王女姉妹の日常(前と後)①
この章は第28部分~第29部分の間に起きた出来事です。
時系列が前後して申し訳ありませんが、ご了承ください。
わたくしには年が三つ離れたお姉さまがいる。
凛々しくて、かっこよくて、どんな殿方よりも男らしく威風堂々としているお姉さま。真面目で少し融通が利かないところが玉に瑕だけど、わたくしはそんなお姉さまに憧れていた。
ほら。今朝もまた、裏庭にある厩舎に向かって歩くお馬さんの蹄の鳴る音が石畳に響いている。朝の澄み切った空気の中だと遠くからでもよく聞こえる。お姉さまは毎朝、馬術の稽古も兼ねて野山に遠出しているのだ。そこから帰ってきたということはもうすっかりお日さまが高い位置にいることを示していた。
お寝坊さんなわたくしを起こすお姉さまからのモーニングコール。
そんな優雅な朝を無遠慮な声が邪魔をした。
「ほらほら! アテアお嬢さま! いつまで寝ているおつもりですか! さっさとお起きになられてくださいな! 朝食の準備もできておりますから!」
「待ってぇ。まだ寝てたいぃ。いやぁん、お布団取らないでぇ」
わたくしの乳母――お世話をしてくれているばあやが、わたくしをベッドから出そうと強硬手段に打って出た。わたくしは負けじと抵抗した。お布団にしがみつきずるずると引きずられていく。結局ベッドの外へと放り出されてしまった。
「いったーい! 意地悪しないでよぉ」
「何を言っているんです! ヴァイオラ様はもうとっくにお起きになられているというのに!」
「お姉さまと一緒にしないでぇ」
「はあ、まったく。アテア様もそろそろ十五におなりになるというのにいつまでそう子供でいるおつもりです? ヴァイオラ様でしたら七のときにはもうご自分で起きておられましたよ」
「ぶう」
お姉さまと比べられても困る。だって、お姉さまは完璧超人なんだもん。
怠け者のわたくしとはそもそも出来が違うのだ。
「姉さまは? もう朝ご飯は食べられた?」
これからならぜひ同席したい。お姉さまのお顔を見ないことにはわたくしの一日は始まらないのだ。
「ヴァイオラ様でしたら先に汗をお流しになるそうです」
「え!? お風呂!? やったぁ! 姉さまと一緒に入ります!」
「困りますよ、アテアお嬢さま! 料理長にも他に仕事があるのですから早く食べていただかないと!」
「お風呂の後でぇ!」
るんるん気分で支度する。まったくもう、と呆れ返るばあやの声を無視して、わたくしは急いで部屋を飛び出した。
◆◆◆
脱衣所にはすでにお姉さまがいて、とっくにすっぽんぽんになっていた。
「アテア? こ、こら、勝手に入ってくるな!」
「一緒に入りましょう! ヴァイオラ姉さま~」
お姉さまは慌ててタオルで体を隠した。姉妹なのだから恥ずかしがらなくてもいいのに。変なの。
「昔はよく一緒に入ってくださいましたのに、近頃はひとりで入れとおっしゃいます。わたくし、ずっと寂しかったんですのよ?」
「子供じゃあるまいし。アテアももうすぐ十五だろうに」
「もう! ばあやと同じこと言わないでください!」
「仕方ないな」
そう言って最後には折れてくれるからチョロ……もとい、優しいお姉さまだ。
いそいそと服を脱いでいると何やら視線を感じた。顔をそちらに向けると、お姉さまがわたくしをじっと見つめていた。――? わたくしのお胸を見ているのでしょうか? その目つきも何だかちょっと恐いような……。
次いで自分の体を見下ろすと、はあ、と落胆した溜め息を吐き出した。
「どうしてこうも姉妹で違うのだろうか……」
「姉さま? 一体何の話ですの?」
「何でもない。先に入ってるぞ」
「あん! 待ってください! 姉さまぁ!」
姉さまの後を追って浴室に入った。
この王宮には大浴場がある。わたくしたち王族はもちろん、王宮で働くひとたちにも使用できる曜日や時間を設定して解放している。何でも、近くに天然温泉が湧いていて、そこからお湯を引っ張ってきているのだとか。
湯船に浸かりながら、お湯を手ですくって首をかしげた。
「でも、近くに火山なんてありませんわよね? どうして温泉が湧くのかしら?」
その疑問には、お湯に肩まで沈めた姉さまがふやけた様子で答えた。
「何でもこの辺り一帯は大昔は海だったんだそうだ。何千年もかけて地下深くで熱せられた海水が何の偶然か湧き上がってきたんだ。ほら、舐めてみるといい。少し苦いだろう? これは塩分濃度が高いからなんだ」
「あら、本当ですわ! 姉さまってば博識ね!」
「王宮の学者の受け売りだ。それに、あくまで仮説であって本当かどうか定かじゃない」
どちらでも構いませんわ。なんにせよ、王宮の近くに湧いたのはすごい偶然! すごい幸運! おかげで朝からお風呂を楽しめます♪
「それは違うぞ。むしろ逆で、温泉が湧いていたからこの土地に王都を作ったんだ。王宮のほうが後乗りしたんだ」
「そうなんですの!? でしたら、ここを王都に決めたご先祖さまに感謝しなければなりませんね!」
「ふっ、そうだな」
他愛のない話に笑みをこぼすお姉さま。リラックスしている証拠だった。
「お背中流しますね」
「ああ、頼む」
お風呂に入るとお姉さまはいつになく素直になる。『鉄血姫』と呼ばれるヴァイオラ姉さまがその仮面を脱ぐことができる数少ない瞬間だった。
お姉さまは十五のときにはもう政に参加し、お父様や大臣たちと一緒にこの国の行く末を議論していた。普段着に軍服を着るようになったのもそのときからだ。アンバルハルは今は平和だけど、防衛能力が低いからいつ他国に侵略されるかわからない。外敵に備えて軍事にも力を入れるべきだと、お姉さまは体を張ってそう主張してきた。
わたくしには難しいことはよくわからないけれど、お姉さまはいつだって何かと闘っていた。それが日常だった。気が休まる瞬間は就寝時か今このときしかない。付け加えるなら、アコン村のリリナちゃんと会っているときくらいしか。
できるかぎり労って差し上げなければ――。わたくしはそう思い、日頃の感謝を込めてお姉さまの背中を洗った。
石鹸の泡が滑るきめ細かな背中。お湯で洗い流すと水滴を弾いてきらめいた。なんて美しいんでしょう。うなじもくびれも惚れ惚れするほどに魅力的。陶器のようにスベスベな肌は見ているだけで吸い込まれそう。
はあ、と思わず感嘆の溜め息を吐いていた。
「姉さまってば本当にキレイ。将来、結婚なさる男性が羨ましいです」
「何を馬鹿なことを言っているんだ」
お姉さまは呆れたように言った。
「私は『鉄血姫』の変わり者だぞ? 結婚どころか恋愛だって遠い話だ」
浮ついた話そのものにではなく、自分を卑下して鼻で笑った。
「殿方には扱いづらいことこの上ないだろうな。誰も私のことなど相手にしないさ」
「ね、姉さまでしたら引く手数多ですわ!」
「ああ、そうだな。たしかに私を娶れば、もれなく王位という名の権力が手に入る。私の女としての価値はその程度だ」
「そんなこと……」
それはあまりにも卑屈がすぎるのではないか。何か反論しようとしたけれど、わたくしは二の句が継げなかった。お姉さまはわたくしに慰めの言葉を期待してこんな話をしているのではないとわかったから。
卑下でもなんでもなく、それは覚悟の話だった。
「私に伴侶は要らない。世継ぎが必要なら、それはアテア、おまえの子供に譲るさ。そうとも。それが私の願いだ。アテアや、アンバルハルの民が安心して暮らしていけるような国にする。そのための礎になれれば私は本望だ」
「姉さま……」
「アテアにこそ良いひとが現れてほしいな。おまえは本当に可憐で美しい。女性としての魅力もある。だから」
まるで自分は違うとでも言うように。
でも、よく見れば生傷が絶えない体をしている。ところどころ日に焼けているし、細腕も筋肉で引き締まっている。剣術や馬術の鍛錬を日々欠かしていないことがわかる。お姉さまの言うように、夫を立て家事育児に専念することが女の美徳だと考えられているこの国で、お姉さまのような在り方では殿方は寄ってこないだろう。
女を捨てた。だからこその強い信念。
「ありがとう。次は私が洗ってあげよう。ほら、背中を向けろ」
「はい……」
妹のために、お国のために、自らの幸せを犠牲にするお姉さま。
背中を洗う迷いのなさがわたくしを切なくさせた。
◆◆◆
姉さまの一日は予定がぎっしり詰まっている。午前は主に勉強とお稽古事をこなし、午後は王族の公務をする傍ら、お父様と一緒に会議にも出席している。
公務中はたとえ王宮の中であろうとわたくしとすれ違っても緩んだ顔は一切見せなかった。いつも毅然と前を向いている。その顔つきは第一王女としてではなく、一介の騎士を演じるような不屈さを感じさせた。軍服を纏うのは、その精神に近づけるための自己暗示なのかもしれない。
強く、凛々しく、気位の高い――鉄血の王女。
どんな殿方よりも男らしく威風堂々としている。それを、少しばかり哀しく思った。
いつか物語に登場するような勇者が現れたら――国を守り、民を導き、お姉さまから役割を剥奪してほしい。そして、ひとりの女性として幸せにしてあげてほしい。そう願わずにいられなかった。




