湖畔にて⑤
この章は第28部分~第29部分の間に起きた出来事です。
時系列が前後して申し訳ありませんが、ご了承ください。
アニの存在にいち早く気づいたのはアテアだった。
視線の動きから第三者の気配をドラゴンに感づかせまいと、なるべく自然に振る舞いそちらを見ないように努めた。ドラゴンがアニに気づけば矛先を変えるかもしれない。アニを守りつつドラゴン打倒の活路を見い出すのは今のアテアには難しすぎる課題である。
意識すらするな。このエルダードラゴンはアテアの動きのわずかな乱れにも違和感を抱くはず。それだけでアニの存在が気づかれてしまう。
「やあっ!」
ドラゴンの顔を殴りに行く。ドラゴンは紙一重でかわし反撃の尻尾を振るった。攻守が秒で入れ替わる攻撃の応酬は続く。
アニなら何かしでかすはずだ。しかし、アテアはそれを期待しない。アニを戦力として数えないことで平静を保つのだ。それに、たとえどんな不意打ちが繰り出されたとしても、アテアにはそれに即座に対応できる自信があった。
やるべきことは変わらない。
目の前のドラゴンを倒すのみ。
蹴りと爪が衝突して弾け、両者は再び距離を取る。アテアは拳を握って構え、腰を落とした。
不意にドラゴンが言った。
『――そうか。我の背後の大木の陰に仲間が隠れているのか。それも、たった今駆けつけたようだな』
「――っ!?」
気づかれた。なぜ――?
ドラゴンはにんまりと笑い、アテアの狼狽を面白がるように種明かし。
『視線で気づかせまいとしていたようだが、我の聴勁は貴様の心臓の音まで聞き分けることができる。自然に振る舞おうとするたびに鼓動が一際高鳴った。視線を外す理由。それに伴う緊張感。偽装の意図を汲み取れば仲間の存在以外にありえない』
もし張り巡らせた罠の発動を期待していたとするなら常に緊張していなければならない。仲間の出現が突発的だったからこそアテアの心音の変化はでかくてわかりやすかった。
『皮肉なことよ。貴様に対する警戒心を増したが故に、貴様のわずかな心音の変化にも気づくことができたのだから。本調子の我であったなら貴様を侮り、仲間の存在にも気づけなかったであろう。――まあ、本調子であれば貴様はとっくに倒されているがな』
「逃げて! 占星術師君!」
『遅い!』
振り向きざま、ドラゴンが咆哮弾を放った。アニが隠れていた大木は吹き飛び、大木のみならず周囲の木々も巻き込んで木っ端微塵に弾け飛んだ。
そこにアニの姿はなかった。気配すらない。
すでに逃げた後だった。
『――く、フハハハハ! 貴様の仲間はとんだ腰抜けだったようだな! 我と貴様の戦いを目の当たりにし尻尾を巻いて逃げたのであろう! 滑稽なのは貴様だ、勇者よ! 逃亡した仲間の助勢を当てにして知らぬ顔を演じていたのだからな!』
「……」
違う。アテアは確信をもってそう思う。
あの男のことだ。もうそこに居ないということは、すでに何かを終えている。
咄嗟に上空を仰ぎ見た。アテアに倣い、ドラゴンもぎょろりと眼球を上に向かせる。
太陽の逆光の中にアニがいた。
地上を狙って風の弓を引いている。
==聞け! 風の精霊よ! 我を糾弾する者よ!==
==息吹を運び、我の声を響かせよ!==
==あまねく天と地を行き交い、最果てを消せ!==
==ローセル、アングル、シュール、ラングラン、コギュ、ラ、マルタ==
==紡げ――《エアーズアロー》!==
アニが風の矢を射出する。放たれた風矢は手許から離れた瞬間に分裂し、九本の軌道を描いてドラゴンの真上に殺到した。
『――フン。その程度の低位魔法、避けるまでもないわ』
打ち込まれた風矢はことごとく竜の鱗に阻まれて霧散した。アニはさらに詠唱を口にすると風を掴んで滑空し、ドラゴンの頭上を旋転する。明らかな挑発行為にドラゴンは嘲笑でもって応えた。
『浅はかな。わかっているぞ。貴様の狙いは我をこの場から動かすこと。勇者に剣を回収させるためにな』
剣が勇者の切り札なのはドラゴンも身を持って知っている。だからこそ回収されまいとこの場から移動せず消耗戦を選んだのだ。
さらに言えば、
『器用な小僧め。その風魔法を利用して剣を弾くこともできよう。我が数歩でも動いた瞬間、その手に纏わせた風魔法を放つつもりでおったな』
「……けっ。よく喋る竜だぜ」
アニが悔しげに舌打ちした。演技には見えなかった。本当にドラゴンが言ったとおりの策略で臨むつもりだったのだろう。
「……」
アテアはさっきからにわかに感じ取った違和感の正体を探っていた。アニが風魔法を得意とすることは知っている。だが、何かおかしい。前に使ったときはもっとこう……。
「ッ!」
閃いた瞬間、アテアは大地を蹴っていた。アニらしからぬたった一つの挙動が必勝の合図だと受け取った。
違和感の正体は魔法詠唱だ。アニは前に風魔法を使ったとき詠唱しなかった。低位の魔法程度なら頭の中で唱えるだけで扱えるという反則級の特技を持っているからだ。
しかし、なぜ今回にかぎり詠唱したのか。わざわざ声高に、まるでドラゴンに聞かせるかのように。不意打ちなら詠唱しないほうが効果的であるにもかかわらず。
つまり、それこそが陽動であり、本命を隠すための目暗ましなのだ。無詠唱で放たれた魔法はすでにアテアの足許に向かって迸っていた。
風を蹴って――、
「行け! アテア!」
《エアーズキック/風脚》
アテアの脚が風と同化し、気づけば超突風に押されて地面を滑っていた。アニが一度だけ披露した移動術。あのときはアテアの剣を回避するのに利用していたが、その一度かぎりの使用例だけでアテアは完璧に風の踏み方を把握し、武技における天才的なセンスでアニの得意技をぶっつけ本番で成功させたのである。
通常でも目に見えぬほどの突撃を風のブースターでさらに加速させ、その勢いは衝撃波を発生させて軌道上の地面を抉るほどだった。――ドォンッ! 瞬速の突進で砲弾と化したアテアの拳が、完全に油断していたドラゴンの胴体に深々と食い込んだ。
『おお、おおおおぉ……ッ!』
ドラゴンの体がよろめいた。一歩、二歩、と後退し、足元に確保していた剣が剥き出しになる。アテアは着地と同時に剣を取ると、間髪入れずに高々と跳躍した。
今度こそアテアの必殺剣が炸裂する。大上段に構えた刀身が黄金に光っていく。勇者に覚醒し、神から与えられたアテア特有の勇者スキル。剣気・剣圧だけで一刀両断を想起させる必殺剣の威力は計り知れず、ドラゴンは踏み止まって体勢を持ち直すと先んじて張り手のような掌底打ちを繰り出した。
『させん!』
その渾身の一撃を――――アテアは蹴り出した右足で受け止めた。
『なにぃ!?』
「づあ――!」
足の骨にひびが入る。筋肉の繊維が断裂していく。だが、右足を犠牲にしたことでアテアは絶対の勝機を掴み取る。ドラゴンの掌を蹴ってぐるりと転回し、逆さまに落下しながらも、振り被った光剣は一切輝きを失うことなく放たれるその瞬間を待っていた――!
「《ライトニング・ブレードォオオオ》!」
稲妻の如き閃光が下から上へと迸り、ドラゴンの胴体に直撃した。
『ぐああああああああッ!』
雄叫びにも似た断末魔が木霊する。呼気が消えるのと同時にドラゴンの目からは光が失せ、ゆっくりと体が傾いでいきうつ伏せの姿勢で倒れ伏した。ズズン――、と地面を揺らした衝撃で身を隠していた小動物たちが慌てて四方八方へ逃げていく。もう襲われる心配はないがこの場から逃げ出したい欲求がすなわち脅威が消え去ったことを告げていた。
音もなく着地したアニに振り返る。満身創痍で腕を上げるのも億劫なのに、強がらずにはいられなくてVサイン。
「どうだ! 見たか!?」
剣を執ったお姫さまは今日このとき、一番の笑顔を見せたのだった。
エルダードラゴンをやっつけた!
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エルダードラゴン LV.30
HP 1435/3000
MP 937/999
ATK 350
MTK 400
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アテア LV.15
HP 321/1230
MP 12/72
ATK 120
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