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勇者シナリオ③『羊飼いバジフィールド』


【勇者シナリオ③が解放されました】


―――――――――――――――――――――――――――――――

 『勇者シナリオ③【羊飼いバジフィールド】』を閲覧しますか?


 ◇ はい

   いいえ

―――――――――――――――――――――――――――――――


◆◆◆


 バジフィールドが羊に直接触ったのは二十歳を過ぎてからだった。


 羊飼いという職業は基本的に独身男がなるものだ。牧草地から牧草地へ、主に山岳地帯を渡り歩くため女子供を連れていては効率が悪いし、何より家族を社会から切り離したいと思う男はいない。単身赴任という手もあるが、賃金に見合うわけでもないし常に危険が付きまとう。よって、羊飼いの成り手には家業を継げなかった次男三男の独身男が大半で、彼らの多くが集団生活に向かない瑕疵を抱えていた。


 バジフィールドは良家の長男である。学業は優秀、健康面でも問題はなく、両親からは将来を大いに期待されていた。スクールを卒業した後は、百人を超える従業員を指揮する父の会社の後継になるべく、同業者の元へ修行に行かされる予定であった。家業の製織は嫌いではなかったし、職人として手仕事を習うのならその道も満更ではなかったのだが。


 ただ、昔から人と接することだけは苦手だった。


 黙々と何かに打ち込んでいられるのなら喜んで父の跡を継ごう。しかし、父の仕事はどちらかと言えば人間関係の調整役だった。取引先の営業、従業員の人事に市場調査、接待接待また接待――。商人もまた『職人』だと言われればそうなのかもしれないが、口下手なバジフィールドには苦行以外の何物でもなかった。


 父とケンカをし物別れのまま八年が過ぎた。羊飼いになったのは一所に留まらずにいられるので、連れ戻しに来られても逃げるに打ってつけだったからだ。


 しかしそれも最初の一、二年のうちだけだった。それ以降、父から完全に見放されたのか、遣いの人間が現れることはなかった。


 風の便りに聞いた話ではすぐ下の妹が結婚し、婿養子が跡を継ぐことに決まったという。肩の荷が下りたという思いと同時に、とうとう帰る場所すらなくなった寂寥感が胸を満たした。羊の群れとともにあまねく大空を天幕とした暮らしは続く。


 羊飼いは性に合っていた。ただ自然とだけ向き合い、その日の糧のみを得て生活する。時に町に立ち寄り羊毛を売って必需品を購入するが、それ以外に人と接することがない。動物とだけ対話していれば生きていける羊飼いは天職だと思った。




 あるとき、狼の群れに襲われた。


 飼育していた羊の半数をやられ、バジフィールドは自然の恐ろしさを思い知った。


 そして、己の怯懦に心が折れた。狼の襲来に気づくや馬に飛び乗り、羊たちを置いて逃げていた。逃げながら泣いていた。


 何が、動物とだけ対話していればいい――だ。バジフィールドを生かすのは動物たちだが、殺すのもまた動物たちなのだという単純な構造をこのときようやく理解した。こういうことなのだ。すべては弱肉強食。人間社会の弱者でしかないバジフィールドがどうしてさらに過酷な外の世界でやっていけると思ったのか。


 だが、やっていかねばならない。それでも人間社会に帰りたくなかったのだ。


 運良く、半数の羊たちがバジフィールドの後を追ってきた。


(こいつらはオレっちがいなくても生きていけるのに。それでもオレっちを追ってきたのはそっちのほうが生存確率が上がると知っているからだ。オレっちは狼を追っ払う力がなくても囮くらいにはなる。そういう打算が本能的に働いたんだろうよ)


 情けない。が、役割がまだ残っていることを少し誇らしく思う。こんな自分でも何かの役に立てるのなら――そう考えることで生きる自信に繋がった。


 同じ轍は踏まないと心に誓い、再び放牧の旅に繰り出した。


◆◆◆


 それは、月が雲隠れした晩の出来事だった。


 テントの外に人の気配を感じた。あるいは、大自然にあるまじき脅威を察知したのかもしれない。反射的に飛び起きて、それが本当に人であったと知ったとき、バジフィールドは来訪者に驚くよりもまず人間嫌いが進行していることに呆れてしまった。


 その動揺はテントの外にまで伝わった。


「驚かせてすまない。あんたに話があってきた、バジフィールド」


「……誰だい? オレっちを知ってるってことは親父の差し金か?」


 今さら実家に連れ戻そうっていうのか? 何のために? 家で何かあったのか?


 数々の疑念が頭を過ぎる。しかし、来訪者は「違う」とあっさりと否定した。


「聞きたいことがあってな」


「……とりあえず中に入りな」


 盗賊ならば寝入っている隙に踏み込んでいるはず。それで害意はないと判断するバジフィールドも大概お人好しだが、いちいち他人を疑ったり警戒したりすることが嫌で町から出て行ったのだ。幌越しに問答しているこの時間すらストレスだった。……もし襲われたら、そのときはそのときだ。こんな辺鄙なトコにまで貧乏人をたかりにきた盗賊の執念を笑うしかない。


 だが、来訪者はこのままでいいと告げた。


「単刀直入に訊く。バジフィールドよ、あんたは勇者か?」


「は?」


「勇者になったのか?」


 何を言っているのか本気でわからなかった。勇者だって? それってあれか? 昔話に出てくる【英雄ハルウス】のことか?


 オレっちが? ぶはははは。


「何の冗談だ?」


 どうやらこの来訪者は盗賊ではないらしい。そして、どうやら気が触れているようだ。


「どこでオレっちの名前を知ったのかしらんが、そんな冗談を言うためにわざわざここまで来るなんて正気の沙汰とは思え、」


「まだならいい。だが、遠くない未来、あんたは神の声を聞くことになる」


「あ?」


「そのとき、迎えに来る」


「おい、ちょっと――」


 気配が消えた。慌ててテントの外に出てみるが、そこにはもう誰もいなかった。月明かりがないとはいえ平原での暮らしが長いバジフィールドは闇の中でも動く物には遠目にも気づける。狼に襲われた経験がより神経を過敏にさせている。それでも来訪者の影を見つけることはできなかった。


「夢?」


 ……かもしれない。そりゃそうだ。こんな場所にこんな時間にやってくる奴なんているわきゃねー。それに勇者って……。我ながらなんつー幼稚な夢を……。


 しかし、これより幾日経とうともこの出来事が頭から離れることはなかった。


◆◆◆


 そして、その日は訪れた。


 まるで神の視座を象ったような赤い満月の下、眠るバジフィールドの意識に虹色の光線が入り込んできた。瞼の裏を流れては消えていく光の残滓が脳髄に直接言語を送ってくる。


 それは天啓であった。


 神は告げる――今宵、そなたは勇者に成ったのだ、と。


 問答無用で肉体が造り替えられる。身体能力の向上。勇者スキルの付与。さらに、魔族を討てという至上命令が本能に植えつけられていく。


 唐突に目を覚ます。羊飼いとしての経験則が危険の前触れを察知した。急いでテントを出れば、遥か先より駆けてくる狼の集団をその目に捉えた。聞こえるはずのない遠吠えを聞き取り、獲物を狙う息遣いから総数を把握する。ありえない五感の発達を少しも不思議に思うことなくバジフィールドは騒ぐ羊たちを背にして備えた。


「……」


 常人であれば対応しきれぬ速度で雪崩れくる狼の一群。


 抜け出た先頭の一匹が跳躍し、頭上から飛び掛ってきた。バジフィールドは為す術なく噛砕の餌食となる――はずだった。


 動きのすべてが見えていた。狼の呼吸、視線、筋肉の躍動と地を駆る律動をことごとく捕捉し、一匹だけでなく群れ全体の意識さえ把握した。


 大口を開いて襲撃してきたその一匹は首根っこを掴んで地面に叩き付けた。


 バジフィールドを無視してすり抜けた一匹は背後から蹴りつけて妨害した。


(――ッ!?)


 たったそれだけの動作で狼の一群は急停止した。牙を剥き、唸り声を上げ、バジフィールドを敵と見做して囲んでいく。まずはこいつからだ――狼たちの意志は固まった。


 バジフィールドは我に返ったように脱力すると、頭をかいた。


「参るよなあ。オレっちは別におまえさんたちと争う気はないんよ。ただ、この羊たちはオレっちの家族だ。見逃しちゃあくれねえか?」


 狼が一斉に吠える。


 その声を聞き、バジフィールドは「わかったわかった」と宥めた。


「……三匹だけだ。オレっちで見繕う。その代わり、おまえさんたちは森へ帰れ。もし食うに困るってんならそのときは協力してやるから。今日のところは勘弁してくれ。な?」


 そう頼み込むと、狼たちから敵意が消えた。


 バジフィールドは年老いた羊三匹を屠殺し、その肉を差し出した。狼たちは手分けして羊を咥えて引きずると、来た道を帰っていった。


「ふう。なんとかなった」


 結局、バジフィールドの羊三匹が犠牲となったが、それでも平和的な解決であった。戦えば狼を全滅させることもあるいは出来たかもしれない。しかし、自然界のバランスを壊してまで所有物を守りたいとは思わない。狼たちとて食べていくのに必死なのだ。共存共栄こそが正しい在り方であり、人間の分際で掻き乱すのは分を越えている。


 何事もほどほどに。少し足りないくらいが丁度いい。オレっちも狼たちも。


「あん? もしかしてオレっち、いま狼と交渉した?」


 あれほど嫌っていた調整役を動物相手になら気負わずにできるなんて。思わず笑ってしまった。まったく呆れることばかり。


 ――ああ、こここそオレっちの生きる世界だ。


◆◆◆


 後日、占星術師を名乗る青年がやってきた。


「星を読んだらあんたが勇者だと答えた。間違いなければヴァイオラ王女殿下の召集に応じてほしい」


「ああ、わかってる。めちゃくちゃ嫌だけど」


 魔王軍と戦うこともそうだし、何より人と関わりたくない。戦となればそうも言っていられないのだろうが。


 それよりも、


「なあ、あんた。前にオレっちに会いにこなかった? 月が隠れた晩のことさ」


 あのときは名乗らずに立ち去ったが、声や口調には覚えがある。


 占星術師アニは不敵に笑った。


「さあ? なんのことだ?」


「……ハッ」


 ああ、嫌だ嫌だ。嘘吐いているのなんて丸わかり。


 これだから人間は嫌いなんだ。



(勇者シナリオ③了)


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