フウガVS逆英雄③
凄まじい拳打の嵐が周囲に暴風を撒き散らす。
瞬時に間合いを詰めるジェムの拳に合わせてフウガもまた見様見真似の拳法を炸裂させた。交差する拳。防御は不要とばかりにただ相手を殴ることだけに注力する。
顔面を鮮血の朱に染め上げる二人。
なおも微笑を刻んだその姿はまさに修羅。
あたかも洗練された拳闘が刹那の間に繰り広げられていた。
「テメエ、さっさと倒れろや!」
「嫌じゃ! これほど愉快な格闘は初めてじゃ! もっとやろう! もっと!」
瞠目すべきはフウガの技量が拳を交わすたびに向上していくことである。ジェムの拳闘スタイルを盗み、より磨き上げて反撃の一発に反映させる。同じ数の拳を当ててもジェムが食らう一撃はジェムが放つものよりも速くて重い。このままぶつかり合えば遠からずジェムが敗北を喫することになるだろう。
(冗談じゃねえ――! こんな真っ向からの殴り合いでアタシが負けるはずがねえッ!)
ジェムの不屈が折られぬかぎり戦いは続行される。だが、それももはや消化試合の態を為していた。
なおも加速し苛烈を極めた殴り合いはしかし、予期せぬ横やりで幕を閉じることになる。
リンゴーン――……
どこからともなくチャペルの鐘の音が響き渡る。
リンゴーン――……
祝福を告げる、あるいは哀悼を捧げる鎮魂の調べ。
リンゴーン――……
暴風が撒き散らしたはずの魔力の残滓を手のひらに取り込み出現させたのは、シスターの勇者ベリベラ・ベル。フウガに向けて集めたエネルギーの塊を撃ち放つ。
シスタースキル《サイレント・ベル》――
聖なる火が空気を切り裂いて迸っていく。
「ふん!」
フウガは《サイレント・ベル》の光線を剣の一振りで寸断すると左右に割って呆気なくやり過ごした。
「新手か? じゃが、この程度の技ではわしには掠り傷一つ付けられぬぞ?」
「ええ。承知しております。今のはこの不毛な争いを止めるためのもの。声掛けして素直に言うことを聞くとは思いませんでしたので」
それはフウガではなく同じく勇者であるジェム&ルッチに対する当てつけであった。《サイレント・ベル》の射線上には亜人姉妹もいて、ベリベラ・ベルは二人もろとも吹き飛ばすつもりで《サイレント・ベル》を放ったのである。
強制的に姉妹合体スキル《バンジーバウンス》を解除させられ後退を余儀なくされたジェムは、怒りの矛先をベリベラ・ベルに向けた。
「どういうつもりだ? ぁあ!? このアバズレ女ァ!」
ベリベラ・ベルは「まあ、人聞きの悪い」とジェムの粗野を憐れむように眉をひそめた。
「お二人はこのまま退いてください。貴女たちの出番はもう終わりです」
「ざっけんな! アタシたちのケンカだ! 邪魔すんじゃねえ!」
「そうだそうだ! 邪魔するなッチ!」
「お言葉ですが、ジェムさんが怪我をするたびに私たちを使役している魔導士様の魔力が消費されていくのです。私たちの貴重な活動時間を貴女たちに徒に浪費させるわけにはいきません。
――私も果たさねばならない『約束』がありますので」
恭しい口調だが有無を言わせぬ迫力があった。
しかし、そんなことで納得するジェムではない。
「こいつはアタシの獲物だ。横取りしようってんならテメエから片付けてやろうか?」
「誰彼構わず噛みつくところはまるで野犬ですね。食べ物を取り上げられまいと惨めに卑しく唸り声を上げるところなんかそっくりです」
「何だとォ!?」
「はっきりと申し上げます。貴女が私を仲間と見做していないのと同じように、私も貴女たちに協力しようとは思いません。神のお恵みは公平に、平等に、均等に分け与えられるべきです。独り占めする者には鉄槌を。何かを得ようと思うなら――奪うのみ」
魔法発動までの時間稼ぎは完了した。
無数の黒い触手が地面から生え伸びてきてジェムとルッチに巻きつき拘束した。
「な、んだこいつらは!?」
「う、動けないッチ!」
闇属性魔法 《シャドーハンド》――ベリベラ・ベルの忠実なる『手』である。
「貴女たちを傷つける気はありません。そこで大人しく見ていてください」
《影手》は先端を鋭利な刃に変化させてフウガにも殺到した。四方八方から襲い来るそれらを、フウガは風を利用した移動術《帆取》で難なくかわしていく。ジェムの神速跳躍に対応しきったフウガには若干物足りない攻撃であった。
「亜人を開放して共に戦えい! そのほうがわしも楽しめる!」
「いいえ。それには及びません。貴女はすでに罠に掛かっているのですから」
「ぬ?」
不規則に見えた触手の嵐は、実はフウガをある地点へと誘導するためであった。後退して踏みしめた地面に漆黒の扉が現れる。パカリ、と音を立てて開き、フウガを奈落の底へと落下させた。
「なんじゃ!?」
全方位暗闇に包まれる。不思議なことに自分の体は発光していて形が見えていた。光が差し込まないだけの空間ではない。もちろん、地中でもない。足場はなく、体は宙に固定されている感覚があった。フウガはここが魔法で編まれた〝異空間〟だと察知した。
「ここは私が構築した世界。どこへでも往けて、どこにも干渉されない〝扉の中〟――。愛くるしい『手』たちが住まう場所です。勇者になった後に発現したスキルではありますが、私はこの扉をずっと昔から知っていたように思います」
暗闇の向こうから姿を現したベリベラ・ベルがゆっくりと歩いてくる。フードを取り、真っ赤な髪を掻き上げて艶っぽい視線をフウガに投げた。
「お招きしたのは貴女が初めて」
「別に嬉しくも何ともないがの。つまり、うぬの心象世界じゃろう。闇と、おぞましい手だけが棲んでおるとは。ふはっ、随分と荒んだ心を持っておるようじゃな!」
「否定はしません。そして、ここが貴女の墓場となるのです。死んでください。私のために」
「あ? 私のため、じゃと?」
「ええ。これから『約束』を果たしに参ります。ですから、一刻も早く死んでほしいのです」
ベリベラ・ベルはフウガの眼前で歩みを止めると、祈りを捧げんと両手を胸の前で握った。聖典の文言を諳んじるように呪文を詠唱する。
「ローセル、アングル、シュール、ラングラン、コギュ、ラ、マルタ」
展開されたスキル空間に響くその声は、攻撃をけしかける犬笛の役割を果たす。
暗闇がフウガの体を押し潰していく。
「ぐがああっ!」
メキメキと音を立てて体中の骨を圧迫していく。まるで巨大な歯に左右から噛まれているかのように。
暗闇が光を飲み込んでいる、というより〝食らっている〟と言ったほうが感覚は近いだろう。沼に沈んでいくのではなく獣の口で咀嚼されているような感覚。この暗闇は生きていた。
祈りを諳んじながら、シスターベリベラ・ベルは一度は手放し、死んだ身となってからは二度と望めなくなった『約束』について思いを巡らせる。
考え違いをしていた。
『約束』とは交わした者の意志が弱ければ決して叶わないのだ――と。
『約束』の当人同士が想いを同じくしていなければ果たされないのだ――と。
そう思っていた。けれど、違った。そうじゃなかった。
今際のきわに彼がやってきた幻想を見た。よく考えたら彼のはずがないし、察しのいいベリベラはその正体が占星術師だということには不本意ながら気づいていた。
でも、そのとき思ったのだ。
会いに来てくれたと喜んだのも束の間、もっと早くに会いに行けばよかったのでは?――という後悔が全身を貫いた。
ベリベラ・ベルは『待つ』と約束し、彼は『迎えに来る』と約束した。だから叶わなかった。
(どうしてそんなつまらないことにこだわっていたのでしょう。私が迎えに行けばよかったのに。ただそれだけで『約束』は守られたのに。再会するという約束だけは守られたのに。なぜそれをしなかったのか)
つまり、ベリベラ・ベルの意志が弱かったということに他ならない。当初の意志を捻じ曲げて、彼の意志を無視するだけの心の強さがあったならば『約束』はとっくの昔に果たされていたはずなのだ。
『約束』を反故にしたというのなら、その罪は彼だけでなく自分のほうにもある。
(私はなんて愚かなのでしょう。ですが、それももう終わりです)
待つのは止めた。
こちらから迎えに行こう。
二人の『約束』なんてどうでもいい。
自分の『約束』は自分自身で果たせばいい。
そのためにも――
「今はあなたが邪魔です、英雄ハルウス! この奇跡が間に合ううちに『約束』を果たさなくちゃ死んでも死にきれないの! だから、さっさと天に召されなさい! この死にぞこない!」
ベリベラ・ベルの怒気に反応した暗闇がフウガの肉体をより激しく潰しに掛かっていく。フウガは満面に脂汗を滲ませながら不敵に笑った。
「舐めるなよ、小娘!」
フウガが握っているアテアの剣が発光する。〝波動〟を流した長剣は《ライトニング・ブレード》の雷を纏わせ、動けないフウガに変わって天上に向かって撃ち放った。
「癪じゃが、バルサ王家のあの勇者から技を盗んでおいてよかったわい……!」
光が暗闇を切開しそこにある扉をこじ開けた。
ベリベラ・ベルの《扉》を打ち破った。それと同時に全身を圧壊しようとした力が消失し、手足を拘束していた戒めまで解除された。フウガは一息に外の世界へと飛び出した。
「くっ。お待ちなさい!」
「ならば表に出てきて戦うことじゃな! そのような暗がりに引きこもっておったら気分も萎えるじゃろう。なんじゃったらわしが連れ出してやろうか? なあに、簡単じゃ。その手を引っ張るだけで『再会』は果たされる」
「――ッ!」
「ふはっ! 驚いたか? その程度のことも見通せんで何が英雄じゃ。〝見様見真似〟を得意とするわしの聴勁を見くびるでないわ! ――さて」
外に出てきたフウガを待ち構えていたのは神父の勇者サンポー・マックィンであった。
「次はおぬしか? 何を仕掛けてくるのか楽しみじゃなあ!」
挑発する。しかし、サンポー・マックィンはその場から動きだそうとしなかった。
平素の酔いどれを知らぬフウガには今の神父はただ顔色の悪い屍にしか見えなかった。だが、赤ら顔でないサンポー・マックィンは生前とは雰囲気がまるで違った。何より顔つきが違う。下品さと悪辣さが同居したような表情は鳴りをひそめ、精悍で落ち着きのある顔つきにニヒルな笑みを湛えている。
唇をもごもごと動かす。声の出し方を忘れてしまったのか「あーあー」と発声を繰り返した。
「いっひっひ……、違うな……いーっひっひっひ! ああ、こうか。硬直しきった死体だと顔を作るのもなかなか難儀だな。すっかり慣れた気でいたのに全部台無しだ。――まあ、今となってはどうでもいいことなんですけどねえ、いーっひっひっひ!」
独り言は多重人格者のように口調が入れ替わった。
「いやはや、まさかこんな形で生き返るとは思いませんでしたよ。我ながら生き汚い! おんやあ? 生き返ったわけじゃない? これってもしかして屍鬼ってやつですかあ? そりゃまずい! 私、これでも神父ですよお! 神にお仕えする身ですのに、悪魔になっちゃ駄目じゃないですかあ! これでは神父なんて務まりまっしぇーん!」
惚けた声と顔でおどけてみせた後、白け切っているフウガにぐっと拳を突き出した。
「――ってことで、俺は俺を取り戻すことにする。まさか、死んだ後に『正しい人生』に出会えるとは思わなかったがな。俺は俺。ベフォマト・ゾーイだ。サンポー・マックィンなんて名前じゃない。戻ったからには執着してやる」
「……何やらこやつも面倒臭そうじゃのう。勇者はこういう奴しかおらんのか」
思わずぼやいたフウガに対し、「残念ながらそうらしい」と『サンポー・マックィン』改めベフォマト・ゾーイは自嘲する。
次の瞬間、ベフォマト・ゾーイが突き出した拳がぐんと伸びた。
バキッ!
「ッ!?」
十数メトル離れていた距離からフウガは顔面を殴られた。ジェムの超速移動でもベリベラ・ベルの影手でもない。ベフォマト・ゾーイは一歩たりともその場から動いていないのに、拳による打撃を飛ばしたのだ。
腕がありえない長さに伸びていた。
「な、なんじゃそりゃあ!?」
百戦錬磨のフウガであっても仰天した。こんな不可思議で奇妙な術は見たことがない。しかも、伸びた腕は縮むことなくそのまま地面にぼとりと落ちた。その様は不気味すぎて鳥肌ものであった。
「おっと。《肉体改造》するたびに重ね掛けしなけりゃ伸縮もままならないのか。参ったな。この戦いの最中に物にできるかどうか……。ま、やるだけやってみるか。どうせ死んだ身。亡命するよか気楽だろうさ」
四肢を変幻自在に伸縮させて、さながら蜘蛛のような姿勢でフウガに襲い掛かる。意外と素早く、そのうえ人体ではありえない関節可動域から拳や脚が飛んでくるので、さしものフウガもすべての攻撃を防ぎ切れず面白いように打ちのめされた。
勇者スキル……などではない。
ベフォマト・ゾーイに元来備わっている属性魔法。唯一修得できた使い道のなかった整体治癒魔法。
光属性魔法 《フィジカルモッド》――!
「なんと面妖な! おぬし、戻れなくなってもよいのか!?」
骨も筋肉も改造しすぎてもはや異形の怪物と化していた。
ベフォマト・ゾーイは笑う。歓喜する。生まれて初めて生を実感している。
「元々戻れる身分なんてない! だが、これこそが俺なんだ! ベフォマト・ゾーイなんだ! その胸にきっちりこの名を刻むがいい!」
「名はともかく、おぬしのことは生涯忘れられぬであろうな。こんな……なあ?」
夢に出てきそうじゃ、と渋面を浮かべるのだった。
次第にベフォマト・ゾーイの動きにも慣れてきた。
そこへ、地中から出てきたベリベラ・ベルが《シャドーハンド》をけしかけ、ジェムとルッチもまた《バンジーバウンス》を再開し、猛攻の合間を縫うようにサザン・グレーが武骨な槍術で参戦してきた。
逆英雄たちの怒涛の攻撃を受け止め、かわし、見極めて――フウガは全員の腹部に掌底を打ち込み吹き飛ばした。
にわかに静寂が漂う。
フウガが「ふはっ」と吹き出した。
「面白い! うぬら全員まとめて相手にしてやる! どこからでも掛かってこい!」
◆◆◆
ハルスは想像を絶する痛みに耐え、荒々しい呼吸を繰り返しながらも、いまだ膝を突くことなく全力を出し切る五人の勇者たちに魔力を提供しつづけた。
目はとっくに霞んでいて、今何が行われているのか肉眼ではもう確認できない。魔法の維持に集中しているせいか五感は鈍り、触覚はほとんど機能していない。口元から垂れた涎にさえ気づいていない有様だ。
しかし、肩を叩く馴れ馴れしい手つきにはどういうわけか反応した。
霞んでいたはずの視界がクリアになる。
懐かしい横顔がそこにあった。
「そろそろ行かねえと何もせずに終わっちまいそうだぜ。せっかく生き返ったんだ、一暴れしとかねえと勿体ないよな」
肩に担いだ大斧を軽々と振り回し、子供っぽい悪戯な笑みをハルスに向けた。
「だろ? ハルス」
「……ガレロ」
親友であり、兄貴分でもあった、最も近しい幼馴染。
最後の会話だった。
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