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SIDE―兄③ 新生魔王


 魔王軍が『ハザーク砦』から王都アンハルに拠点を移し、完全に大陸に根を下ろし始めてから早くも一ヶ月余りが経過していた。大陸全土を侵略しようと躍起になっている魔族たちにとって元々住処としていた〝最果ての島〟への関心は今ではほとんどなくなっていた。


 常に曇天が広がり、太陽の光が雲間から差し込むことすらない不毛の大地。


 そこに聳えるは古色蒼然とした石造りの『魔王城』――その堂々たる佇まいは威風に満ちあふれ絢爛さを誇っていた。


 だが、ひとたび灰色の大地を背にした途端、その姿は幽昧で不気味な廃墟の如く映った。城壁には濃い影がべったりと貼りつき、頭上の空は頻繁に雷鳴が轟いている。人間から見れば〝魔族の王〟が棲むに相応しいラストダンジョンの様相を呈している。


 魔王も、そして配下の魔族たちも、そのように思われることは甚だ遺憾であり、早くこの忌まわしき本城から脱出したいと切望していた。大陸に進出した今となっては故郷を顧みる者は少なく、ましてや帰還を志す者など一人もいない。此度、『魔王城』は魔王の躍進に伴い完全なる廃墟と化したのだった。


 道なき荒野が足取りを鈍らせ、峻険な城壁に落とされた鉄格子が行く手を阻み、見上げるほどに巨大な大扉が最後の意気地をへし折りにくる。


 それでも城内に踏み込めたなら、今度は大理石の床と豪勢なシャンデリアに目を奪われることだろう。広々として寒々しいはずなのにホールは均整が取れている。内装や調度からも知性と品位が漂い、来訪者に格の違いを見せつける。


 壁掛けのランタンが独りでに灯されていく。その灯りを辿って奥へ奥へと突き進めば、やがて城の中心部に辿り着く。


 魔王がおわす謁見の間――


 ハルスは緊張した面持ちで歩廊を進むと、アニが座る玉座の前で停止した。


「よう、ハルス。待ってたぜ」


 大きすぎる背もたれと人間の体格があまりにも不釣り合いなその椅子に、アニはまるで普段使いの椅子に腰かけるかのようにくつろいだ様子で肘をついていた。


「……すっかり魔王気取りですか?」


「いやいや、これでなかなか座り心地はいいぞ。眺めもな。おまえも後で座ってみたらどうだ?」


「遠慮しておきます」


 いくら無人とはいえここは『魔王城』の内部である。どんな罠が残っているかもわからないのに、アニのあまりの緊張感のなさには呆れ返るしかない。


「心配は不要だ、ハルス」


 思ったことが顔に出たのか、リンキン・ナウトが横から口を挟んだ。


「この椅子はおろか城内のどこにも仕掛けはない。元々人間を迎え撃つための要塞ではなかったのだろう。罠の類は一切なかった」


「ワシとリンキン・ナウト殿で虱潰しに調べたからのう。もちろん魔族の残党も一匹たりとも残っておらんから安心せい」


「はあ……」


 懸念が晴れたのはいいとして、しかしハルスが言いたかったのはそういうことではない。


 最近のアニのはしゃぎようは目に余った。ヴァイオラの亡命先を探して東奔西走している辺りから羽目を外しはじめ、ついには思いつきで魔王城を占拠しにここ〝最果ての島〟まで遠出する始末だ。


 今、アニの傍らにはリンキン・ナウトとジャンゴが立って控えていた。この構図もまた魔王と麾下の幹部といった風情である。わざわざこの廃墟を乗っ取ったのもこうして魔王軍の真似事がしたかっただけなのではないかとつい勘繰ってしまう。


 二人はアニを主と認めているのでこんな扱いにもそもそも不満はないのだろうが、ただの協力者のつもりでいるハルスは自分も魔王軍の一味に加えられているようで面白くなかった。いつの間にか周知された〝闇魔導士〟という肩書きがより()()()を強調しているのもまた気に入らない。


「こんなところで格好つけている場合じゃないでしょう。ヴァイオラ陛下は亡命先の王と無事面会できたんですよ」


「おっ、さすがは〝闇魔導士〟だ。情報が早い」


 ハルスが習得した闇属性魔法、とりわけ死者を操る《喪屍/コープスリバイバル》はあらゆる用途への汎用性が高く、特に斥候や偵察といった情報収集において効果を発揮した。操れる死体は何も人体だけではない。ハルスが得意とするのは鳥類の使役で、上空から視覚共有した〝鳥の目〟での監視である。目的地を長期に亘って定点観察できるし、標的を自動追尾することも可能だ。


 今も、ヴァイオラが匿われている王宮の外を使い魔がうろついており、大きな動きがあれば逐一視覚情報が伝達される仕組みになっている。


 我ながら大した魔法だと痛感するが、闇属性であることを後ろめたく感じているハルスは、肩書きで褒められるのはあまり好きではなかった。


「茶化さないでください。これくらい適性があれば誰でもできます。って、そうではなく! いいんですか!? 放っておいて!」


「ん? 何がだ? 王と会談できたんだろ? 朗報じゃないか」


「魔王軍によるアンバルハル統一はもう間もなく完了します。各国も戦争の準備を始めています。世界が大きく変動しようとしているんです! こんなときこそ陛下のおそばに付いていたほうがいいんじゃないですか!?」


「ヴァイオラは放っておいて大丈夫だ。計画通り進んでいるし、問題ない」


 もどかしそうに訴えるハルスに対し、アニはどこ吹く風だ。


「むしろ今は行動を控えたほうがいい。俺たち裏方は隠れるのも大切な仕事だぞ」


「だ、だからって何もこんなところにまで来なくても」


「おいおい、俺がここに遊びや観光で来たとでも思ってんのか?」


「べ、別にそこまでは言いませんが。きっと何か考えがあってのことだと思いますし」


「まあ、遊んじゃいるけどな」


 魔王気取りは本人も自覚していたようだった。


「……っ」


 なおもハルスは言葉を被せようとしたが、飄々としたアニの態度から何を言っても無駄だと悟った。長い付き合いからそれくらいのことなら汲み取れる。挙句の果てには「占星術で占った結果だ」とかなんとか言ってはぐらかされるのがオチだ。


 ハルスは苛立たしげに頭を掻きむしった。


「ああもう、どうして僕は親衛隊じゃなくこの人のほうに付いてきちゃったんだろう……」


「おまえを一番見込んでいるのは俺だからな。実際、これまで出会った中でハルスが一番有能だ」


 リンキン・ナウトとジャンゴの視線が痛い。たとえおべっかでも時と場所を考えてほしい。


 何度目かの溜め息を吐こうとしたとき、突如としてハルスの視界に使い魔目線の映像が差し込まれた。


〝最果ての島〟の各所に配置した鳥たちは『魔王城』に向かって移動する物体にのみ反応するよう設定してある。飛んできた映像には一人の魔族の姿が映っていた。


「アニ! もう間もなく魔族がここに――」


「わかってる。慌てるなよ、ハルス。全部予定通りだ。まあ、思っていたよりも早くはあったが」


 緊急事態にも関わらずアニは不敵とも言える笑みを浮かべた。


「俺たちはそいつを迎えるためにここに来たんだ」


◆◆◆


 謁見の間に現れたのは、数日前まで魔王軍幹部だった【鬼武者ゴドレッド】であった。


 玉座に座るアニを視界に入れるとにわかに目を険しく細めたが、無言のまま玉座の前までやってきた。甲冑が踏む足音が緊張感を高まらせる。ハルスは恐怖に息を呑み、リンキン・ナウトとジャンゴはいつでも飛び掛かれるようにそっと腰に佩いた剣の柄に指を這わせた。


「おまえたち、そう警戒するなよ。この男は不意打ちや騙し討ちを嫌う。そうだろう、ゴドレッド?」


「不遜なり。人間風情が我を推し量るな」


 ただ一言発しただけで、内含された怒気が周囲に放出され、大気の揺れが壁や天井にまで伝達した。ハルスは思わず竦み上がった。ゴドレッドの来訪の理由は不明だが、この邂逅が決して望まれたものでないことだけは理解できた。


「な、なぜ魔王軍の幹部がここに?」


「元、な。この男は先日魔王軍を抜けたばかりだ」


「え?」


 事情を知らなかったのはリンキン・ナウトとジャンゴも一緒だが、内容がどうであれ驚愕程度で二人の警戒態勢が解かれることはない。アニは苦笑しつつ動揺するハルスに聞かせる態で二人にも説明した。


「戦争が終わった後にこっそり会いに行って、そのとき誘ったんだ。まさかこんな早く来てくれるとは思わなかったぜ」


「な、なんて無茶を……」


「もちろん星を読んだ上で、な。ゴドレッドが魔王軍を抜けるのを俺は事前に知っていた」


 当然、占星術などではなくゲームで得た知識と、妹が仕込んだ策略を見抜き予想しうる展開を読んだ上で導き出した可能性の一つであった。


【魔王降臨】のプレイ開始時から妹の選択――魔王軍の動きをつぶさに監視してきたアニは、当初より錬金アイテム〔復活の腕輪〕を妹が入手しようとしていることには気づいていた。〔復活の腕輪〕という超レアアイテムはボス戦が厳しくなる終盤で死を回避すべく味方に持たせることがこの手のゲームの定石なのだが、しかし妹は第一章という序盤から入手する動き方をした。


 お互いにゲーム既プレイ者だからこそ〔復活の腕輪〕が第一章ラストステージにおける攻略の鍵であることを知っていたのだ。


 アニは勇者アテアの『背中側からしか攻撃を受け付けない』特性を利用し、背中側に障害物を築いてアテアをその場から移動させない作戦を取った。こうすれば魔王軍はアテアの背後に回ることができず攻撃が効かない正面からしか挑めなくなる。


 妹はそれを読み切った。そのうえで、アテアの背後を取るには味方を殺す必要があると考えた。アテアに渾身の一撃を撃たせて前進させ、殺されたキャラクターを追い越させる。その後に死んだキャラクターを復活させれば見事背後を取れるという寸法だ。


 そして、その役に抜擢されたのがゴドレッドだった。機動性は低いが攻守のステータス数値は幹部一であり、一対一の真っ向勝負でアテアに対抗できるのはゴドレッドしかいないからだ。


 アニはそれを読み切った。同じ立場なら自分もそうしただろうから。復活したゴドレッドはアテアの背後を強襲し、戦況は逆転した。


 そうして、兄と妹の第一戦は出来レースのように消化されていった。フウガの登場は予想外で余計な展開だったが。


 しかし、はたして妹はさらにその後に起こり得る展開を読み切っていただろうか。


 妹の策略が無事嵌まり第一章ラストステージを勝利で飾ることには一応成功した。アニもそうなるよう要所で誘導はした。それにはもちろん狙いがあってのことである。


 妹は〔復活の腕輪〕をゴドレッドに持たせ、兄はそれを読み切った。


 魔王に利用され、挙句卑怯な手を強制されたゴドレッドが【忠誠心】を激減させる可能性も、兄は読んでいたのだ。


 戦争後、アニは占領されたアンバルハル王宮に自ら赴き、単独行動をしているゴドレッドを捕まえて説得した。遠回しに魔王軍を抜けるよう唆し、元魔王城に来るように誘ったのである。


 これで困るのは主力メンバーを一人失う魔王軍サイドである。戦力削減を回避するためにも、強制的に発生する離反イベント内で、(プレイヤー)はゴドレッドを何が何でも思い留まらせる必要があった。しかし――


(あのバカ妹は人の気持ちがわからない。だから味方を平気で切り捨てられる。どうせ『離反イベント』を見た後も、まあいいか、ってな感じで大して気にしちゃいないだろう。アイツはそういう奴だ)


 妹がゴドレッドを引き留めようとしたのかどうかは知らない。だが、ゴドレッドがここにやってきたことが一つの答えであった。


「よく来てくれた。歓迎するぜ」


 ゴドレッドは武装こそしていなかったが、総身からは常に敵意があふれていた。硬い声音で言い返す。


「我がいまうぬに襲い掛かれば一瞬でその命を摘み取ることができる。そのあと、ここにいる部下たちもうぬの後を追うことになる」


「かもな」


「ならば、発言には気を付けることだ。つまらぬ理由で我に無駄足を踏ませたとあらば、そのときはわかっていような?」


 脅しとも取れる忠告に対し、アニは労わるような笑みをこぼした。


「了解した。だが、もしそんなことになったらあんたは自分を許せなくなるんだろうな」


「……」


 アニのわかったふうな物言いを、ゴドレッドはなぜか反発することなく聞き入った。推し量るなと言いつつも理解者にはその限りではない。胸襟を開ける相手がいる安心感をゴドレッドはかつて知っていた。


 まさかアニが被っているキャラクターが知己であるとは夢にも思わないので、不可思議な心地のままアニの声に素直に耳を傾けた。


「挨拶はこれくらいにしてさっさと本題に移ろうか。――鬼武者ゴドレッド、俺たちの仲間になれ」


 何を問われるか予想していたのか、ゴドレッドは間髪入れず返答した。


「断る。魔王様の許を離れたからといって、うぬら人間に寝返るほど落ちぶれてはおらぬ。そして、問えばなびくと思われていることも我に対する侮辱である」


「そうか。侮辱したつもりはないが、残念だ」


 アニとしても予想通りの答えであった。


 そのとき、ここに一つ疑問が生じた。勧誘されると知っていながらゴドレッドはこの場に現れた。アニも断られると知りながらゴドレッドを誘った。この場における問答の結果は最初からわかりきっていたのだ。


 ではなぜ二人はこのような茶番を行っているのか――


「ゴドレッド、あんたはこれから世界を旅しながら〝勇者狩り〟をしていく気だろう?」


「それが我の望みだ」


「なっ!?」


 これにはハルスも色めき立った。リンキン・ナウトとジャンゴに至っては今にも剣を抜こうかという剣幕である。アニは片手で制して三人を止まらせた。


「そうか。じゃあ、好きにやれ。遠慮はいらない。一対一での決闘が難しかったらその舞台をこっちで整えてやってもいい」


「アニ!? 何を言っているんです!?」


「ハルス、落ち着けよ。勇者は人類の味方かもしれんが、俺の味方である保証はないんだぜ? バーライオンっていう前例もある。力を手にした人間ってのはそれだけで脅威なんだ。あちこち増えすぎて好き勝手やられて、挙句こっちの足まで引っ張られたらそれこそ迷惑だ」


「そ、それはそうです、けど……」


「その代わり、指定した勇者との戦闘はなるべく避けてほしい。こっちの味方になりそうな勇者な。俺があんたに頼むのはそれだけだ」


 ゴドレッドはしばし黙考すると、やがて重々しく口を開いた。


「我からも条件がある。各地に出没する勇者の情報を逐一報告せよ。誰と戦うかは我が決めるが、人選はうぬに託そう」


「了解だ。じゃあ、盟約を結ぼう」


 そう言ってアニは玉座から飛び降るとゴドレッドに握手を求めた。ゴドレッドの大きすぎる手のひらがそれに応じ、ここに盟約が結ばれた。ハルスもリンキン・ナウトもジャンゴも一様に呆気に取られた。


 これは、この交渉をするためだけに設けられた〝場〟であった。ハルスたちに元魔王軍幹部との繋がりを知らしめる目的はもちろんのこと、同じ口約束でも儀礼的に交わした〝盟約〟であれば、単純なゴドレッドなら従ってくれるだろうという思惑もある。そしてそれはゴドレッド側でも同様で、信用ならない相手でも礼儀を尽くせば応えてくれるという騎士道精神に則った思考に因るものだった。


 仲間ではなく協力関係にあることを自他共に認めさせる儀式なのだった。


「よろしくな。ゴドレッド」


 すべてが予定通り。


 また一つ『手駒』を手に入れた。


◆◆◆


 再び玉座に座りなおし、用が済んで帰っていくゴドレッドを見送った。


 監視の目を増やしてゴドレッドの動向を追うハルス。今後の指針や警護体制について話し合うリンキン・ナウトとジャンゴ。働き者の部下たちを頼もしく感じつつ、アニは頬杖をつきながらこれまでの冒険を振り返った。


 辺境の村での自作自演から始まり、国の命運を賭けた最後の戦争では采配を振った。その途中であわや命を落としかけたこともあったが、今となってはいい思い出だ。


 ひと段落ついて何もかもが懐かしく感じる。


 心に余裕が生まれているようだ。安心して目を閉じる。こうしたまったりとした休息もこれが最後かもしれないと思いながら。


 不意に、普段考えまいとしていた〝生前のこと〟が脳裏を過ぎった。


「お兄様」


 思考を見透かしたかのようにぬるりと耳元で囁かれた。振り向けば、頬と頬がくっつきそうな距離にレミィの顔があった。


「お疲れですのね、お兄様」


「……いいや、退屈すぎてふと睡魔に襲われただけだ。今はゲームの再開が待ち遠しいぜ」


 三人に気づかれることのないように小声で返す。至近距離での会話は恋人同士の睦言のように密やかに交わされる。


 レミィはくすりと笑い、両手を首に回してきた。


「それはそうですの。お兄様はちゃっかりゴドレッドまで味方に引き入れてしまいましたもの。あの三人といい、手駒が増えてさぞ気分もよろしいですわね、お兄様は」


 そう言われると、自分が手に入れた玩具をひけらかしたがる子供のように思えて気恥ずかしくなる。大人の片鱗を見せ始めたレミィに指摘されたこともまた照れ臭さに拍車を掛けた。


 このインターバルの期間にレミィは成長していた。


 いや、アップデートされたかのように見た目がいきなり変わった。これまで小学校低学年くらいの体型だったのが今は妹と同じ中学生かそれ以上に見える。金髪碧眼とポニーテールは相変わらずだが、身長は伸び、体のラインはすっかり女らしい丸みを帯びている。アニは平静を装っているが抱きつかれるたびに心音が高鳴った。それくらい魅力的な女性に変容していた。


 だが、中身は変わらず出会った頃のレミィのままだった。無邪気で裏表がなく、アニのことを〝お兄様〟と呼び好意的に接してくる。無防備に抱きついてくるし、暇さえあればベタベタしてくるし、寝床にもお風呂にも容赦なく潜り込んでくる。アニが理性を保つのにどれだけ苦労していることか。


 そう。つまり、気をつけるべきはアニの方なのだ。アニが接し方を間違えるだけで今の関係性は瞬く間に崩れてしまう。レミィが変わらないのならアニもまた意識する必要はない。これまで通りを装って、これまで通りの関係性を貫くことがベストである。


 ゲームシステムである彼女とはこれからも行動を共にする。余計な摩擦が命を落とすような窮地を招かないとも限らないので、内心の動揺はこの先も悟られないように努力する他なかった。


(まったく。俺の苦労も知らないで)


 ついレミィを見つめてしまう。レミィは不思議そうに小首を傾げた。


 ()()()()()とは似ても似つかない。


 救いがあるとすればその一点だけだった。


「バーカ。俺はおまえほどはしゃいじゃいねえよ。いい加減離れろ、暑苦しい」


 頭を優しく小突いてやると、レミィは頬を膨らませながらも素直に首に絡めた腕を解いた。触れそうな顔の位置は依然として変わらなかったが。アニ以外にレミィの姿は見えていないので、誰にも気づかれずに小声で会話を成立させるにはこの距離感を保つしかない。


 テレパシーで話せば済むことではあるが、アニもレミィも直接話したい気分だった。実際のところ、無自覚ではあるが二人ともどこか浮かれていた。


「でも、上手くいっているのは事実ですの」


「まあな」


「魔王軍から仲間を引き抜いて、妹ちゃんの陣営を空にする。そういう作戦なのでしょう?」


「いや、さすがにそれは難しい。ゴドレッドみたいな脳筋のほうが珍しいし、何より妹はあれで人を操るのが上手い。一人でも離反者が出た以上、これからは意識して幹部を従わせるだろうな」


 数あるうちの一例にすぎないが、妹は自分にとって都合がいいことを、まるで相手の利益のように提案することがある。上手く行けば恩を着せられるし、失敗しても相手に負い目を与えることができるからだ。そして、その一回を皮切りに常に優位な立場から意見していくのだ。


 それ以外にも責任転嫁したり被害者ポジションを取ったりして自分を正しく見せて信頼を得ようとする。場合によってはまったく無関係の人間をやり玉に挙げて注意を逸らし見せしめにして、余所に敵を作ることで話し相手を味方に引き込んだりもする。


 そういった話術を無自覚にこなせるのが妹だった。嘘吐きの典型であり、なのに嘘を吐いている自覚がないという異常者。


 どうせ引き籠もった理由や兄妹仲が悪い原因なんかも()()()()()()()()を吹聴しているはずで、生きていた頃は身に覚えのない誹謗中傷で随分と苦しめられた。自殺をしたのも半分近くは妹が関係している。


 その妹が本気で魔王軍を再編しようとしているのだ。ゴドレッドの離反はおそらく想定外だったと思われるが、闘争に従順なゴドレッドをあえて切り捨てて、むしろ外で暴れさせることで見せしめとし他の幹部たちの制御(コントロール)に利用した可能性もある。臨機応変に人を利用するのが得意な妹だからこそ、今後はますます歯止めが効かなくなると予想できる。


 この世界で卑怯に徹してきたつもりだが……今にして思えば、全部妹をお手本にしてきただけのような気がする。


 だから――


「俺はもう妹のようにはしない。そういう生き方は現実の世界に置いてきた」


〝何者か〟を演じ続けなければ生きて行けなかった人生だった。


 ようやく手放したと思ったのに、未練がましくしがみ付いているなんて滑稽にも程がある。


 ここはもう夢でもゲームでもない。


 アニの現実だった。


 自分を偽るのはもう止めだ。


 好き勝手生きてやる。


 生前我慢してきたことをこの際全部やってやる。


「お兄様……。では、もうお決めになられましたのね?」


 頷く。前髪を掻き上げて露わにした双眸を深紅に光らせた。


「俺が妹に取って代わる。この〝アディユス〟を新生魔王にする。今この瞬間こそが【魔王降臨】だ」


 妹への嫌がらせのためだけに生きるなんてつまらない。


 自ら主役に立とうと思ったのはこれが初めてだった。おそらく二度の人生を生きてきて初めてのことだろう。アニの顔はいま清々しいほどに決意に漲っていた。


「最後まで見届けろよ、レミィ」


「はいですの! だってレミィはお兄様と一心同体。この世界のシステムですの!」


 物語を創るも壊すも思いのまま。


 斯くして、生前〝何者〟にもなれなかった少年は、これまで無縁だと諦めていた〝希望〟を胸に立ち上がる。


〝本物の英雄〟になるために――



―――――――

 第一章 完

―――――――



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