アニと妹王
パキンッ――アテアの剣が折れてその切っ先が地面に突き刺さった。
黒剣はフウガの胸をまっすぐ突き刺さっている。背中まで貫通した刀身を、手首の返しで捻じ込み駄目押しに〝闇の波動〟を撃ち込んで内臓を破壊した。
『魔王とアディユスの連携スキル《天地始粛死/アメツチハジメテサムシ》が炸裂した!
フウガに大ダメージを与えた!』
『534』
フウガは堪らず吐血した。
「がふっ! ――かはっ、はっ、はあ、はあ、……は、ははは、フハハハ! わ、わしともあろう者が、ま、負けたか……!」
凄絶な笑みを浮かべながらも全身は悔しさで小刻みに震えている。生前、王国の謀略によって暗殺されたため純粋な武力での敗北はこれが初めてだった。多勢に無勢であろうとも武人として剣を執った以上、彼女に負けは許されなかったのだ。
だが、一度は絶命し名前まで抹消された身にエトノフウガ族の矜持はもはやない。名や体面に執着しなければこのような無様も耐えられる。そう。一度限りの敗北と割り切るならば――
今だけ……今だけ恥を忍んで堪え切れれば――
(わしはまだ死にとうない!)
黒剣を胸から引き抜くと、ふらりと覚束ない足取りでフウガは移動する。その動きはひどく緩慢であり、どのような害意も含まれていなかったせいでアディユスも魔王も即座に反応しそびれた。
戦友の肩を借りるが如き親しさで魔王の体にもたれかかった。
「ククク、これがわしの起死回生の一手じゃ。もはや勝ちを拾えぬが、死を免れる見込みはあろう。小僧、うぬにわしが殺せるか?」
アディユスに向かってそう言った。その挑発はアディユスではなく魔王をその気にさせた。攻撃するのに手頃な間合いにいるのはむしろ魔王の方なのだ。
『何を言っているのだ? アディユスでなく余がおまえを葬ってくれる!』
だが、振り上げた拳がフウガの頭上に落されることはなかった。
魔王は彫像のように固まったまま動けなかった。
『な――に? う、動けぬ!?』
「この技は《不惜身命》と言うてな、触れた者の自由をも奪うスキルじゃ」
【槍聖】のサザン・グレーが覚醒して体得した捨て身スキル。フウガが直に食らい盗んだ勇者スキルである。
このスキルは接触した対象の動きを封じ、受けたダメージを対象にも伝達する。
すなわち、これからフウガが受けるダメージは余さず魔王も受けることになる。
「まあ、わしも動けぬのじゃがな。そのせいで背中ががら空きじゃ。わしを殺すなら今が好機じゃぞ?」
だが、たとえ背中から打ち込んだとしてもフウガに生半可な攻撃は通用しない。魔法であれば天撃魔法以上、物理攻撃なら固有スキルか〝闇の波動〟をまとった会心の一撃でなければおそらく殺せないだろう。
つまり、魔王もろとも殺すつもりで攻撃を繰り出さねばフウガは倒せない。
魔王を殺すつもりでなければ――
「さあ、小僧よ。どうする? わしと共に魔王を討つ覚悟はあるか?」
◇◇◇
魔王に手番が回ってきた。
『魔王はフウガの《不惜身命》で動けない!』
いやいやいやいや! なんだこの展開!?
せっかく追い詰めたと思ったのに、なによこの大どんでん返しは!?
サザン・グレーの《不惜身命》だって? 正規版に無いスキル使うなよ!
こ、これ、マジでまずいのでは!?
落ち着け。ちょっと冷静になろう。そうだよ。魔王のHPは全回復してあるじゃん。仮にアディユスの必殺技を食らったとしても『0』になる確率は低いはず……
あっ!? 待って! 《闇衣》解いてんじゃん!? 防御力下がってるじゃん!
通常状態の魔王のステータスで持ちこたえられるのか!?
……ギリギリだ。あまりにギリギリ。
ダメージ『1000』はたぶん入りそう。いや、そこまで行かないかも? ううん、行ってもおかしくない。うわあ、どっちだこれ!?
ヘルプ機能にあるワード解説書を開く。スキルの欄を開くと、【NEW】と表記されたスキルの中に《不惜身命》が新規登録されていた。スキルの詳細を閲覧する。
『隣接するマスにいる対象の動きを封じ無防備状態にする。無防備状態は、対象の防御力を50%引き下げる。対象が受けたダメージは能力者にも伝達し同ダメージを受ける。持続時間は3ターン。または、一度でも攻撃を受けた時点で効果は消滅する。』
防御力50%ダウン!?
ヤバいヤバいヤバい! こんなん確実に魔王も死んじゃうってば!
アディユスはなぜだか魔王を殺したがっていたし、フウガもまとめて殺せるなら一石二鳥だし。
マジ詰んだ……
いやあああ! そんなのやだああああ!
アディユス様と一緒に死ねるなら本望ーっ! とか思ってたけど、私だけ死ぬのは違うから! しかも他でもないアディユス様に殺されるなんてそんな悲劇望んでねえっ!
私はお兄ちゃんをぶっ殺したいだけなんだよ!
まだゲームを続けてたいよ!
お願い! アディユス様! 殺さないで!
◆◆◆
なおもしぶとく生にしがみつくフウガには呆れを通り越して感動すら覚えた。苦戦を強いられた上にこうまで往生際が悪いとは。思わず毒気を抜かれそうになったアニだったが、黒剣を構えなおして眉をひそめた。
「……私が魔王を殺すのに躊躇うと思ったか? 魔王もろとも殺せるならば願ったりだ」
フウガは微笑するだけで何も言い返さなかった。妹魔王を後ろから羽交い絞めにしているが隙だらけで、妹魔王ごと剣で貫けばいとも簡単に殺せるだろう。
反対に、妹魔王を避けてフウガだけを攻撃することはできそうになかった。《不惜身命》は歴とした勇者スキル。ただ妹魔王を盾にしているのではない。たとえ妹魔王を傷つけないよう注意を払ったとしてもフウガに与えた衝撃は必ず妹魔王にも伝播する。そういう類の呪いであった。
また、両者にダメージを与えるとして、フウガのみを殺し妹魔王が死なない程度に手加減することは今のアニには難しい。いや、それほど繊細な力の調整は誰であっても不可能だろう。手加減してはフウガを殺すことができないからだ。
両者を殺すか、否か――選択肢はそれだけだった。
「いやあああ! そんなのやだああああ! アディユス様と一緒に死ねるなら本望ーっ! とか思ってたけど、私だけ死ぬのは違うから! しかも他でもないアディユス様に殺されるなんてそんな悲劇望んでねえっ! 私はお兄ちゃんをぶっ殺したいだけなんだよ! まだゲームを続けてたいよ! お願い! アディユス様! 殺さないで!」
ジタバタ暴れる妹の姿には魔王の威厳は皆無だった。やはり露出度の高いコスプレをしているただの中学生にしか見えない。
(ちっ……、やりにくい……!)
魔王が正規版どおりの背格好だったらこんな葛藤はしなかったのに。いくら大嫌いな妹でも家族には違いなく、肉親を手ずから殺したいと思うほど人でなしになったつもりはない。
(千載一遇のチャンスですの、お兄様。この機会をむざむざ見過ごす手はありませんわ)
レミィが背中を押してきた。
(フウガを全力で殺せば魔王も死ぬ。お兄様の勝利です。さあ、その剣で二人まとめてサクッと斬っちゃいましょうですの!)
「……っ」
(どうして迷っているのです? こういう状況を作るためにこれまでがんばってきたんじゃありませんの?)
そのとおりだ。レミィの言い分は正しい。
自らの手で魔王を討ち、正体を明かして妹をコケにし、兄の偉大さをわからせる。それらすべてがこの一手で叶うのだ。迷う必要がどこにある。
「ちょお!? アディユス様、本気じゃないよね!? 魔王とアディユス様はほら、師弟関係で仲良かったじゃん! 何があったか知らないけど対立するのは間違ってるってば! ね? ゲーム的にさ! ――待って待って! まだ死にたくない! 終わりたくない! えーん! もーっ、見てるなら助けてよーっ! お兄ちゃーんっ!」
「――くっ」
一瞬、ほだされかけた。
そこへ、瞳から光を消失させたレミィが感情の抜けた声で囁いた。
「ダメですの。この女は絶対に殺さないといけませんの。でないと、お兄様が浮かばれませんわ。すべての元凶であるコイツは苦しめて苦しめて苦しめ抜いた上で殺さないとダメなんですの。お兄様が勝った暁には、コイツを現実世界でも社会的に生きていけないように致しますわ。レミィはそのために招かれたのですから」
ゲーム開始時に妹を挑発するのに使った脅し文句を本気で実行するつもりらしい。システムを名乗る彼女ならきっと電脳空間を自在に操ることも可能なのだろう。
(レミィ……)
やっぱりか、と絶望とともに理解した。
(怨霊は俺だけじゃなかったってことなのか……)
この場で終わらせてよいものか再び葛藤する。妹との確執は一旦脇に置いておくとして、このままレミィを復讐鬼に堕とすことだけは避けたかった。
これは単なる兄妹ケンカだ。
レミィといえど、第三者に口を挟まれる謂れはない。
そうやって自分に言い聞かせた。
(――まだだ! まだ終わらせねえ! ゲームはまだ第一章で序盤も序盤だぜ。こんなに簡単に決着がついちゃつまらねえよ。そうだろ!?)
(……お兄様)
失望したように一層声が固くなるレミィ。振り向いてその顔を見ることができない。
(ですけど、この場でトドメを刺す以外に選択肢は残されていませんわよ? フウガの《不惜身命》はまもなく解けますが、《不惜身命》を解いたフウガにアディユスの攻撃はきっと通用しませんの。だって、フウガは元々防御力が高いですし、連携スキルでなければ多分ダメージは入りませんもの。さらに、フウガは何度だって妹ちゃんを盾にしますわ。連携スキルを使わせないために。このまま膠着状態が続いても何も解決致しませんの)
(じゃあ、フウガは何のためにこんなことをしているんだ?)
(さあ。こうして時間稼ぎをしている間に逃げる算段を考えているのかもしれませんわね。どの道、この状態が続くのはよくありませんわ。もしフウガが何らかの手段で回復してしまったら全滅エンドまっしぐらですわ。そうなる前にお兄様、覚悟を決めて妹ちゃんを殺してくださいまし)
黒剣を握る手に力を込めると、手汗が噴き出るのを感じた。
レミィの言うとおりここで殺さなければ……
でも――
「お兄ちゃああああん!」
「ま、お――」
(俺は……)
しばらく睨み合いが続いたが、その膠着状態は唐突に崩された。
先に動いたのは意外にもフウガのほうだった。
「どうやらわしにもツキが向いてきたと見えるわ!」
妹魔王を蹴り剥がしてアニに押し付けてきた。思わず受け止めてしまったが、次の瞬間、空から飛来してきた何かを妹魔王とともに咄嗟に見上げていた。
巨大な影が頭上に迫ってきた。飛行機と見紛うようなフォルムだがこの世界にそのような機械は存在しない。重量を伴った空気圧と激しい突風に妹魔王が悲鳴を上げた。
「いやあああ!?」
「な、何だコイツは!?」
真下から見上げていたアニたちにはわからなかったが、それは翼を広げた巨竜であった。
『我はエルダードラゴン。最古の竜である』
厳めしく名乗った巨竜に対し、フウガはくつくつと愉快そうに笑った。
「何事か起きぬかと期待して時間稼ぎしておったが、まさかおぬしが現れるとはな。腐れ縁も馬鹿にできぬわい」
『やはり貴様であったか。女の勇者よ』
「久しいな、喋る竜よ。いや、【武竜ガルギーア】と呼んだほうがよいかの?」
『その名は貴様ら人間が勝手に付けたもの。好きに呼ぶがいい』
フウガとエルダードラゴンはまるで旧友のような気安さで言葉を交わした。
アニは息を呑んだ。その巨竜はヴァイオラやアテアたちとともにバカンスで訪れた湖のほとりの洞窟に封印されていたのだが、とある愚かな貴族のせいで復活し、この世に災いをもたらそうとしていたのでアニとアテアで協力して再び眠りに就かせたことがあった。あの戦いを思い出しにわかに戦慄した。
そして、アニには知る由もないことではあるが、魔物を催眠するマジックアイテム【魔操の香】により眠らされたはずのエルダードラゴンを再び目覚めさせたのは、マジックアイテム使用者であるアテアの力が消失したことと、フウガの気配に触発されたからであった。
英雄ハルウスの武勇譚の一つに登場する『武竜ガルギーア討伐』は実際にあったフウガとエルダードラゴンの死闘を基にした伝説であり、この両者の間には百年以上も続く因縁があるのだった。
エルダードラゴンは蛇の目を眇めてフウガを胡乱そうに見下ろした。
『ところで、勇者よ。なぜ貴様が生きている? 貴様が我を封印したのは遥か昔のこと。人間の寿命などとっくに尽きていよう』
「人間どもの業により蘇生してしもうた。今のわしはもう人間ではない。それと、わしの名はフウガじゃ。以後、そう呼べ」
『以後だと?』
「わしをここから連れ出してくれ。こやつらと戦ってヘトヘトでな。逃げ出したくても余力がない。もうおぬしに頼むしかないのじゃ」
その懇願に驚愕したのはエルダードラゴン以外の全員だった。まさか逃げを打つとは誰も思っていなかったのだ。
ここでフウガを取り逃せば必ずや将来の禍根となるだろう。だが、誰にそれを阻止することができようか。フウガはもちろんのこと、いまエルダードラゴンに挑める者はもはやこの場にいないのだ。
望みがあるとすれば、エルダードラゴンがフウガの要請を突っぱねることだけなのだが――
『なぜ我が貴様を助けねばならぬ?』
「わしに復讐しに来たんじゃろ? じゃが、見ての通りわしは満身創痍。もう満足には戦えん。尋常なる勝負が望みならわしを無事ここから逃がすことじゃ」
『……』
エルダードラゴンは眼下に並ぶフウガ、魔王、アニを順に睥睨すると、豪快に鼻息を荒し口許からは凶悪な牙を覗かせた。
『よかろう。どうやら面白き刻に目覚めたようだ。魔王にいつぞやの小僧よ、貴様らともいずれ牙を交えようぞ。それまでせいぜい腕を磨いておくがいい』
フウガをその大口に咥えて首の振りだけで背中に乗せると、エルダードラゴンは翼をはためかせて宙に浮きあがった。
「小僧よ! 今は逃げるが、此度の戦は痛み分けじゃ! 次逢うたときがうぬらの最期じゃ! 覚えておくがよい!」
「ま、待て! フウガ!」
「さらばじゃ!」
エルダードラゴンはフウガを乗せたまま瞬く間に空の彼方へと遠ざかっていった。
アニはただ見送ることしかできなかった。
「痛み分けだと? それにしちゃあこっちは失ったものが多すぎる……」
「お兄様は妹ちゃんを殺せる最大のチャンスを棒に振ってしまいましたの。これは後々響いてきそうですわね」
レミィの恨みがましい声音は耳元にべったりと貼りつきアニの胸にどんよりとした不安を塗りつけたのだった。
不意に胸元から「ふへへ」と気持ち悪い笑い声が聞こえた。いつまでも妹魔王を抱きとめていたことを思い出し、慌てて蹴り剥がす。
「ああん! アディユス様、そんな冷たい~!」
「だ、黙れ! 魔王がそのような戯言をほざくな!」
「きゃ~ん! 私いまアディユス様と会話してるぅ~! すっごいよこのゲーム! こういうのだけはマジお兄ちゃんに感謝だわ! 死んでくれてありがとう!」
「……っ」
(こいつ――どこまで性格捻じ曲がってんだ……ッ!)
(さすが兄妹ですわね。そっくりですの)
レミィによる不本意な評価に顔をしかめつつ、アニは戦いの終わりを告げるように固有スキルで造った黒剣を除装した。
かくしてエクストラステージは幕を下ろしたのだった。
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ファイナルステージ『名も無き英雄』終了
勝利 人魔連合軍
敗北 フウガ
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