の格差が最も小さいとの評判もある。この国は、世界一豊かな国に違いない。


 最も要らぬものが武力であった。


 ヴァイオラは祭事など国民の前に現れるときは必ず軍服を身にまとい佩刀した。


 その姿に惚れ惚れする者も少なからずいるが、大半の者は姫の道楽と笑った。


 親である王や王妃もまた娘の奇行に頭を悩ませているという話である。


 姫は孤独であった。


 そんな姫が唯一心許せる相手がリリナだったのだ。


 仲良くなったきっかけは些細なことである。以来、リリナもヴァイオラのことを憎からず思っている。親友だとも思っている。身分の差がなければいつでも連れ出したいと考えるほどに。


 たかが言葉遣い一つで壊れるような友情だとは思わないが、ヴァイオラにはこれ以上ない不安要素であったのだ。


「ごめんなさい、ヴァイオラ。私、無神経だった」


「……いや、困らせているのは私のほうだった。嫌なものだな、王族というのは」


 ヴァイオラはいま美しいドレスを着ていた。


 とても似合っている。


 なのに、軍服を着ているときの凛々しさは影をひそめ、憂いを帯びた表情を浮かべている。


 女性ならば誰もが憧れるほど優雅できらびやかなのに。


 ヴァイオラはまるでカゴの中の小鳥のように儚げに見えた。


「私を滑稽だと笑うか? 魔王の復活を望む異端者と蔑むか?」


「ヴァイオラ……」


「わかっている。私がしていることは、王女だからこそできること、言えることなのだ、とな。ただの民であればこのような自由は許されない」


「教えて。どうして魔王が復活すると思うの? 何かの文献にそうあったの?」


「占星術師だ。色々なことを教わった。魔王の復活のことも」


「それを信じるの?」


「信じる。備えることは無駄ではないからな。――だが、何事も起きなければそれが一番だとも思っている。私のコレが道化と言われ続ける限り世は泰平にあるという証明になる」


 王女だからこそできる自由――人はそれを道楽と呼ぶ。


 けれど、リリナは思う。ヴァイオラは自身が王女だったからこそその占いを看過できなかったのではないだろうか。民草の平穏を守るためにも、大きく声を上げられる王女の立場を利用すべきだと考えたのだ。


 たとえ道化だ道楽だと蔑まれようとも、それが使命であると信じて。


 不器用で、一直線で、高潔。


 リリナはこの素晴らしき友を得たことを改めて誇らしいと感じた。


「私にできることがあれば協力させて。決して多くはないけれど、ヴァイオラの考えに賛同する人たちはアコン村にもいるから」


「ふっ、ハルスのことか。――話は変わるが、おまえたち、もう付き合っているのか?」


「おまえたちって、……わ、私とハルスが!? べ、べべ、別に私とハルスはそういうんじゃないわ!?」


 全力で否定しながらも赤面するリリナを見て、ヴァイオラは呆れたように大きな溜め息を吐いた。


「もう十六にもなるのに相変わらずウブなのだな、リリナは。そしてハルスも。何をやっているんだ、あの唐変木は」


「やめてよ、もう! そ、そういうヴァイオラはどうなの!? いい話ないの!? どうなの!?」


「私の相手は父が決める。第一王女にそのような自由はない」


 うっ、しまった。つい気まずくなること訊いちゃった。


 ヴァイオラに自由恋愛が許されているわけないのに。


 ヴァイオラは特に気にしていないみたいだけど、でも、こういう乙女らしい会話すらできないのは不幸なことだと思う。


 いつかヴァイオラにも素敵な人が現れますように――そう願わずにはいられないリリナであった。


◆◆◆


 王宮を出て行くリリナをベランダから見送った。


 こちらに気づいて手を振ったので振り返す。


 リリナがいなくなった自室は広々としすぎていて、余計に寂しくなった。


 姿見の前に立つ。


 ドレスを纏った第一王女の姿が映った。


 思わず唇を噛む。ドレスを脱ぎ捨て、壁に掛けてあった剣を抜いて構えた。


「私に許された自由だ。好きに行使して何が悪い!」


 民としての暮らしも、殿方との触れ合いも、友人を作ることさえもヴァイオラには許されなかった。


 だが、内政であれば口出しできた。それだけが唯一許された王女の特権だったのだ。


 鏡の中の自分に言う。


「それすら放棄して一体何が残る?」


 下着姿。


 だが、どんなに高価な衣服を脱いだところで王女という身分は捨てられない。


 貫くしかないではないか。


 私は。


「私は――自分を曲げることだけは許されない」


「決意を新たにするのは立派だが、服を着てくれないか? 侍女に見つかるとあらぬ誤解を招きかねん」


「……っ!?」


 いつからいたのか、その闖入者の存在に気づくと、ヴァイオラは慌てて振り返った。


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