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王女姉妹の日常(前と後)③

この章は第28部分~第29部分の間に起きた出来事です。

時系列が前後して申し訳ありませんが、ご了承ください。


 私には年が三つ離れた妹がいる。


 素直で、天真爛漫。少し怠け者でいつまでも甘えん坊なところは直すべきだと思うが、私にとっては目に入れても痛くない可愛い妹だ。


 私が剣の稽古をしているところを時折見学にやってくる。私がいつでも休憩できるようにと、せっせとテーブルとパラソルを組んで、ティーセットまで並べて。普段はおっとり怠け者のくせしてこういうときだけ張り切るのだ。


「姉さま~、お茶の用意ができました~。こちらにいらして~」


 やれやれ。これでは鍛錬に集中できないな。

 毎度、もうやめてほしい、と注意しているのだが一向に聞き入れてくれなかった。今日こそはと腹に力を込めて近づくも、アテアのぽわぽわした表情とぶつかった。


「姉さま、お疲れさまでした!」


 そう言うと、アテアは手前の椅子を引き私に勧めた。


「さあさ、ここに座ってくださいまし! いまお茶を淹れますから!」


「……ハァ。今日だけだぞ?」


 何度目の「今日だけ」だろうか。我ながら甘いとは思うが、どうしてもアテアの顔を見るとそのペースに引っ張られてしまう。


 喉は乾いていたので侍女が淹れてくれたお茶はありがたく頂く。と同時に、アテアをじろりと睨みつけた。


「アテア、今は家庭教師の時間のはずだぞ。また抜け出してきたのか?」


「だぁってぇ~、つまらないんですもの!」


 悪びれもせずに愚痴を吐いた。まったく。


「つまらなくても勉強はしなくちゃ駄目だ。今からそんなワガママを言っていたら立派な王女になれないぞ」


「姉さまが立派すぎるのでわたくしが怠けないと釣り合いが取れないんです~」


「何の釣り合いだ。そういうのを屁理屈というんだ。アテアの勉強はアテアだけのもの。いくら私が勉強を増やしたからってアテアの分を補えるわけじゃない。――って、聞いているのか?」


 アテアはにやにやと笑みを浮かべると、得意げに言い返した。


「頑張りすぎな姉さまはわたくしが遊びに誘わないと休憩もしてくださらないでしょう。今このときみたいに」


「――む?」


「ほら、釣り合っていますでしょ。わたくしがブレーキ役にならないとどこまでも突っ走っていくんですから、姉さまは」


「むむむ」


 詭弁だということはわかっているが、咄嗟に反論できなかった。というのも、私の乳母からも常々言われていることだったからだ。


〝アテア様のようにもっと伸び伸びとやられてみてはいかがですか――?〟


 頑張りすぎは心身によくない、という説教である。私自身、そこまで身を粉にして働いているつもりはないのだが、周囲には無理をしているように見えてしまっているらしい。……見せてしまっている時点で落ち度だと思った。


 アテアのそれは勉強をサボる口実だったのかもしれないが、その口実を作ったことも私の落ち度だ。妹に甘く、その気遣いに最後には乗っかってしまう意志の弱さもまた。


「……つくづく至らぬところばかりだな、私は」


 自己嫌悪に陥る。こういうメンタルの弱さにも嫌気が差す。悪循環の沼。


「ね、姉さま? ただのお茶会ですよ? そんなに落ち込まなくても」


 アテアに心配される。――ハァ、なんて情けない。


「もうっ。元気を出してください! 今さらですけれど、姉さまはどうしてそこまでなさるのですか? お父様にすべてお任せすればいいじゃありませんか」


「……父上のやり方では足りないんだ。魔王は確かに封印されているが、魔族や魔物の生き残りは森や山の奥深くにいまだ生息している。いつ人里を襲うかわからない。だからこそ、武力を持たねばならないんだ」


「考えすぎだと思いますけど……」


 もちろん、懸念は魔王軍の残党だけじゃない。北国のラクン・アナ、西に隣接するリュウホウ、南のマジャン・カオ、貿易が盛んなロゴール、地理的に離れてはいるがダカルマイルも、各国それぞれが脅威だった。


 アンバルハルは農業大国であり、世界の食料庫と呼ばれている。我が国の武器は豊富な農作物だ。だが、そんなものは本物の武力の前では何の盾にもならない。パンが欲しければ侵略すればいい――どの国の王も腹の中ではそう考えている。先陣切って侵略してこないのは後ろから撃たれることを恐れているからであり、それでも国家間で出方を窺いつつ虎視眈々とアンバルハルの農地を狙っていた。

 アンバルハルの今の繁栄は危うい均衡の上に成り立っていた。早急に防衛力を強化せねばならなかった。


 こんなことをアテアに説明できるはずがない。人間同士の戦争は神都の決定で禁止されている。それを危惧するということは神への背信を意味した。いくら実姉であっても擁護できない罰当たりである。


 懸念はあくまで懸念だ。本当に他国に侵略されるなんて私だって思っていない。でも、一パーセントでも侵略の可能性があるならその芽は摘まなければならない。それが政治であり、国を治める王族の責務であると私は信じていた。


「国とは民だ。……父上もよくおっしゃっていた」


 ついそんなことを口にした。すると、アテアが真面目な顔で応えた。


「はい。わたくしもそのとおりだと思います。ですから、王族や貴族といった身分に囚われることなく、どんな人にも平等に接することを心掛けておりますわ」


 アテアは一点の曇りのない眼で言い切った。私はそれを直視することができなかった。

 民の心の拠り所が国であり、国は民なくして成り立たない。……それはわかる。わかりきった道理だ。しかし、王女である私には確信に至ることができなかった。


 だって、身分はどうしたって存在するし、彼我の間には巨大な壁を築いているのだから。民は私を知り、王族を崇めているかもしれない。しかし、私は本当の意味で民のことを知らない。民の暮らしも、民の本心も、本当のところは知りようがなかった。


 魔王の脅威に対抗すると言いながら、私が闘ってきたのは民意とだった。私の敵は民だった。

『鉄血姫』を演じつつも心にはいつも迷いがあった。私はただ民が嫌がることを押し付けているだけではないのか――と。

 民の姿が見えない。そのことに私はいつも怯えていた。


 それなのにどうして頑張ってこれたのか。頑張っていられるのか。

 姉さまはどうしてそこまでなさるのですか?――その答えは目の前にあった。


「民を守る。そのためならどんな労力も厭わないさ」


 私にとっての民を――アテアを見つめてそう言った。

 民を守るだなんて私には大きすぎる。でも、家族を守る程度の誓いならちっぽけな私にもできるはずだ。実際にこの思いだけで今日までやってこられた。

 アテアのために私は命を尽くすのだ。


「やっぱり立派です、姉さま! 国民を第一に考えているだなんて素敵すぎます!」


 アテアは感激して声を弾ませると、でも、と一転して不安げな表情を浮かべた。


「あまり根を詰めないでくださいね。姉さまが倒れられてしまっては元も子もありませんから」


「ああ、わかってる。今後は気をつけるよ」


 アテアにそんな顔をさせてしまっては確かに本末転倒だ。少しは鍛錬の時間を削ることにしよう。侍女たちもそのほうが休みが取れて嬉しいだろうし。……ちょっぴり複雑だがな。


「姉さま、聞いて聞いて! あのね、昨日ね、町で面白い大道芸を見つけましたの!」


「また公務をサボって町に行ったのか? しょうがない奴だ」


 それから他愛のない話で笑い合い、ひとときの休息を堪能した。


 改めて、アテアの存在を噛み締める。この子の笑顔さえあれば私はどんな困難にも挑めるだろう。

 素直で天真爛漫。少し怠け者でいつまでも甘えん坊。私とは正反対の人間。理想的なお姫様。アテアこそこの平和なアンバルハルの象徴であるべきだ。


 アテアを守ろう――誓いを新たにする。そしていつか魔王軍の残党や他国からの侵略を憂うことのない国家を築いた暁には、国民は一丸となってアテアを王妃として頂き未来永劫の繁栄に寄与してほしい。そう願わずにはいられなかった。


◆◆◆


 などと考えていた時期が私にもあったな。今となっては遠い昔のことのようだ。


 アニが来てからというもの――いや、正確には勇者に覚醒してからというもの、アテアの思考も嗜好も大きく変わってしまった。天真爛漫なところや姉思いのところはそのままなのに、言動が異なるせいでまるで別人になったみたいだ。


「姉さま! 剣の稽古に付き合ってくれるかな!?」


 私の日課にも付き合うようになった。剣術や基礎鍛錬にも喜んで参加した。大変遺憾なことに、勇者の肉体を手に入れたアテアに私のほうが付いていくのがやっとだった。


 早起きが苦手だったくせに早朝の遠駆けにも付いてくる。あまつさえ、


「やっぱり体を動かすのって気持ちいいよね!」


 こんなことまで口にした。以前のアテアだったらまず出てこないセリフである。


 いつも連れている使用人は今朝は王宮で留守番をしている。護衛代わりだったのだが、アテア以上の用心棒にはならないし、アテアの希望もあって姉妹だけでの遠駆けとなった。


 街道の途中、華麗に馬を操るアテアは、馬上でおもむろに立ち上がり指さした。


「姉さま、知ってる? 森の向こうの山を越えたところに綺麗な湖があるんだよ!」


「知ってはいるが、実際に見たことはないな。ん? アテアは行ったことがあるのか?」


 森はかなり広大で山もそれなりに高い。湖までは馬でも結構な距離があったはずだが。


「この前走って見に行ったの。ボク、今では馬より早く走れるからね!」


「……」


 私の妹が順調に人間離れしていく……。


 この勇者様を守ろうと思っていただなんておこがましいにも程がある。今では守られるべきは私のほうであった。


 私が指揮をし、アテアが戦場を駆ける将となる。それこそがアンバルハル最強の形だとアニは太鼓判を押していたが……。

 本音を言えば、アテアには戦ってほしくなかった。確かにアテアは強くなった。勇者としての能力も得た。……だが、妹なんだ。かけがえのない家族だ。

 もう止められないのだろうか。魔王との戦いは避けられないのか。


「どうかしたの? ボーっとしちゃって」


 アテアが振り返る。無言が続いていたので気になったようだ。


「いやなに、……本当に戦いが始まるのかと思ってな」


 アニが王宮に現れた後、目まぐるしく日々が流れた。

 アコン村を襲撃されたものの敵幹部を返り討ちにした。

 その後すぐにアコン村を含めた辺境の村々が焼かれ、王都にも魔物の群れが攻めてきた。それをアテアが一掃し、勇者の存在が世に知れた。

 勇者誕生に国中が沸いた。勇者の輝剣に希望の光を見た。だがそれは同時に、魔王の復活を証明するものでもあった。勇者と魔王が激突する未来はもうすぐそこまで来ているのかもしれない。


 なのに、今日はなんて平和なんだ。


「このまま何事も起こらないんじゃないかってそう思うんだ。そうしたら、アテアも戦わずに済んで――」


「それはないよ」


 願いにも似た私の呟きを、他ならぬアテアが遮った。


「戦いは避けられない――し、狼煙はすでに上がっているんだよ。これから各地で次々に勇者が覚醒していく。人間側が力を付け始めれば、自ずと魔王軍も動きだす。それが今日なのか明日なのかはわからないけれど、遠くない未来に人魔大戦は幕を開けるんだ」


 どことなく声を弾ませる。勇者の役割がそうさせるのか、気を昂ぶらせていた。


「どうせ戦争は始まるんだしさ、もしもの話なんてしても意味ないよ。そんなことより、今このときを思う存分楽しむべきなんじゃないかってボクは思うんだけど?」


 戦火はどうあっても避けられない。ならば、今の平和をできるかぎり享受しよう――そう語る。

 ああ、なんて強い妹なんだろう。私なんかよりよほど。


「あ、そうだ! 明日さ、さっき言った湖に行こうよ! お弁当を持って! リリナちゃんとかも誘ってさ! みんなでピクニックだ!」


 明日すらわからないと言った口が明日の予定を立てる。アテアのこのいい加減さは不思議なものでさっきまであった不安を取り除いてくれた。

 私は人一倍心配性なのかもしれない。アテアの言うとおり、仮の話で気を紛らわそうとも現実は何一つ変わらないのだ。思考するならもっと建設的なことがいい。

 ひとまず、ピクニックか。


「そうだな。行くとするか。しかし、明日すぐというのは難しいぞ。大事な会議がある」


 アニが辺境出身の主だった若者を東の平原に集めて防災訓練をしたいと提案した。それを王や大臣に進言し許可をもぎ取るため、明日の会議には必ず出席しなければならなかった。進言自体はそう難しくない。王室は城郭の外にいる避難民を辺境に戻して復興事業に当てるつもりでいるので、アニの提案に反対する理由がない。ただ、急いでほしいとのことだったので明日の会議は絶対に外せなかった。


「えー? じゃあ明後日は? 明々後日は?」


「そう矢継ぎ早に訊くな。公務が無い日は基本的に無いのだが、……日をずらせる公務があるのは直近で五日後だな」


「じゃあ五日後ね! やったぁ! 姉さまとピクニックだ!」


 そのはしゃぎっぷりは勇者になる前のアテアそのものだった。どれだけ別人みたいに変わろうともアテアの本質はそのままだった。


 どうせ戦いが始まるのなら――……そうだな。今を精一杯満喫するとしよう。


 せめて悔いのないように。



「あ、そうそう。湖に着いたら姉さまにひとつだけお願いがあるんだけど、聞いてくれるかな?」


「ん? 何だ? 私にできることなら何だってするぞ?」


「それを聞いて安心したよ。うひひひひ」


「?」


「五日後かー。楽しみだなあ!」


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